56.【烈女】ハンナ・シュバルツという女
夢魔もかくやのベッド・テクニックに打ちのめされ、シーツの中に沈んだソウタが目を覚ました頃には、日も大分高く昇っていた。
(やっ……てもうた……)岩浜の向こうにそびえ立つ巨岩のように、重く硬い既成事実を拵えさせてしまった。
「お前はもう少し、体力をつけるべきだ。お前はすでに、『この私の男』なのだからな」【烈女】ハンナ・シュバルツは、裸の上から薄衣を一枚羽織った姿で、ベッドの横に立っていた。透けるような白い布の向こうに、鍛え上げられた確固たる筋肉の気配を漂わせながら、頬は薄く桃色に色付いている。
教官が自分を「私」と言ったことに、ソウタは名状し難い趣きを感じた。
(それとなく『女』を匂わせてきてるやん……)しかも、所有権を主張している。
「いや、展開が急過ぎて……ちょっと頭が追いつかれへんのですけど……」
「理由も経緯も展開も要らん。『お前は私の男だ』これが結論だ」
せめて合意くらいは必要なのではないかという疑問もあったが、ソウタはこの圧倒的な強者の理論に屈した。
いや、正確に言うならば、戦闘のみによって鍛え上げられた強靭でしなやかな筋肉と、女性特有の丸みを奇跡的に共存させた、彼女にしか持ち得ない肉体の美、また、そこからは想像もつかない繊細な手練手管、そして、機をとらえるや有無を言わさず宿に連れ込むチャンスへの嗅覚と執念に屈したのである。
「あの、教官は、俺のことが好きなのですか……?」ソウタは素朴な疑問としてそう聞いた。それにしては随分痛い目に遭わされた記憶もある。
「この私が、好きでもない男と寝るように見えるか?」
「いえ……」とソウタは答えたが、実際のところよく分からなかった。男と遊び歩くようには見えないが、かといって不慣れな女によく見る恥じらいのようなものも無かった。ただ、頬の赤みや、自信に満ちた笑顔の中に、どことなく照れているような雰囲気が滲むようには見える。
ハンナ・シュバルツは、その奥行きを測るように、困惑するソウタの瞳を覗き込んで、それから何か納得したように頷いた。
「つまり、お前が聞きたいのは、こういうことではないか? お前がこれまで相手にしてきた女は、こうした具体的な行為に至るまでにいくつかのプロセスを要求した。例えば、何度か2人で飯を食うだとか、貢物を受け取るだとか、あるいは燃え上がるような情念を交換し合うだとかいった。私がそうしたプロセスを必要としないのは何故か」
「確かに近いような気はします」
「それはな、私が強いからだ」とハンナ・シュバルツは言った。「多くの女が、男より慎重なのは、男より体力に劣るからだ。また、妊娠中は著しく運動性能を下げる。相手の男が周囲の危険から自分を守るに足るか、さらには、その男自身が自らの脅威になり得ないか、測る必要がある。しかし、私はほとんどの男を片手でくびり殺す自信がある。例え妊娠中でもな。相手の男に脅威の排除を求めないし、ほとんどの男は私の脅威たり得ない」
(この人、世の中のほとんどが『私は強い』で片付くんちゃうか……?)と思いながら、ソウタは「なるほど!」と相槌を打った。
「さて、分かったところで……」とハンナ・シュバルツは肩に羽織った薄衣を床に落とした。そしてソウタの身体を覆うシーツを強引に剥ぎ取り、その上から覆い被さる。「私のことは、ハンナと呼べ。役職で呼ばれるのも興奮はするが、やや他人行儀だからな」
(もう、ここまできてウダウダ抵抗すんのもサブいわ)とソウタは腹の中に呟くと「分かりました。行くところまで行きましょう」と答えた。
夜、寮に帰って来たソウタをイワオは出迎えた。
「お疲れ。ピッポとメグは上手くいったらしいで。お前の方どやったん?」
「死ぬわ!」ソウタは声を上げた。
「俺の気持ちもちょっとは分かったやろ。で? 付き合うことになったん?」
「もう、選択肢があれへんねん。お前ほんま、分かっててやったやろ」
「この学校入ったのも、ほとんど彼女作ることが目的やん。ちょろちょろしとらんで早よ一人決めろと思っててん」
「ペース! 俺のペースがあるやろ」
「知らんがな。あっちもこっちもダラダラ態度を保留しとんの、見ててサブいねん」
「俺もそれ思ったから、結局承諾してもうたやんけ」
「不満なん?」
「いや、正直、ごっつ良かった……」
「ほんだら良かったやん」
「いや、けど何かにつけて豪快さがエグいねん。保たんわ、ほんま。飯もお婆ちゃん並みに食わしてくるし」
「この生活、体力付けなホンマに死ぬからな」
「正直、彼女出来たん嬉しいし、マニアックな魅力もあるのは認めんねんけど、手放しに喜ばれへんねん。何より、これまで会うた女のどのタイプにも属さんから、対応が分からん」
「『本種のみで一つの属を形成する』いうヤツやな」
「カモノハシか」
「カモノハシ可愛いやん。後ろ足のかかとに毒針あるらしいで」
「ほだら可愛くないやん」
「いやそれが、主にメスの取り合いに使うらしいねんけど、お互い耐性持っとるからあんまり効かんねんて」
「何やねんその話」
夜が更けるにつれて、彼らの話はまた、本筋から逸れていった。
そしてその翌朝、『魔王』が生まれた。




