70.悪くないスライム
地図を頼りに三日三晩ジャングルをさまよい、次々に襲い来る魔物の猛攻を凌ぎ切って集落へと近付いた時、いち早く異変に勘付いたのは、樹上から周囲を警戒していたドラベッラだった。
「村から……煙が……」
「きな臭いなぁ、言われてみれば」イワオは鼻をヒクつかせて匂いを嗅いだ。繁茂する枝葉に遮られて近くに村があることさえ分からないが、湿気の多いすえた空気の中に、煙の臭いがする。
「何やねん。火事?」
「いや、あれは……」ドラベッラは慎重に、正確を期すように、改めて村の様子を眺めた。「襲撃されている……? そう見える……」
「ウソやん……」ソウタが呟いたとき、藪の下草をごそごそと揺らして、腰の高さほどある大きなゲル状の物体が茂みの中から這い出した。軟体の魔物、スライムだ。
剣の柄に手をかけ、素早く鯉口を切る。
「待って! ボク、悪いスライムじゃないよ!」スライムは透明な身体を揺らして慌てたように言った。
「ああ? 自分が悪いと思っとらへん奴は、わざわざそんなこと言わへんねん」ソウタは剣を抜く。
イワオも肩に担いだ戦斧を構えて続いた。「大体お前、どこをどないして喋っとんねん。後ろめたいばっかりに、うっかり喋れるようなってもうてんちゃうんかコラぁ」
「言いがかりも甚だしい……」スライムは頭とも肩ともつかぬ、その身体の上の方を、プルプルと慄かせた。
「何やコラお前。プルプルしやがって。村に火ぃつけたんお前ちゃうんかコラ」
「違うよ! そんなことしたら、あっという間に干からびちゃう。大体ボク、ご覧の通り手が無いし」
「ほんだら、アレやろ、お前、上手いこと、その透明な体で、太陽の光をこう……虫眼鏡の要領で……アレして、火ぃつけたんちゃうんかコラぁ!」イワオは太陽光をレンズで収斂して火を付けたのでは、という推理を勢いで押し切った。
「イワオお前、ごっつ頭ええやんけ。コナンくんの生まれ変わりなん? 何が悪いスライムやないねんお前! 極悪やろがい!」ソウタは剣を構える。
「いや、違うんだって本当に! どうして、まず一旦話を聞こうとしないのか……」そう言うと、スライムはプリっと音をたてて、身体の中から何かを放り出した。
「うわっ! 何か出しよった!」ソウタは思わず声を上げる。
「女の子だ……」と後ろにいたフィガロが言う。その頃には、同期たちがそのスライムを取り囲んでいた。
「お前、この子食うとったんかい!」ソウタは噛み付くように怒鳴りつけた。
同期たちが皆得物を執って身構える。
「待て!」と命じたのは教官だった。「生きている」
少女に目をやると、地面に横たわったまま、小さな胸を上下させている。5、6歳くらいの小さな女の子である。額の中心、髪の生え際の辺りに、小さな角が生えている。
「魔族の子だ。そのスライムは、集落で飼われていたものだろう」樹上から様子を見ていたドラベッラが言った。
「そう! ボクは、この子を連れて、村から逃げ出したんだ!」女の子を吐き出して、一回り小さくなったスライムが、表情が無いので分かりにくいが、必死の体と聞こえる声色で言った。
「え……そうなん?」ソウタは語気を弱めて聞いた。
「それならそうと、なんで早よ言わへんねん」イワオがスライムの表面を手のひらで叩く。「うわっ! こいつヌメりよんで!」
「全然話を聞こうとしないじゃないか。全く。どうしてこう野蛮なのか……」
「何やコイツ、生意気やな。いてもうたろかいな」
「いやソウタ、ちょっと待て。話聞いたろやないか。大変やで。村襲われてんねやから」とイワオがなだめると、ソウタはため息を吐いた。
「何かコイツ好かんわ。自分のこと可愛いと思っとる感じが鼻につくねん。実際、ブヨブヨでちょっと気色悪いで自分」
ソウタの言葉に、スライムは身体の上部、左右の中頃を凹ませた。それはいわゆる「肩を落とす」という状態を表現したように見えた。
「お前、身体のこと言うたらアカンやろ」イワオはソウタをたしなめる。
「いや、お前も『ヌメりよる!』て結構デカめの声で言うてたで」
「それはごめん」
彼らは教官の指示で周囲の藪を刈り、とりあえずそのスライムの話を聞くことにした。
スライムの言うところによると、こうである。
この先にある小さな集落で、スライムは魔族のペットとして暮らしていた。彼らの村では調教した魔物を使役して農耕や牧畜が行われ、豊かとは言えないまでも、目立った飢饉に襲われるようなこともなく、何より平和だった。
ところが昨夜、突如村を囲っていた市壁が瓦解、大量の魔物が押し寄せた。しかも、どうやらそれが組織だった襲撃だというのである。
「村を襲って来た魔物の中に、人間がいたんだ。『調教師』だ」とスライムは言った。
魔物を強制的に調伏する能力を持つ調教師は、自身が連れ込んだ魔物はおろか、村で使役していた魔物さえ掌握し、畑や家屋を荒らした。
長く魔物の家族として扱われたことによって、高い知能を獲得していたスライムは、調教師の調伏を避けるため、すぐさま身を隠した。
村人たちは当初抵抗しようと武器を取ったが、魔物の数が多く、とても抑えきれぬと見ると、村を放棄し逃げ出した。
スライムも逃げ遅れた少女をその腹に隠し、ほうほうのていで逃げ出したが、混乱の内に他の村人が逃げ出したのとは逆の方向に逸れてしまったらしい。
「その調教師は、一体何者だ?」と教官は尋ねた。
スライムは、さめざめと泣くような調子で声を詰まらせながら、分からない、と答えたが、その後でこう付け加えた。
「自分は、『勇者』の仲間だと……」




