40.シグナル『レッド』
「その傷について説明しろ」
校舎1階、朝の教官室にイワオとソウタは呼び出されていた。
昨日の夜中、同期を起こさぬよう上級生との喧嘩から戻った彼らは、傷を回復出来ていなかった。
「窓から、コンドルが入って来てもうてぇ……」背に汗をかきながらソウタが言う。
(お前、ウロきてもうてるやん)ワケの分からない言い訳を始めて一手目で詰んだソウタに、イワオは助け舟を出そうと頭を巡らし、
「棚に『ケーン!』言うて刺さりよったんです……」と苦し紛れに継いだ。(アカン、こんなん続けられへんて)
「ほんだら、棚の上の金ダライが落ちてきて……」とソウタは果敢にも続ける。
「2ヒットですわ……」
「コンドル暴れよるしなあ……」
「ホンマ、かなんわ……」
「ほう、そうなると、もう一つ疑問があるな。貴様らは、俺を舐めてるのか?」教官は2人を冷然と見下ろす。
「いえ! 滅相も……いや、舐めさしてもらえんねやったら誠心誠意……」ソウタの身体が後ろにある別の教官の机に激突して、上に積んであった書類の束が、根雪のように頭に積もった。
(コイツ、逆に教官のこと好きなんちゃう? いや、何の逆か分かれへんけど……)とイワオはソウタを足蹴にした教官の軍靴を見るともなく眺めながら、とりとめのない考えを浮かべた。
「失礼」教官はソウタの突っ込んだ机の主に短く詫びると、書類を丁寧に机の上に戻して元の位置に正座をするソウタと、イワオを見下ろして言った。
「本来なら、即刻退学にすべきところだが、そうならなかった要因が2つある。1つは、貴様らが仲間を見捨てて怖気付くような腰抜けではなかったという点、もう1つは、俺がこう見えて甘い物に目がないという点だ。分かったら失せろ」
「窓からコンドルてお前……」教官室を出て少し廊下を歩いたあたりで、イワオは苦言を呈した。
「いや、ごめんて。半端な言い訳は通用せえへんと思ったら、なんか、あん時はナイスアイデアやと思ってん」
「もうええわ。ていうか、めっちゃ怖ない? 全部知っててんで。どこで見とんねん。ほだらピッポ助けたれや」
「せやねん。なんか、理解あるええ上司風に締めとったけど、普通にホラーやで。『分かったら失せろ』の『分かったら』て、『いつも監視されていることを分かったら』って意味?」
「あと、『ケーキが出来たら寄越せ』て意味も含んどんな。ほいでお前、大丈夫なん? またエグいシバき喰ろうてたやん」
「俺、『痛覚鈍化』のスキル無かったら学校続けられへんわ。なんか教官、俺に当たりキツない?」
「いやお前、ボロッとセクハラしよるからやろ。『舐めさしてもらえんねやったら誠心誠意』とか言うてたで」
そう言いながら、イワオはまた別の可能性を考えていた。
教官に監視されているということは、彼らにとって恐るべき脅威だった。どこからどのような情報が、どういう経路や方法で漏れているのか知る必要がある。
しかし、どこで会話が聞かれているか分からない以上、その方法について議論することが出来なかった。
この世界には『魔法』というものがあるせいで、イワオやソウタには、可能なことと不可能なことの境界が曖昧だった。
彼らからすれば常識的に不可能だと思われるようなことが可能だったり、「それ出来んねやったらこれもイケるやろ」ということが普通に不可能だったりする。
イワオは1人頭の中でぐるぐると考えた結果、1つのアイデアにたどり着いた。
「そういえば、教官て、独身やねんて」滑り込みで間に合った食堂で朝食を取った後、イワオは切り出した。
「ほーん。美人やのにな」
(よし、ええぞ……)とイワオは腹の内で深く頷く。例えばこれで、教官の機嫌が良かったりすれば、この会話が聞かれていたことになるのではないか。そうなれば、食堂はレッドゾーン、あるいは、ソウタか自分に、何か盗聴機のようなものが仕掛けられていると考えられる。
「婚活とかしてはんねやろか。どんな感じやろな」とソウタは続ける。
イワオは曖昧な返事をしながら、(アカン、これ以上余計なこと言うな)と念じる。が、その思いも虚しくソウタは止まらなかった。
「想像したらオモロいな。取材したらええんちゃう? ディスカバリー・チャンネルに売ったんねん。ヌーとクロコダイルの特集の間に入れろ言うて」
「お前、警戒心ガバガバか……」
これが聞かれていれば、残念だが今日はソウタの命日だ。
朝のランニングは、いつものように教官が牽引したが、幸いソウタは無事だった。しかし、まだ油断は出来ない。
イワオは次の訓練の準備を手早く済ますと、ソウタと別れてフィガロの部屋を訪ねた。適当な用事をでっち上げて部屋に入ると、また教官のことを話題に出した。
「マジでやべえよな、あの女。知ってるか? 教官の食器だけ、オリハルコン製の特注らしいぜ。
こないだ、林檎が手に入ったんで、媚び売るつもりで持ってったんだよ。その時、ちょっと興味本位で『林檎、潰せたりするんすか』って聞いてみたんだけどよ。何て答えたと思う?
『林檎なんて潰さずに掴む方が難しいだろ』だってよ。もうグリズリーと交配しろよ。その遺伝子を一代で絶やすのはもったいねえ」
(すまんフィガロ。お前も今日でお別れかもせえへん)
イワオは気休めに教官を褒めちぎって、次の武器格闘訓練に向かった。
校庭では同期15名が2列向かい合わせに並び、その中に教官が入る。3分間打ち合うと、教官を除いて時計回りに回り、また3分間の稽古を繰り返す。
イワオは横目で、常にフィガロやソウタを視界に入れた。彼らが教官と当たる番になったら、自分が助けに入らねばならない。
「イワオ、どうした? 全然集中してねえな」と相手に立ったドラベッラが言った。
「いや……」と曖昧に返して、イワオはまたソウタたちを視界に入れつつ身の入らない稽古を続けた。次はいよいよフィガロが教官と当たる。その次はソウタだ。
しかし、イワオの懸念に反して、教官の稽古は何事もなく終わった。むしろ、いつもより少しヌルかったぐらいだ。
(美人や言うたのが効いたんやろか? フィガロの話は聞こえてへんかったんかもな……)
そのように考えているうち、今度は自分が教官と当たる番だった。『始め』の合図と共に、木剣を振りかぶって打ちかかる。教官がこれを片手で受けて鍔迫り合いになると、教官はイワオの耳元に囁いた。
「『ディスカバリー・チャンネル』ってのは、お前らの世界の雑誌か何かか?」
イワオは沼のような恐怖に足をとられ、額の生え際から汗が溢れるように垂れるのを感じた。
「ふふっ。ヌーとクロコダイルの間とは、あいつは中々わかってるな。俺の強さを」そう呟くと、教官は改めてイワオの目を見た。
「お前、俺とソウタの間を取り持て。俺はつがいに強さは求めねえ。俺が十分強いからだ」
やはり、教官はソウタを狙っていた。剛力無双のストーカー。これほどタチの悪い存在が他にあるだろうか。
(しかも、恋愛観が全然分かれへん……)イワオの頭の中を、今まで読んだラブコメの数々が、走馬灯のように流れていった。
「教官、『暴力系ヒロイン』は、もう流行れへんのです」そう言うと、教官の眉がピクリと跳ね上がった。
「ほう、後で、詳しく聞かせろ」
イワオの稽古は恐怖の内に終わりを迎えた。
実は、教官が喧嘩の顛末を知ったのは、上級生の担当教官との間に情報共有があったからで、イワオとソウタの会話の内容を知ったのは、彼女もその時食堂に居合わせていたからだったが、軍の連隊長にまで登り詰めた彼女は、そうした限られた情報から真実を導き出し、また相手を恐慌に陥れる権謀術数にも長けていた。
そして、恋をする女より強い生き物は、残念ながらこの世に存在しないのである。




