◆第4話 「聖女」
正直、自室に戻った今でも今日のことは夢、もしくは幻だったのではないかと思ってしまう。いや、夢ならばこの世界での生活すべてがそうなのだろうが。しかし今日は特別、自分にとっての夢のような出会いが起きた日なのかもしれない。
あの、僕のあこがれ全てをかっさらっていったドブラ。彼、ではなく彼女が日本人かもしれない。この疑いを確定させてしまうのがおしく、聞くべきか聞かざるべきか。うじうじと悩んでいたら結局尋ねられずにお別れすることになってしまった。
いや、実際、これからの挨拶をして、そうしてすぐ彼女は次の試合へと向かってしまっただけだが。聞けば、ドブラはこの闘技場の売れっ子選手らしい。今日もかなりの試合数の中、わずかな時間を割いてくれていたようだ。そうして僕は三日後にこの期待を持ち越す羽目になった。
でも僕があの場で日本人ですかだなんて馬鹿なことを聞いてみろ。レオンがいきなりおかしくなった僕らに何を思うか。それに、ニナが日本人、いや異世界人?この世界的にはそうなるはず...異世界人でなかったら、気まずすぎる。初対面でいきなり変なことを聞いてくる不審者。その像はたやすく僕の胸に浮かんでくる。そうして、他人行儀になるニナとレオン。いや、レオンは特に変わらないかもしれないな。人への興味が薄そうだったし。
うだうだとシーツを足に巻き付ける。昨日もそうだったが、やけに寝苦しい。夏もまだ来ていないのに、なんだか体が熱くなって、目が開いて、どうしても眠る事が出来なかった。もしかして、同じ転生者なのかもしれない。そうでなくともあの鎧のデザイン元について知る事が出来れば、会えるのかもしれない。そうして、そうして、きっと、僕は異世界から日本に帰れるのかもしれない。
寝返りを打つ。夜闇に慣れた目が自分の髪を見つける。闇に紛れ、今にも消えそうな黒い髪。日本に居た時と同じ。どうしても処理が出来ないときが多く、昔より伸びてしまったけれど、それでも日本人の要素といえるものを見て心が落ち着く。日に照らされて黒いままなのを確認できる時まで、故郷の名残を失わないように見つめ続けた。
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走る。走る!広場の中へ!スライディングを通行人に披露する。そうして時計の下の、もう見慣れてしまった後ろ姿に声をかける。正直今の時点で僕はレオンの顔より背中と話している時間の方が長い気がする。彼が振り返って視線が合う。まだ顔は忘れていなくて良かった。確信をもって彼に駆け寄る。
「すみません!お待たせしました!」
「間に合っている」
「あれ?ドブラ、えっとニナさんは?」
レオンが首を横に振るのを確認して、少し気が楽になる。どうやら僕は最後ではないらしい。ただ、彼とただ待つだけというのも気まずい。緩んだ気持ちは少しの待ち時間ですぐに張り直されていた。うーん。何か話すべきだろうか。正直、ニナにする質問のことで頭がいっぱいになりかけている僕は、ろくな会話デッキも作れなさそうだ。そうしてどちらからも会話をすることなく、時計を見つめる。
丁度、時計の針が0を示したとき、大きな声が広場に響いた。
「またせたな!」
青い髪の少女がこちらへゆったりと歩いてくる。どうやら今日はあのロボッ、いや、鎧には乗ってこなかったらしい。なんとなく、鎧の姿の方で集合すると思っていたが、TPOはわきまえるタイプらしい。
「キサマら、早すぎないか?」
「いや、ニナさんがギリギリすぎるんだと思いますよ」
「そうか?時間の有効活用って言って欲しいぜ!それに会えたから良いだろ?」
そう言って笑顔で僕の隣に並ぶ。緊張の糸がやっと本当に緩められた気がした。こちらを見上げ、どこへ行くのか聞いてくるニナさんに同調しつつ、同じ疑問をレオンにぶつける。
「治癒士を雇う」
一言述べ、彼はそのまま歩き出す。前回と同じパターンだ。順応が速すぎるが、それでも慣れてしまっていた僕はそのまま後を追う。そして、後ろから慌てたようにニナが来るのを前の僕のようだと思いながら待った。
「おい!レオン君!!どこに行くんだと聞いている!!」
待たなくてもいいかもしれなかった。とんでもない大声でニナは叫び、僕の耳は悲鳴を上げる。レオンもこれには驚いたのか振り返る。初めて見たな、あんな顔。もしかして今の僕もあんな顔をしているのだろうか。間抜け面二人が一瞬にして錬成されていた。
「城に行く」
「そうか」
あっけにとられたようなレオンと、あっけにとられた僕は「では向かうぞ!」という彼女の号令でやっと意識を取り戻す。そのまま彼女の快活な足音につられるようにして僕らは城へと向かった。
入城は簡単だった。レオンが勇者なのだという事実を目の当たりにし、今更ながらとんでもないパーティに入ってしまったものだと後悔したくなる。いまさらそんなもの、しても意味がないのだけれど。先導することに飽きたのか、それとも興味が別のものへと移ったのか。ニナは僕の隣に戻ってきていた。レオンが先頭になり、入城までの歩みより幾分か早くなっている。そういえば、いつから治癒士と会う予定だったのだろう。報連相の不足がひどすぎて、会社なら2,3回倒産しているかもしれない。今からでも治癒士について聞いてみようか。ニナに相談しようと横を振り向くと、先ほどまであった青がなく、代わりにでかすぎる鈴のような声が角から聞こえる。ニナだ。
どうしたんですか、ニナさん。そう聞こうと角を曲がり、現場を見て慌ててニナたちのもとへ駆け寄る。ニナは男性を抱えていた。といっても、完全には抱えられず頭だけを持ち上げている、といった方が適切な格好だ。そして、男性は、頭から血が出ている...?
「大丈夫、ですか…!?」
ニナは困ったようにこちらを見る。表情は如実にオレに分かるわけがないだろうが!と言っていた。男性の胸元のブローチが光り輝く。呼吸に合わせて揺れているようだ。呼吸、荒すぎるかも。
「移動するぞ」
「おい!いきなり動かすな!」
「ついてこい」
戸惑っているうちにレオンが追い越してきていた。そのまま男性を抱え上げ、歩き始める。どうにもこうにもよくわからないままだ。それでも出来る事と言えば、やっぱりレオンの後をついていくことだけなので、またその背中を追うことになった。
「開けてくれ」
先ほどいた場所よりも城の奥まったとある一室でレオンは歩みを止めた。今まで歩いてきていた廊下とは雰囲気が違い、静謐、厳か。そんな言葉が似合いそうな空間だ。尻込みして遅れた僕に代わり、ニナがノックをする。返事を待たずに開けた。
「たのもう!急患だ!!」
レオンのなぜ君が開けなかったんだ…という恨みのようなものをひしひしと感じながらも扉ストッパーの役を演じる。あんな勢いよく入っていくとは思わんて。
ストッパーの役目を果たし終え、やっと部屋に入る。室内は廊下と同じく、静謐、厳か、そんな文字が似合いそうな空間だ。全体的に白く、ふとしたらここが療養所のようにも見えるような装い。そして印象的なのは複数のベッドと治療用と思わしき器具。ここが医務室かそれに連なる部屋なのだと認識する。レオンはこの城について詳しいらしい。いいな。一度は城で寝泊まりをしてみたいな。家のシーツよりも肌触りのよさそうなカーテンに目が奪われ、いや。目が奪われたのは一人の女性だった。カーテンだと思っていたものは仕切りのようなものだったらしい。布をめくり現れた女性は、一目見た瞬間、この空間の主だと理解した。ここは彼女のために作られた部屋なのだ。薄い金の髪が光に透かされ、透明になる。それを押さえつけるために持ち上げられた腕も光の前ではその透明さを隠せず、まるでそのまま光に溶けてしまいそうだ。そうしてこちらを、バラ色の瞳が見つけた。
「…レオン様のご友人様、どうぞお入り下さい」
これまた透明な音が耳をくすぐる。眉を下げ、そのまま口元を控えめに上げる所作は誰がどう見ても絶世の美人だった。ええと、はい。そんなことを言ったような気がする。そうして彼女に導かれるまま夢のような空間へと自身を潜り込ませる。涼やかな匂い。天国のような空間だった。もしかしたら僕はこの瞬間のためにこんな恐ろしい世界に居たのかもしれない。そんな幻想を胸に抱く。
「ノア君!早く来たまえ!そこは邪魔だ!」
くそでか鈴に幻想を壊される。ニナがこちらを見ていた。かなりあきれたような、心配するような表情に慌てて同じソファに着席する。何だったんだ今の。
「ノア君、キサマ...面食いか!?」
「っえ!?いや、いやいやいや違いますよ!?!?」
「いいや!ちがうな!今のは完璧に気を取られていただろう」
「ホント、カーテンがいいなって思ってただけですから…」
「?カーテンなんてなくなかったか??」
いやありはするだろ。節穴のせいでより窮地に立たされながらも必死に弁明を重ね、ふと気づく。
「あれ?レオンさんは?」
「彼は今、男性をベッドに運んでいます」
おっと。背筋を伸ばす。失礼なことを散々重ねてきてしまった相手だ。しかも素性も知らない。隣の青は相変わらず背もたれに背を預け切っているのが気になるが、この際無視することにした。
「いきなり来てしまい、申し訳ありません。僕ら、レオンさんのパーティメンバー...」
「まぁ!レオン様の!?」
女性の瞳が輝く。手を取られ、その柔らかさにすぐさま密を回避、ソーシャルディスタンスを保ちたくなる。陰キャは異性に弱いという生態を彼女はどうやら知らないらしい。陽っぽいしな。
「そうだぜ、お嬢さん。オレはニナ。こっちがノア」
「!失礼いたしましたわ。レオン様から聞いているかもしれませんが...私、王室付き治癒士、セシリアと申します」
もたついた僕のバトンを勝手に奪い、ニナが言葉を続ける。セシリアは僕の手を離し、ソーシャルディスタンスを再度保持する。恥ずかしそうにしながらも丁寧な自己紹介はすぐ僕らに一つの回答をもたらした。
「キサマ、噂の聖女サマか!噂より断然いいヤツだな!」
「…きっと噂より出来ることは少ないですよ」
なぜこの隣人は権力に逆らおうとするのだろうか。まともなコミュニケーションを捨て去った少女を横目で見る。首を傾げられた。TPOはやっぱり知らないようだ。くるくるとセシリアは部屋の中を行き来する。衣服や包帯、きっとこれからの治療に使うのだろうものを集めながらも会話を続ける。
「そういえば、レオン様、私について何かおっしゃっていましたか?」
「いや?知っていることすら知らなかったぞ!」
「まだ僕ら、知り合って間もないですから」
「そうだったのですね。レオン様がこうしてどなたかとご一緒なのは珍しいので……わたしの知らないところで、随分親しい方ができたのかと思ってしまいました」
「仲間ではあるな!」
「……そうなのですね」
「彼、ベッドに置いて来たぞ」
「あら、レオン様。ありがとうございます」
治療に向かいますね、と退室したセシリアの代わりに元凶が帰還した。やはりこいつも素知らぬ顔で僕らに首を傾げる。説明、頼むぞと念を送っていたら、ああ、とうなずいた。
「治癒士はこいつじゃない」
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