65.今上魔王
精魂尽き果てたパミーナを、ドラベッラが背負った。
「アンタは凄いヤツだ。ウチは、あんなふうに捨身になれなかった。理由を挙げれば、もっともらしいことはいくらでも言える。
今は帝都の先行きを占う緊急事態だし、ウチらは教官を含めて仲間として協力し合わなきゃいけない状況だ。
それに、恋愛なんて、相手あってのことだし、その相手にはすでに彼女がいる。
けど、アンタはそれでも戦った。全てを捨てる覚悟だったんだろう。ウチはそうしなかった。そんな覚悟は無かったからだ。その時点で、自分が土俵にも上がってなかったんだってことに、気付いちまったよ」
ソウタは遠く最前列、教官の隣を歩いている。
「でも、私のしたことは、悪い事だと思う……。みんなを、裏切ったのと同じことだと……」ドラベッラの背中で、パミーナはそう呟いた。
「あんたはそれでも、私たちが傷付かないように、工夫した。【冬の魔女】さえ巻き込んで。大分綱渡りだとは思うけどさ。そもそも、善いとか、悪いとか、そういうことじゃ無かったんだろ?」
背中で小さく、パミーナがうなずくのが分かった。
その時にはもう、ドラベッラに彼女を責める理由は無かった。
彼らの背後に迫っていた、あるいは行手に待ち受けていた魔物たちは、バーバ・ヤーガがみな消し去ってしまったのだという。
これで、彼らの進む先には、『魔王』が待っているのみとなった。
イワオは話題を変えるように、「『魔王』て、どんなやろな。えらいフレンドリーやったけど。先代が『淫蕩』の魔王やろ? その前が『怠惰』『憤怒』ときて……『強欲』とか?」と問いかけた。
「それは5代前だ」とドラベッラは答えた。
「想像つかんわ。このフレンドリーさで、悪っぽい言葉付けにくいで」
「外見的には、『憤怒の魔王』は羽の生えた獅子のような姿、『怠惰の魔王』は背の低い男、『淫蕩の魔王』は妖艶な美女だったらしい。どの魔王も頭に2本の角があるのが特徴だったそうだ」
彼ら同期が今回の魔王の外見やあだ名について、ああでもない、こうでもないと想像を語り合っている内に、玉座の間の入り口まで来ていたらしかった。
不意にまた頭の中に声がした。
──「さあ、入られよ」──
その声が聞こえると、目の前の石扉が、音を立てて開いた。
「得物の柄から指を離すな」と教官は小声で命じた。
その広い部屋の中はひんやりとして薄暗かった。というより、真っ黒な壁に囲まれて、窓もない室内が、なぜ薄明るいのかということの方が不思議だった。
──「ああ、そうだ、其方ら人間には少々暗すぎるな」──
天井から明るい光が射すと、その大広間には、奥に立派な椅子があった。
──「余が、今代の魔王、グリンカムビである」──
魔王がそう言うと、彼らは周囲を見回した。
「いや、どこ? もうおんの?」ソウタは誰にともなく尋ねた。
──「ん? 見えぬか?」──
「なんや、透明になれる系のヤツか?」
──「そうか、玉座のクッションは大分分厚くて、鋲を打っとる真ん中が低いからの……」──と魔王がハッとしたような調子で言うので、ソウタはふと気付いた。
「小さいってこと?」と玉座に歩み寄る。
「待て、ソウタ!」と教官が腕を掴む。「危険が無いとも限らん」
「ほだら、一緒に見に行きましょう」とソウタが言うと、教官は何故かはにかんだ。
「そうだな……一緒にな」
──「いや、何も危ないことはないぞ」──という魔王の言葉に答えず、同期たちの見守る中、2人は玉座に恐る恐る近付いた。
2人は、玉座のすぐ側まで寄るとそのクッションの真ん中を上から覗き込んだ。
「やだ……可愛い……」とソウタは呟いた。
「何でオネェやねん」とイワオは遠くから声をかける。「早よ説明しろや」
ソウタは改めて、その魔王を見下ろした。それは最初、クッションの真ん中の凹みに置かれた毛玉に見えた。が、よく見ると、小さな嘴がある。
「ヒヨコや」とソウタは言った。
「ヒヨコ?」
──「済まぬが、クッションの高い所に持ち上げてもらえぬかの。見ての通り、足が短くて登れぬ」──
「いや、まず足が全然見えへんねんけど……」と呟きながらソウタは、そのヒヨコを摘み上げた。同期たちから、ため息のような歓声が上がる。「ホンマに、魔王なん? フワッフワやけど」
──「なるほど、余はこれまでの魔王とは幾分毛色が違うからの」──
「幾分じゃ済めへんやろ。ほんで、この距離やねんから、念力みたいので話すのやめへん?」
──「それは……」──
魔王はソウタの掌の上で、その小さな嘴を開いた。「ピヨピヨピヨピヨ……」
──「この通り、声を使い分ける発声器官が、人間のように発達しておらぬのだ。従って、このように魔力を用いて話しておる」──
「魔王には、角あるんちゃうの?」とイワオが尋ねた。
──「もちろん、余にもあるぞ。其方、ちょっと余の頭の毛を分けてみよ」──
ソウタは言われた通り、ヒヨコの頭の毛を分けて、その地肌を探った。「え、これ? 何か、コリっとしたのあるわ」
──「そう。それが、余の角だ」──
「羽毛で見えへんやん」
「ソウタ、この方はいわば、他国の王だ。態度に気を付けろ」とハンナ・シュバルツはたしなめたが、これまでのやり取りを放任していたところを見ると、この肩透かしに唖然としていたものらしい。
「いや……想像と違い過ぎて……いや、そうやな、すんません。育ちが悪いもんでして」とソウタは魔王に詫びた。
──「構わぬ。余の頭の中には、歴代魔王の記憶が受け継がれておる。余は魔王として生を受けたが、本来この世の命に貴賎などないというのが、そうした記憶を紐解いて余が至った考えだ」──
「ええ魔王の典型やんけ……。俺、色々悩みあんねんけど、相談しに来てええすか?」
──「いつでも来るが良い。産まれたてのヒヨコでよければな」──
その後、【烈女】ハンナ・シュバルツと【ヒヨコの魔王】グリンカムビの間で話し合いがもたれ、『魔王城』は南にある大陸『魔界』へ遷都すること、魔界との交易は現状を維持し、さらなる発展を目指して相互の友好に尽力すること、今回の魔王城出現による魔物の大量発生は魔王が収拾し、本件に起因する損害の補填について、後日担当当局と交渉の場を設けることなどが定められた。
自身の魔力と魔王城のコントロールを掌握した【ヒヨコの魔王】は実際に、一両日中には魔物の氾濫を平定、『魔王城』を帝国領土から消失させ、約束を果たすとともに、その小さな身体に似合わぬ圧倒的な魔力を見せつけた。
これは大分時代が下ってからのことであるが、帝国領土内の農村に深刻な被害をもたらした大規模な蝗害が発生した際には、魔界と帝国の間に結ばれた相互協力及び安全保障の約定に従い、【ヒヨコの魔王】が自ら出陣、実に個体数500億匹、重さ11万5000トンという夥しい飛蝗の群を、一夜にして喰らい尽くしたことから、五穀豊穣の神の権現として農夫から崇められることとなったそうである。




