53.屁と戦慄のリフレイン
「図らずも、人を傷付けてしまうことってあるやん」ソウタは言った。1日の訓練のシメである夜のランニングも、この頃には雑談しながらこなせるようになっていた。
「お前それ、俺のオカンのあだ名のこと言うてんの?」
「…………いや、小学生の頃の話やねんけど」
「ちょっと間とんのやめろや」
ソウタはそれに答えず続けた。「遠足でバス乗ってんけどな、一番後ろの席やってん」
「5人くらい並べるとこな。あっこ一番ええやんけ」
「いや、普通やったらせやねんけどな、そん時、両隣がそない仲ええヤツやなかって、しかも、途中でオナラしたなってもうてん」
「アカンやん。絶体絶命やな」
「せやねん。『ブー!』いって逆に笑かすような仲でもないし、もう、一か八か、スカすしかないなと思ってんけど、『スー……』てそのスカした音聞かれたら、『こいつ、屁こくだけならまだしも、バレへんようにスカしよったで!』てなるやん。せやから、出来るだけ音隠れるタイミング見計らっててんやんか」
「おお、手に汗握るな」
「ほいで、ちょうど先生がマイクで喋っとる間にスカしたったんやけどな、あれ、ずっと不思議やねんけど、スカしたオナラて、音出したオナラより大分臭ない?」
「分かるわ。なんでやろな。音を出す時に臭いが消費されとるとしか思われへんわ」
「せやから、アカン、臭いでバレると思って、一計を案じてん。誰よりも早く『イヤ……なんか臭ない?』て、あえて自分から言い出すことで、『こいつが犯人やったら、スカした屁を自分から言い出すメリットがない』と思わせて、容疑者から外れんねん」
「お前、諸葛孔明の生まれ変わりなん?」
「自分でもかなり冴えとると思っててんけどな、『ん? そうか? 分からんわ』くらいで済むと思っとったのが、周りも、臭い臭いてちょっとした騒ぎになって、しまいに俺の隣におった奴、犯人扱いされてもうてん」
「うわ、そいつ可哀想やわ」
「俺も、そうなったらもう言い出されへんやん」
「いやお前、それはアカンで」
「せやねん。やから、後で謝りに行ってん」
「そらそやわ」
「そしたらな、実は、そいつはそいつでその時オナラしててんて。そら臭いわ。2人分やねんから」
「うわ、そこ居りたないわ。阿鼻叫喚の地獄やんけ」
「…………」
「…………いや、これ何の話?」
「たまたま思い出してん」
「何きっかけやねん。脈絡ないわ」
そういう話をしている内に夜のランニングを終えて、寮舎に戻るその道すがら、後ろから彼らを追って声をかけたのはフィガロだった。
「今日もボロボロだな。山賊かよ」
「お前それ、俺のオカンのあだ名のこと言うてんの?」イワオは抗議の混じった口調で言った。同期の中でもイワオとソウタの戦い方は泥臭いものだ。自然、汚れも著しい。
「いや、知らねえけど、母親のあだ名『山賊』なのか? だとしたら……まあ、その……気の毒だな」
「ちょっと間とんのやめろや」
「そんなことより、生乳がタダで手に入るぞ」フィガロは話題を変えた。
「おお。何で?」とソウタは尋ねる。
「審査員特別賞の賞品が乳牛一頭だって話はしただろ。この前の競技会で特別賞を獲った上級生とバッタリ会ったんだ。今朝食堂で、ソイツらの隣しか空いてなくてよ。あの窓際の席。マジで座りたくなかったけどな」
「5人くらい並べるとこな。あっこ一番ええやんけ」イワオはその席の景色を思い出しながら言った。演習場の森を臨む大きな窓に面していて、その奥で行われる苛烈な訓練のことさえ考えなければ、長閑な美しい景色だ。
「まあ、景色は良いけどな。その上級生ってのが、全員ゴリラみてえな汗臭え男だときた。イワオもデケえけどそれ以上だな。全員だぜ? しかも、ものすげえ殺気立ってんだよ。『アイツ、ゼッテエぶっ殺す』みてえな話してるわけ。そんなヤツらの隣で飯食いたくねえけど、もう料理受けとっちまってるし、席はそこしか空いてねえの」
「アカンやん。絶体絶命やな」
「特別賞獲ったのも、勇猛ぶりを評価されたらしい。同期4人しかいねえのに、負けた試合以外は敵皆殺しだってよ。近付いただけでもう、雰囲気がやべえわけ」
「おお、手に汗握るな」
「それにしても、ああいう連中ってどうしてああも声がデケエかね。動きも雑だしよ。とにかく声と物音がガチャガチャうるせえんだ。ああもうるせえと、逆に汗臭さが気にならねえくらいだったぜ」
「分かるわ。なんでやろな。音を出す時に臭いが消費されとるとしか思われへんわ」
「お前、そこからどうやって牛乳ゲットしたん?」とソウタは尋ねた。
「乳牛って、1日で20〜30リットルも乳出すんだぜ。余るだろ。俺らが特別賞を獲ればそれが一番手っ取り早かったが、当然この展開も予想出来たからな。ハナから、俺ら以外の月期が特別賞獲った場合、そこと交渉するつもりだったわけ」
「お前、諸葛孔明の生まれ変わりなん?」
「ショカツ……何……?」フィガロは目を丸くした。
「俺らの世界の歴史の人や」とソウタは説明した。「それにしてもお前、度胸エグいな。俺やったら絶対話かけられへんわ」
「いや、ああいうヤツらって、喋ってみれば案外いいヤツってパターンもあるじゃん。もうそれに賭けたよね」
「それで『牛乳ください』『ええよ』てなったん?」ソウタの表情は驚きというよりは呆れに近かった。
「連中が殺気立ってた相手の居場所と引き換えにな」
「うわ、そいつ可哀想やわ」とイワオは呟く。結末は想像に難くない。
「しかも、すぐ傍の席にいたからな」
「いやお前、それはアカンで」
「その相手ってのがまた、結構な男前でな。連中、ソッコー飛び掛かったよ」
「そらそやわ」
「いや、それがよ、連中が何にそんな腹立ててたかっつーと、その男前が、連中一人一人と寝てたんだって」
ソウタは困惑に顔をしかめた。「流れ変わったな」
「後から知った話だけど、特別賞獲った月期の4人が全員ゲイだっつーのも、結構有名な話らしい。で、その男前もゲイだった。浮気っつーか、手玉にとってたワケだな。痴情のもつれってヤツだ。そこからはもう、すわ殺し合いって剣幕よ。冷や汗かいたぜ」
「うわ、そこ居りたないわ。阿鼻叫喚の地獄やんけ」
「ところが、流石4人の男を手玉にとるタラシはダテじゃねえわ。『俺は、4人を4人とも、本当に愛してたんだ』みたいな演説打つわけ。『4人が固い絆で結ばれているように、俺の愛だってそうあっても良いはずだ』みたいなことを真顔で言う」
ソウタは頭を抱える。「もう、ワケ分からんなってきてんけど」
「俺も傍で見てて混乱したぜ。連中、それ聞いて涙流して感動してたからな。そして、全員抱き合って、幸せなキスをして終了。俺は図らずもその立役者になった報酬として、牛乳をゲットしたってわけ」
「…………」ソウタは沈黙して、頭を整理しようと努めた。
「…………いや、これ何の話?」
「イワオお前、それワザとやっとる?」とソウタは尋ねた。「なんか、どんなに頑張っても、同じ運命に収束してまう系の怖い話思い出してんけど」
「何きっかけやねん。脈絡ないわ」とイワオは首を傾げた。




