64.決着
その光景こそ、まさに『地獄』と呼ぶに相応しかった。
紅蓮大紅蓮の猛火が卍のように渦巻いて、黒煙と火の粉を煽りながら、辺り一面を舞い狂う。
「これはいかんな……」とバーバ・ヤーガが呟いた。
「教官!」ソウタはその炎の凄まじさに駆け込もうとするところを、同期たちに組み敷かれた。
「あかん、ソウタ! お前やったら確実に死ぬわ! 教官やったら大丈夫や!」
「いや、これはやり過ぎや! パミーナちゃん! 止めてくれ! 限度っちゅうもんがあるやろ!」ソウタはそれを振りほどこうともがきながら、喉が裂けるほど叫んだ。
バーバ・ヤーガの魔法障壁も、逆巻く炎と黒煙に燻されて、もはや誰がどこにいるのかも判然としない。
「ハンナ・シュバルツ! この娘を侮ったな! この炎は現世に及ぶぞ! 妾が収める!」
すると、中空まで烈々と立ち昇る炎の中から、「手を出すな!」と怒鳴るハンナ・シュバルツの声が轟いた。「これは女の勝負だ! ソウタ、お前もそこで見ていろ! お前の女が、どれほどのものかをな!」
その声が彼らの耳に届いたと思うと、不意に一陣の突風が、烈々と燃え盛る炎を裂いて、障壁に守られた彼らの目に、ほんの一瞬、鉾を振るハンナ・シュバルツの姿を映した。
「天晴れだ! パミーナ・フォン・ナハト!」
その声の残響が消えた時、天火が迸ったように地を覆っていた炎は勢いを減じ、やがて消えた。
視界を覆い尽くしていた炎の消えた後に広がる風景は、もはや『地獄』でもなければ、概念世界『火葬国』でもなく、紛れもない現世の『魔王城』にある一部屋だった。固唾を呑んで見守っていた同期たちの目の前に残されていたのは、膝をついて項垂れる少女と、その首に鉾の切っ先を突きつける【烈女】ハンナ・シュバルツの姿だけだった。
「なるほど、殺すには惜しい娘だ」とバーバ・ヤーガは言った。
ハンナ・シュバルツは「そうだろう」と頷いて笑った。「まずこの俺に喧嘩を売る度胸。そして、その膨大な魔力でもこの俺に敵わんと見るや、神話級の魔女バーバ・ヤーガさえ巻き込んで、仲間を守らせつつ自身の有利を築こうという戦略眼と勝利への執念。繰り出した大技の数々。もはや二つ名をもって名乗るに相応しい魔女だ」
「いや……ええ感じに終わろうとしとるけど……」とソウタは口を挟んだ。
「お前、私が心配だったか?」とハンナ・シュバルツは揶揄うように言った。
「それは、まあ、そうなんですけど、まず何が起こったんですか?」
「どうやって、あの凄まじい炎を鎮めたかという話か?」と聞くので、ソウタは頷いた。
教官はパミーナの首から鉾を外すと、それを肩に担いで得意げに笑った。
「『地獄』から脱しただけだ」
「いや、せやから、それがどうやって……教官、魔法使われへんでしょ」
「我々がいたのは、バーバ・ヤーガの呼び出した『地獄』という概念空間だ。あの闇の炎は、『地獄』の地形効果を得てこそ、あれだけの威力を持っていた。ならば、その空間を斬ればいい。当たり前の話だが、上腕二頭筋を鍛えれば、時空は斬れる。あとは、時空の狭間に手を突っ込んで拡げてやればいい。これも、大胸筋を鍛えれば普通に可能だ」
「もう『当たり前』のベースが違い過ぎますねん」
「確かに、これは私だから出来たことだとも言える。パミーナの素晴らしかった点は、同等の体力を持たずして、この私とあれだけ渡り合って見せたことだ。
自らの有利な土俵で戦う。無ければ作る。そして相手の足を止め、力を削ぎ、その上で自らの最大火力をもって臨んだ。そのためにはリスクも厭わなかった。
私は出来るだけ、学生の攻撃は正面から受けることに努めているが、あれをまともに受ければ、この私でもタダでは済まなかっただろう」
「パミーナちゃん……」ソウタは、文字通り異次元の戦いに大分ヒいていたが、その健闘に対する敬意だとか、あの教官をして、ここまで称賛せしめた力に対する畏怖だとか、下手をすれば自分の手足をもぎ取ろうとしていた激しい情念への恐怖だとか、しかしそれらが終始一貫して純粋な恋慕から発していたことに寄せる親しみだとかいった複雑な感情が混ざり合って、言葉にならない何かを視線に乗せてパミーナに注いだ。
パミーナは持てる力の全てをこの戦いに使い果たしたというように、ぐったりとうな垂れていたが、やがて、わなわなと肩を震わせたかと思うと、だしぬけに天井を仰いで「うわ〜ん!」とはっきり聞き取れるような発音で、大声に泣き出した。
「一生懸命、がんばったのに!」真珠のような大粒の涙が、彼女の大きな目からボロボロと零れた。「うぅ……悲しい……」
拭った端からまた溢れてくる涙を繰り返し拭いながら、「ひんっ……ひんっ……」と嗚咽を漏らす彼女の背を、ソウタはさすった。
「どういう立場で何を言うたらええか分かれへんけど、あんま、無茶しなや。俺も、みんなも、心配してんねんから。2ヶ月そこらいうて、一緒に泥水すすって這いつくばった仲間やで。忘れとるかもせえへんけど、ここ『魔王城』やし……」
「教官を斃すには、ここしか無いと思って……このお城の壁は、私の魔力を全て解放しても壊れないし……周囲に被害を出さないで、教官と戦うには、ここしかないって……教官は私を出来の悪い生徒と思って、敢えて受けに回るのが分かってたからぁ……その驕りを討とうと思ってぇ……」パミーナはそこまで言うとまた声を上げて子どものように泣きじゃくった。
「態度と内容のギャップがエグくて話が入ってけえへんな」イワオは擦り寄って来るバーバ・ヤーガをなだめながら言った。
バーバ・ヤーガはイワオの首に腕を回し、肩にしなだれかかりながら、パミーナを見下ろした。「其方、嫉妬の感情に比例して、魔力を増すスキルが発動しておるな。生来の資質も相まって、もはや其方に比肩する魔法使いは、市井に十とおるまい。二つ名を名乗るに相応しい。『嫉妬の魔女』そう名乗れ」
「ぜんぜん……嬉しくない……!」パミーナはそう言ってまた大粒の涙を零した。
「そらせやろ」ソウタは眉尻を下げた。




