41.猫の人
「魔法使いは料理をすべし」というのは、『魔法学』教授、ゲオルグ・フィリップ・テレマンの言葉である。材料や調味料を混ぜ、火加減を調整し、食材を変性させて好ましい味と食感を得るという過程には、魔法の上達に通ずる要素が数多く含まれているのだという。
「そういうわけで、寮舎東側のスペースに、窯を設置する許可を得た。料理は火加減だ。魔法と言えばぶっ放すしか能のないお漏らしワンちゃん共も、これで出力の調整を修練しろ」
教官からこのお触れが出た時、彼ら同期は歓喜した。どうやらイワオの交渉の成果らしい。
「お前、さすが熟女キラーやな」とソウタがイワオに向けて言うと、イワオはこれまで見たこともないような複雑な表情をした。
異世界のスイーツを再現するというこのプロジェクトは、この時点で同期全員に伝わっており、なにせ娯楽の少ない彼らに、この取り組みは好意的に受け入れられていた。
「あとは、実際のレシピやな」とソウタはメモの綴りに目を通す。まずは、ケーキの土台となるスポンジを作るつもりだ。
小麦粉、砂糖、卵の分量、これを混ぜる順序と程度、火加減と焼き時間、あらゆる工程であらゆる配合や手順を試さなければならない。
「それなんだけど……」と横あいから遠慮がちに、パミーナが口を開いた。
「どしたん?」
「私の部屋のジェミマちゃんに、相談してみたら、何か、参考になるかもって」
「ジェミマちゃんて、あの、猫の?」とソウタが言うと、パミーナは慌ててそれを遮った。
「ジェミマちゃんは、猫人だけど、猫扱いされるのを、とても嫌がるから」
「なるほど。そういえば、学校入ってから大分経つのに、ほとんど喋ったことないなあ」
それから、訓練の合間合間に、ソウタはパミーナからジェミマの話を聞いた。どうやら彼女は少々気難しく、取り扱いにコツが要るらしい。
「ジェミマちゃんは、寝る時間がとても長くて、訓練以外はほとんど寝ているので……」
「猫やん」
「やっ……ちがっ……あの、とてもマイペースっていうか、でも、その、気分次第では、すごく懐いてくるので……」
「猫やん」
「あっ……! でも……」
「いや、ごめんて。猫とちゃうねんな。なんか、手土産要るやろか」
「あ、それだったら、いつも吸ってるマタタビが……」
「猫やん」
といった調子で、ジェミマは猫扱いされることをひどく嫌うらしいが、その特徴は気の毒なほど猫に近いようだった。
1日の訓練を終え、寮に帰ると、ソウタはパミーナの部屋を訪ねた。
「こんばんは」ドアをノックすると、出迎えたパミーナに、ソウタはとりあえずの挨拶をする。
「あの、いらっしゃい。どうぞ。入って」パミーナは大体いつもそうだが、何かに緊張しているようだった。
ジェミマはベッドに横になり、身体を丸めて眠っていたので、ソウタは足音を忍ばせて部屋に入ると、パミーナがすすめるのに従って、椅子に掛けた。
「ジェミマちゃん」とパミーナは意外にも遠慮なくジェミマに声をかけた。すると、特に嫌がるふうでもなく、ジェミマは目を覚まし、寝そべったまま上体だけを起こして顔をソウタに向けた。
「あら、こんばんは。あなた、ソウタ君よね。知ってるわ」ゆっくりとした口調でジェミマは言った。
(そらせやろ、同期やねんから)とソウタは思ったが、口には出さなかった。
「あんな、俺、こっちでいう異世界から来てんけど、あっちの美味いもんをこっちで作ったろ思ってんねん。ほいでな、こんなん作ろ思ってんねんけど……」とソウタは、ケーキの図解をジェミマに手渡し、説明した。
「大体は知ってるわ。なるほどね。それで、『薬師』の私に相談ってわけ。それって、私も食べられるのかしら」
「もちろんや」
「そう。『薬師』は色々な物質の変成に詳しいから。自然にある動植物から、薬効成分を取り出したり、もちろん、毒素やアクを抜いて食べられるようにするのも。でも、今は、あんまり気分じゃないのよね」ジェミマはそう言うとプイっとそっぽを向いた。
ソウタは慌てて、「いや、そこを何とか」と食い下がろうとしたが、その拍子に、懐に忍ばせたマタタビの匂いが漏れたものか、ジェミマは鼻をひくつかせた。
「あなた、もしかして、マタタビを持ってる?」
「ああ、たまたま、近くで拾ってん」そう言うと、ソウタは懐のマタタビを取り出して見せた。パミーナの助言で、最初から手土産として出すと、天邪鬼な彼女は喜ばないと教わったためである。
「とてもいい虫癭果(マタタビの果にアブラムシなどが卵を産みつけたもの。通常の果実より薬効が高く猫が好む)だわ。あなた、なかなか見る目があるのね。これ、譲って頂けないかしら」
「ええよ。協力してくれんねやったら」
「いいわ」そう言うと、ジェミマは早速ソウタから受け取ったマタタビの実を1つ摘み、机の上にあるすり鉢と棒ですり潰すと、その粉を紙の上に広げて鼻から吸った。
「あぁー……キタキタ……」ジェミマは背をのけ反らせ、恍惚とした表情を浮かべる。
「これ、なんかアカンのんちゃう?」とソウタはパミーナに尋ねた。
「お酒と同じで、やり過ぎなければ大丈夫みたいだけど……」パミーナが苦笑しながらそう呟くと、ジェミマはベッドから起き上がり、パミーナによろよろと近付き、彼女の膝に頭を乗せた。
(どういうことやねん……)とソウタは居心地悪く身じろぎしたが、パミーナは慣れたものらしく、顎の下をすりすりと撫でてやった。ジェミマはごろごろと喉を鳴らす。
ソウタとパミーナが他愛もない世間話をしながら5分ほどそうしていると、ジェミマは突然ふと気が向いたように、「私、ちょっとお散歩に行って来るわね」と言い残し、返事も聞かずに部屋を出て行った。
ソウタは彼女の脈絡の無さに戸惑ったが、パミーナの話では、いつもこんな調子なのだそうである。
「窓を開けておけば、ちゃんと、戻って来るから」
「いや、猫やん」




