◆第5話 「話」
入ってきたのは比較的若そうな男性だ。しかしどうにも衣服の汚れやしわが目立つ。背は高そうなのに猫背が彼を平均程の背丈に留めていた。そして極めつけは眼だろう。じろりとこちらを見て、そのまま見つめられ続ける。怖いタイプだ。どきどきしながらも説明を始める。それを男はふんと鼻で返事をしていた。視線はうろうろと僕や部屋を見る。
僕の最後の言葉をまるで繋げるかのように男性は口を開いた。
「……なるほどなぁ。あんた、窮屈な生活をしているようじゃぁないか」
想定外の切り口だ。このまま願いの話をしようとしていた僕はそわりと動いた手を神妙に膝に置いてごまかした。
「ええっと、僕の事ですか」
「そうだ。あんた、巷じゃ稀代の黒魔術師だか悪魔の代弁者だか言われていたからさぞ快適な暮らしを満喫しているんだろうと思っていたが。まさか、こんな飼い殺しみたいな生活をしているとは」
すごい。こんなことを言われたのは初めてだ。これは馬鹿にされているのか?多分されているんだろう。みすぼらしくて悪かったな!
「思われているよりも自由に暮らさせてもらっていますよ。それに噂はただの噂にすぎません。僕はそんな、大それた人じゃないですよ」
「いいや、あんたは大それた人だ!今はまだ、力のうまい使い方をわかっていないだけさ」
身を乗り出され、僕は少しのけぞった。怖い話をされている気がする。時々あるんだよね、こういうの。そして毎回僕は怪我を負うことになる。
今回こそは無傷でこの場を乗り切ろうと椅子の傍らにある甲羅に触れた。2回叩いて、言葉が使えないから代わりに魔石を中に入れる。
「俺なら、あんたをこんな場所で腐らせたりしねぇよ」
死体じゃないんだから。おかしな返事をしかけて留まる。そのせいで気が抜けたおかしな音だけが漏れ出ていった。
「もっと豪華な部屋で、あんたを下に見ていたヤツをへりくだらせながらウマい酒が飲みてぇって思った事はないか?」
「いえ、あんまり。お酒は好きじゃなくて、」
「酒が嫌い?いいな、あんたらしくて堅実だ。でもそんな修道士みてぇな生活をしていちゃぁ、全部あのお貴族様に分捕られてあんたは死ぬことになるぜ」
「えぇっと、はい......」
「でもあんたも死ぬほど恨んでるやつくらいいるだろ?それに俺たち貧民がお貴族様たちを顎で使えるような立場になれた時の爽快感はとんでもねぇぜ」
「いや、特には、」
「恨んでるやつがいねぇのか。そりゃいい。恨みは人の見境を失くしちまう。あんた、ますます気に入ったぜ」
「それは、どうも」
「そうだな、想像がつかねぇのも仕方がねぇけどな。俺は一度、上流階級のトップに立ってたんだ。色々あってな、今は使われる立場に逆戻りしているが」
「はぁ、」
「あぁ、まだ俺のことが信用ならねぇんだろう。わかってるさ。信用は積み上げていくもんだからな」
「あぁまぁそれは、」
「うーん、そうだな、んじゃこうしよう。あんた、コイツを増やしてはくれねぇか?」
一方的に語りかけてきていた男は懐から数枚の金貨を置いた。なるほど、何かを増やして欲しいという話らしい。早く言ってくれればよかったのに。
しばらく待つが動きはない。あっこれ、金貨を増やせって話か。でもどれを増やせば良いのだろうか。
「ええっと、これは何枚を増やせば良いんですか?」
「何枚?10枚全部だ。あんたなら出来るんだろう?」
それじゃ対価が無いことになってしまう。この人、僕の能力を噂だけで信じてきたみたいだ。説明を改めてすることにする。その後に増やす量は決めてもらえば良いだろう。
「申し訳ないですけど、僕の能力は対価がなければならないんです」
「ああ、そうらしいな」
頷かれても困るんだけど。
「ですから、この金貨すべてを増やすのであればこの金貨たちと対等になる価値のものを渡して下さらないと、増やせないんです」
「?払っているだろう」
何をだ。ほとほと困り果てる。男は眼を細めてにたりと笑った。
「あんた、俺の話を聞いていたのか?人の話はちゃあんと聞いておかなきゃなんねぇよ」
「ええと、すみません。もう一度教えていただけますか」
「俺はあんたにここ以上の衣食住と喜びを与えてやる。この国を好きに動かせるっていうな!」
それはなんか、妄言とかのたぐいだろ。対価について聞いているんだ僕は。
「すみません、対価として渡せるものについてお聞きしたいのですが」
「だから、それだよ」
もしかして、この夢みたいな話を対価として差し出そうとしているのか。後払い制度は初めてのタイプだ。出来るのかなと考えるがすぐに難しいだろうと結論付ける。後払いではこの能力の動力にはならないし、そもそも実現するかどうかわからない。
「それは、対価としては難しいですね……」
「難しい?そうか。じゃ、俺たちの最初の関門ってことだな。あんたも自分の力を伸ばせられるいい機会みたいだし、よかったな!」
「いや、多分成功しないですよ」
「そんなハナっから諦めてちゃあイケナイぜ。相棒。俺たちの未来、試してみろよ、」
相棒になってしまった!
このまま押し問答を続けていても意味がないし、試してみて無理だったら大人しく帰ってくれるかもしれない。とりあえずやってみる。手を金貨にかざして増えるように意識を集中する。だんだんと意識が遠のいて......
目を開ける。金貨は10枚のままだ。この条件は無理らしい。やっぱりね。
「無理でした」
「なかなか難しいみたいだな。ま、気を落とすな。地道な努力が物を言う事もあるからもう一回試してみたらどうだ」
なんかグリッチでも探しているのだろうか。同じ行為をもう一度させようとしてくる彼から少し距離を取る。何回やっても同じだし、彼は納得がいくまでずっとやらせてくるだろう、そんな感じの迫力だった。
「すみませんけど僕にはそのお願い、叶えられませんので!別の対価をお願いします!」
「努力、できねぇと、この道は難しいぜ」
もう一回、頑張ってみなと男がこちらへと近づいてくる。うわぁ!慌てて後ろにあるカーテンの紐を引っ張った。これで誰かは来てくれるはず。
「な?っておい!これはなんだ!」
男が僕の手に触れようとして、壁に阻まれる。1mもないその距離で男はがんと透明な壁を殴りつけた。ひぇ。甲羅に仕込んでおいた防壁はちゃんと動いているらしいが、やっぱりこれは怖い。
「おい!手前ぇっ!優しくしてやったらつけ上がりやがって!」
がんがんと音がする。僕は椅子を盾にして甲羅を隠すようにしゃがんだ。
あとはもう、耐えだった。
うるさく鳴り響くたたきつける音と男の暴言を聞き流し、早く終われと念じる。そうしていれば、扉から誰かが入ってきた。男が取り押さえられて連れていかれる。
そうしてやっと静寂が戻ってきた部屋は悲惨なほどというわけでは無いが、荒れていた。
朝に整えたソファのクッションたちがぐちゃぐちゃになっているのは良いが、棚や机上のものたちが落ちていたり倒れているのは面倒だ。
せっせと片付けていく。お昼休みはつぶれるだろうなと予測して、次の予定を思い出す。それまでに片付けられれば良いのだけれど。
「あ」
思い出した。この部屋は使わないんだった。




