26.鬼教官
朝6時、彼らはけたたましい起床ラッパの音と共に叩き起こされる。
続いて教官の怒鳴り声が廊下中に響き渡る。「オラ! 起きろこのブタども! パジャマパーティーは終わりだ! 並べ! 1ミリも列を乱すな! 頬骨の張ったお洒落女の前髪みたいに並ぶんだ!」
「どういうことやねん。例えが独特で分かれへん」支給された制服に慌てて着替え、廊下に並ぶ列中から、ソウタは小声で呟いた。
「ぱっつん前髪ってことちゃう?」
「ぱっつんと頬骨て相関性あるか?」
「分からんわ」
と、気付けばソウタのすぐ側で、教官がその顔を覗き込んでいる。驚くべきは、そこに来るまで全く気配を感じなかったことである。
「おい、お前ら2人、誰が私語を許可したんだ? こそこそ小声で喋れば、俺の耳に届かないとでも思ったか?」
「近い近い……キスする距離ですやん」とソウタは思わず口走った。
教官はそれを聞くと、大声で笑った。
「キスだと? 勘違いするなこのブタ野郎! 今日からの訓練でゲロまみれになることが分かりきってる貴様の汚い口に、誰がキスなどするか! 俺とキスがしたけりゃ、前歯でジジイのケツ毛が剃れるくらい歯を磨いてから出直して来い!」
(口悪いわぁ……)とソウタは心の底から思ったが、さすがに声には出さなかった。
「貴様と、その隣のデカいの!」と教官はソウタとイワオを指したが、教官自身もイワオに引けを取らず身体が大きい。「この2人を除き、朝飯に行け! 2人は俺が直々に鍛え直してやる。悦べ。背中に重石が乗ってないとナニが勃たねえクソマゾブタ野郎に調教してやる」
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「こらあかんわ……」朝食から帰って来る同期たちを出迎えながら、ソウタは呟いた。
「マジや。これは、ちょっとガチ過ぎる」イワオもムチで打たれた尻をさすりながら呟く。
結果から言えば、辛うじて彼らがクソマゾブタ野郎にまで成り下がることは無かったが、40kgの重石が入った背嚢を背負わされて腕立て伏せの姿勢をとり、教官が「下げ!」と叫べば腕を曲げて顎を地面のすれすれにまで下げ、「上げ」と怒鳴れば肘が伸びきるまで上げ、その間教官の罵声を浴び続けるという、シンプルだが苛烈な責め苦を45分間に渡って受け続けていたのである。
潰れそうになったソウタをイワオが励ますと、教官はまた勝手に声を出したことを咎めて鞭を振るった。
バーバ・ヤーガがこれを見ていれば、恐らく黙ってはいなかっただろうが、イワオは、学校に行くのはこれからの2人の将来のためだと彼女を説得しており、また学校側も、イワオとバーバ・ヤーガの関係を認知して、『通信防壁の結界』なるものを施していた。
「ソウタくん……イワオくん……」と控えめな声が聴こえて振り返ると、思っていたより少し下の方に、パミーナの姿があった。
「パミーナちゃん。おはようさん」と2人は疲れ切った声で言った。
パミーナはきょろきょろと周りを見渡して、そこに教官の姿がないことを確かめると、懐から2つ、紙の包みを取り出して、「こっちがソウタくん、こっちがイワオくん」と彼らに手渡した。「次の訓練の集合まで、ちょっとだけ時間があるから……」
包みを開けると、レタスとハムが挟まったパンである。
「周りの目があるから、少ししか持って来れなかったけど……」とパミーナは申し訳なさそうに言った。
「君は、この残酷な世界に遣わされた天使なん?」ソウタが思わず呟くと、パミーナは顔を真っ赤にして、逃げるように走り去ってしまった。
2人は部屋に戻り、貪るように喰らい付いた。
「なあ、お前の方、心持ち大きない?」とイワオは言った。
「お前、何を細かいこと言うてんねん。ちょっと引くで」
「いや、ちゃうくて。ハム2枚入ってたやろ。可愛いな思って」
「まさかやろ。たまたまや」とソウタは言った。
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その後、校庭に集められた彼ら20名の同期は、「我が校の演習場を案内する! ついて来い!」とだけ言って駆け出した教官を追って走り出した。
「我が校は、16,800haに及ぶ広大な演習場を有している! 貴様ら雌ブタどもを、凶暴なゴリラに鍛え上げるための大演習場だ!
これまで多少、剣のお稽古、魔法のお勉強をしてきた銀バエどももいることだろう。将来は『剣聖』だの『大賢者』だのと、大それた二つ名を冠して歴史に名を残すなどという夢想をしているクソ虫が。
舐めるな! このオナニーチンパンジーどもが! 貴様らがこれまで『努力』などと呼んできたものは、この学園の1日分にも満たん!
貴様らの夢物語は、ゲロに塗れて這いつくばった、その道の先にのみあるものだ!」
といった調子で、教官は走っている間中、暴言を吐き続けた。
錯雑した森の中に通った、馬車一台分くらいの林道である。
彼ら同期は必死でその背中に追いすがり、しかし徐々に離され始めると、教官はまたそのことを咎めて怒鳴り散らしながら戻って来る。
「あの人、体力どないなっとんねん……」とソウタは息も絶え絶えに漏らす。体感にして40分程度、10kmほどは走っただろうか。しかし教官は全く息を切らす様子もない。対して、彼ら20人の同期は、何の予備訓練も受けていない新入生である。
「貴様らカメか! そんなことでよく騎士だの冒険者だのと世迷い事を吐けるものだな! せめて汚い口を閉じていろ! 牛のゲップより環境に悪い!」と、教官は新入生たちを見渡して、より一層顔をしかめた。「あ? もう1人脱落したのか!」
ソウタは慌てて周りを見回した。自分も必死で気付いていなかったが、パミーナの姿が見当たらない。考えてみれば、あんな小さな女の子が、このペースに付いて来れるわけがないのだ。
「俺が、連れて戻ります!」とソウタは言った。
教官はソウタを睨んだ。「また貴様か! いつから俺に進言出来るほど偉くなったんだ!」
「いや、なんとか追いつきますんで、頼んます!」
イワオがソウタの肩を掴んだ。「俺は戻りまっせ。ここで見捨てて行くような奴は男やあれへん」
「そういうことですねん」とソウタも踵を返し、元の方向へ戻って行った。
「ふん。勝手にしろ」教官は嘲るように笑った。
パミーナは、そう遠くない位置に倒れていた。10kmほどの地点までは、彼女も走っていたのである。
「パミーナちゃん、頑張ったな。ほら、一緒に行こな」と言って、ソウタはパミーナを背負った。
パミーナは何か言おうとしたが、声が出ないらしかった。虚な目で、宙を掴んでいる。
「ソウタ、交代で行くで。キツなったら言いや」
「もう、ずっとキツいけどな」
彼らは再び走り出した。
その後彼らは結局、一度先頭集団には追いついたものの、ついぞ教官の背中に届くことなく、20kmほどの地点で脱落した。同期は25km地点までに全員脱落したそうだ。彼らを回収する馬車の中で、教官は言った。
「これが、ダンジョンだったら、戦場だったら、この時点で貴様らは全滅だ。途中で戻った2人、残念だったな。貴様らのやったことは、ただ行って戻って死んだだけ。全くの無意味だ。この演習場の外周は51.85km。貴様らはその半分にも届かんカスどもだ!
体力! 体力! 体力だ! それがなければ、剣技も、魔法も、披露する間もなく貴様らは死ぬ!」
「勿体ないなあ……」とソウタは喘ぎ喘ぎ呟く。
「あ?」と教官が睨むのも構わず、ソウタは続けた。
「口汚過ぎますねん。美人やのに」
教官はソウタの顔面をしこたま殴った。恐らく、イワオの回復魔法がなければ死んでいたという程度までである。
しかし、教官の頬を赤く染めているのは、ソウタの返り血ばかりではなかった。
教官である【烈女】ハンナ・シュヴァルツとは、女性にして史上初めて、魔法ではなく剣技で歩兵連隊長まで上り詰めた伝説の軍人であり、32歳独身である。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
このお話は、1話2000〜3000字程度で書こうと決めていたのですが、教官の罵詈雑言を考えている内になんか降りてきてしまって、少し超えてしまいました。
鬼軍曹キャラ(連隊長まで上り詰めたとしたので、実際は中佐〜大佐クラスになりましたが)を作ろうというのが最初にあって、最終的に叙述トリック的に女性だということを最後に示したら、読み返した時に読み味が変わったりしないかな、という淡い期待を抱いております。
書いてる方としましては、最初から実は女性ということを知っているので、あんまり効果が分からないんですが、いかがでしたでしょうか。
演習場の広さは、日本最大である矢臼別大演習場から引っ張っています。
訓練の強度やそれに対する達成の度合いについては悩み所で、完全な一般人レベルにしてしまうとその後の展開に苦労しそうだというのと、かといってあまり超人的にしてしまってもインフレが起こってテーマから外れるので、これまでのレベルの上昇によって、普通のスポーツマン(陸上選手ではない)よりちょっと出来るレベルくらいに調整しています。
本文中にも触れましたが、冒険者としてダンジョンに臨むことを想像した時、それがどんな役割にせよ、最低限自分の身を守る戦闘力はさることながら、前に書いた洞窟のような所ではケイビングやロープ昇降などの技術、何より行って帰って来るだけでもかなりの体力が必要になるでしょうから、筆者である私自身がクソマゾブタ野郎であることを抜きにしても、準備段階としてこうした地味なキツい訓練が必要になるのではないかと想像します。
といったところで、是非ご意見やご感想を頂戴出来ればと思います。
いやマジで、反対意見でもなんでもいいので何か書いて欲しい。寂しいです。
今後とも宜しくお願いいたします。




