第53話 地下水脈の救出路
「北農場、崩落! 住民二十名が地下区画に取り残されました!」
建国三日目、百二十七日の朝。伝令の声で、配水会議の木札が床へ散った。
俺は立ち上がる。
「空気は」
「換気筒が敵に押さえられています。内側から扉を閉じた者がいて、呼びかけにも応じません」
北農場は昨日の毒で灌水を止め、地下倉庫へ種と幼い魔物を移していた。そこが崩れれば、冬越しの食料計画まで失う。
「俺が正面を破る」
地図へ爪を置いた瞬間、ミーナが固定された右翼を指で弾いた。痛みが肩まで走る。
「派手に壁を壊して、また翼を盾にするつもり?」
「正面が最短だ」
「負傷を隠して目立ちたいだけでしょう」
「王が目立つのは当然だ」
「今のは否定になってない」
グラウが地図へ三本の線を引いた。
「案は三つ。正面坑を破る。換気筒を奪う。旧水脈から地下へ入る。正面は速いが崩落の危険が高い。換気筒は敵が待つ。地下水脈は遠いが、敵の視界外だ」
俺は正面線を見た。太く、分かりやすく、王らしい。
次に地下線を見る。細く、曲がり、途中で三度も分かれている。
「地下だ。グラウが指揮を執れ」
自分で言っておきながら、胸の奥がざらついた。
「陛下は?」
「入口で全体を見る。俺が入れば道を塞ぐ」
グラウは一瞬だけ俺を見た。慰めも称賛もせず、すぐ役割を割り振る。
「ポロは水の向き。ガンツは荷重。俺が人員配置。ミーナは入口警戒。陛下は領域知覚で上の敵を見てくれ」
命令が俺のものではなくても、皆が動く。
それが少し寂しく、同じだけ頼もしかった。
旧水脈の入口は、北農場から南西へ百歩離れた井戸底にあった。ポロが先に潜り、壁へ青い泥で矢印を描く。ガンツは天井を叩き、音の戻りで支柱を置く位置を決めた。
俺は井戸の縁から領域知覚を伸ばす。
閉じ込められた二十の反応は弱いが、まだ動いている。その一方で、地下扉の近くに一人だけ立ったままの人影があった。首の辺りに、刺すような魔力。
「扉を閉めた者に印がある。ヴァルガの従属印に似ているが、同じとは限らない」
セラが記録板へ書き込む。
「救出後の拘束を準備します」
「処罰ではない」
「もちろんです」
「本人の意思より先に、命令源を切る。責めるのはそれからでも遅くない」
井戸の中からグラウの声が返る。
「道が二つに分かれる。右は水、左は空洞。ポロは右と言っている」
「水の道を使え。空洞は敵が作った可能性がある」
俺が答えると、グラウは「了解」とだけ返した。
やがて救出隊の振動が地下倉庫へ近づく。ポロの流す水が、塞がった岩の隙間から内部へ届いた。閉じ込められた者たちが石を叩き、三回、二回、三回と返事をする。
生きている。
その瞬間、水の流れが逆転した。
井戸から空気が吸い込まれ、ポロの悲鳴が響く。北側から強い水圧が送り込まれ、旧水脈を一気に満たそうとしている。
「全員、退避!」
俺は叫んだ。
「退かない!」とグラウが返す。「ガンツ、圧を受けろ! 第三支柱まで積め!」
井戸底で轟音が重なる。ガンツは運び込んだ石籠を横倒しにし、即席の圧力堤を築いた。水は完全には止まらず、細い流れに分かれて倉庫側へ抜ける。
「ポロ、呼吸できるか!」
「できる! 水はぼくが曲げる!」
青い光が井戸の奥を走る。逆流が壁沿いへ寄り、人が這える空間が中央に残った。
「前進継続。第一班は救出、第二班は退路維持」
グラウの声は揺れない。
俺は地上を見た。換気筒を囲んでいた敵の反応が動き始める。牙の長い獣が六、農場の崩落口へ向かう。地下救出に気づいたのだ。
「地上敵、六。二分で入口へ来る」
「陛下、上を頼む」
任された。
俺は井戸から離れ、前脚を地面へ踏み込む。ミーナが隣へ並んだ。
「近接は禁止じゃなかったのか」
「昨日の診察で地上防御は許可された。十五分だけね」
「では俺の後ろに」
「右翼が裂けてる王の?」
「左側なら完璧だ」
獣たちが土煙を上げて来る。先頭の背には、人間の農場兵がしがみついていた。首の従属印が黒く光り、手には短剣がある。
「殺すな!」
俺は竜圧を地面へ落とし、獣の足を鈍らせる。ミーナが横から土を蹴り上げ、先頭を群れから外した。
農場兵が短剣を自分の喉へ向ける。
俺の爪は、その手より早く動いた。
喉を裂けば、命令ごと止められる。
だが爪先が皮膚へ触れる寸前、俺は止めた。
「お前を殺して、命令した奴を助けるものか」
農場兵の瞳から涙が落ちる。腕は止まらない。ミーナが手首へ肩を当て、短剣の向きだけを逸らした。俺は爪で刃を挟み、折る。
残る獣が左右から迫った。
グラウの第二班が井戸から戻り、泥を詰めた袋を投げる。袋は獣ではなく、農場兵の首へ当たった。中に仕込まれた細い刃が、従属印の外縁だけを削る。
黒い光が途切れた。
農場兵の全身から力が抜ける。
「命令術式だけ破壊した」とグラウ。「本人は生きている」
「救出は」
「全員、移動を開始した」
俺たちは獣を井戸から引き離した。ミーナは突進せず、横へ回って足場を崩す。俺は尾で進路を塞ぎ、グラウの兵が縄をかける。一頭も殺さずに止められたのは、首の札を壊した途端、獣たちが戦意を失ったからだ。
井戸から最初の子どもが上がってくる。次に作業員、種袋を抱えた老人、震える幼い魔物。二十すべての姿を数え終えるまで、俺は入口を離れなかった。
最後にガンツが出てきた直後、地下で大きな音がした。
北農場の地面が半分沈み、水が噴き上がる。
種袋の多くは救えた。命も全員救えた。
だが畑の半分は泥の池になった。
セラが濡れた収穫板を広げる。
「予定していた冬作は不可能です。現在の備蓄九割を配給すれば、籠城中に不足します」
喜びの声が静まった。
救出は成功した。食料計画は崩れた。
王の仕事は、勝った場面だけを見て終わることではない。
「今日中に畑ごとの残量を出す。空路の補給を再開する。敵の肉も食べられる部分は無駄にしない」
「空路は監視されています」
「だから三つに分ける。奴らが全部を見られないようにする」
ガンツは救出路の入口へ、水密扉を取りつけ始めた。ポロは逆流した箇所へ弁を置く。グラウは全員の首から番号札を下げさせた。
「何だ、それは」
「地下へ入った人数と出た人数を一致させる札だ。今日、最後まで数えたのは陛下だけだった。次は誰でもできるようにする」
「扉も一枚では足りない」とガンツが言う。「三区画ごとに水密扉。逆流弁。月に一度、閉じ込められた想定で訓練だ」
「採用する」
俺はグラウを見る。
「二隊を俺の命令なしで動かしたな」
周囲の兵が固まった。
「必要だった」
「正しかった。次からも、俺が見えない場所ではそうしろ」
グラウはわずかに目を見開き、それから拳を胸へ当てた。
「了解」
◇
救出された農場の若者は、泥まみれの毛布に包まれながら、井戸脇の竜を見ていた。
王はうるさい。井戸の中へ何度も声を投げ、返事が遅いと地面へ耳をつけ、全員が出た後まで名前を数え直していた。
若者の隣で、老職人が笑う。
「格好のつかん王だな」
「はい。でも」
若者は、最後に地上へ出たガンツを迎えるまで一歩も退かなかった竜の背を見る。
「本当に最後まで残る王です」
◇
従属印から解放された農場兵は、治療台で目を覚ました。
「俺が、扉を……」
「閉めたのは命令だ。開ける手伝いをしたのはお前の三回の合図だ」
俺が言うと、男は首の包帯を押さえた。
「命令文を読める者がいます」
「どこに」
「北軍の捕虜列です。命令を聞き分けたせいで、口を潰された者。鳥人の女だったと思う」
俺はセラと顔を見合わせた。
毒嚢の命令。ヴァルガの印。黒旗の竜語。
別々に見えた鎖を、読める者がいる。
だが北農場の上には敵の監視が残り、空路は一つも安全ではない。
捕虜を救うには、まず食料を運び込む道を作らなければならなかった。
救出の後、地下倉庫で人数札の試験をした。入口で木札を取り、出口で箱へ返す。箱に札が残れば、誰かが中にいる。
最初の訓練では、札が一枚余った。
俺は反射的に地下へ駆け込もうとしたが、グラウが胸を押さえた。
「名簿を先に照合する」
「一人残っている!」
「札を二枚取った者かもしれない。救助側まで罠へ入るな」
調べると、幼い牙獣が札を玩具にして二枚くわえていた。皆が笑ったが、グラウは札へ匂いの違う紐をつけ、幼体用と成人用を分けた。
二度目の訓練では、本当に一人が奥へ残った。足を痛めた老人が、閉まる水密扉に間に合わなかったのだ。振動板の三回合図を受け、第二班だけが救助へ戻る。第一班は出口を守り、全員で駆け込まない。
老人が運び出されると、俺はようやく息を吐いた。
「王でも、残っている者の名を確かめるまで扉を開けない」とグラウが皆へ言う。「急ぐことと、慌てることは違う」
俺への当てつけに聞こえる。
「良い訓練だったな」
「陛下が最初に失敗を見せたから、皆が覚えた」
やはり当てつけだった。
浸水した農場では、作業員たちが泥から種を拾っていた。水に強い種と、乾かせば使える種、すでに腐り始めた種。セラは量をごまかさず、三枚の板へ分けて書く。
「備蓄九割という数字だけを見れば安心します。しかし次の収穫が半分なら、冬の終わりに足りません」
「配給を今から減らすのか」
「一律には減らしません。働く量、治療、幼体の成長に必要な分を先に決めます」
また順番だ。水でも食料でも、少ない時ほど力のある者が先に取れば、国は内側から壊れる。
俺は泥の中へ入り、種袋を運んだ。右翼が使えないせいで袋は背中から何度も落ちた。農場の若者が笑いながら結び直す。
「王様、運ぶのは下手ですね」
「竜は本来、袋を運ぶ体ではない」
「でも残ってくれる」
その言葉に、俺は昨日の救出を思い出した。
残ることは、何もしないことではない。最後の一人を数え、次の者へ役目を渡し、失った畑を見届けることだ。
夕方、命令印から解放された農場兵が訓練場へ来た。首の包帯の下には、削った術式の痕が残っている。
「俺を兵に戻してください」
「まだ治療中だ」
「償わないと」
「お前の罪ではない」
「そう言われても、扉を閉めた手は俺のものです」
俺は返事に詰まった。命令されたから無関係だと言い切れば、彼が感じた痛みまで否定する。
「なら償いではなく、教えろ。命令が入った時、何が聞こえ、体がどう動いたか。次の者を止めるために」
男は長く黙り、やがてうなずいた。
彼の証言で、従属印が命令の直前に冷たくなること、言葉より先に呼吸が浅くなることが分かった。治療師はそれを早期発見札へ書き加える。罰を与えるより、多くの命を救う情報になった。
夜、グラウは二隊の報告を一枚へまとめていた。どちらの隊長も、自分の判断で動いた箇所へ赤線を引いている。
「俺の許可を待たなかった場所か」
「そうだ。失敗しても隠さないための線だ」
「王の命令と違ったら?」
「理由を残す。正しければ次の手順にする。間違いなら直す。命令どおりというだけで責任が消える国にはしない」
敵は命令で名を奪う。
俺たちは、命令へ理由を残す。
同じ統率でも、向いている先は正反対だった。
空路作戦の相談が始まるころ、救出路の水密扉が静かに閉じた。内外の札は同数。逆流弁は正常。三回の合図も全区画へ届いた。
今日失った畑は戻らない。
だが今日得た手順は、次の二十人を救う。
俺は最後に、閉じられた正面坑へ立った。最初に選びかけた道だ。もし勢いのまま破っていれば、頭上の亀裂まで崩れ、地下倉庫も救出隊も水に沈んでいた。
ミーナが隣へ来る。
「派手な正面突破を選ばなくて残念?」
「少しだけな」
「正直でよろしい」
「だが、俺が行かない道で全員が助かった。そちらの方が王らしい」
口にすると、ようやく納得できた。自分の爪が届く場所だけを救うのでは、国の広さに追いつけない。
正面坑には赤い封鎖札をつけ、隣に地下水脈の避難図を掲げた。文字を読めない幼体向けに、ポロが水滴と足跡の絵を描く。ガンツは扉の高さを幼体でも押せる位置へ直し、グラウは最後尾役を毎回交代させた。
「最後尾は強い者がやるのか」と尋ねる。
「違う。数えられる者がやる。強さだけで決めれば、負傷した日に制度が止まる」
一つの役目に一人しかいなければ、その者が倒れた時に道も消える。俺たちは今日の救出を英雄譚にせず、誰でも繰り返せる形へ削っていった。
夜番へ入る農場兵が、新しい人数札を首へかけた。扉を閉めさせられた男も、記録係としてその隣に座る。
彼はまだ地下へ入れない。それでも合図を聞き、入った人数を記し、帰った札を数えられる。
奪われた手で、今度は出口を守る。
それを見届けてから、俺は空路会議へ向かった。
主人公ステータス
【鑑定結果】
名前:アルド
種族:若き天空竜(個体ランクA)
Lv:51
HP:598/最大598(最大値ランクA)
MP:735/最大735(最大値ランクA)
攻撃:194(ランクC)
防御:200(ランクB)
速度:159(ランクC)
総合:709(個体ランクA)
技能:鑑定:ランクD Lv2(ランクD Lv2)/竜圧制御:ランクD Lv4(ランクD Lv4)/天空飛行:ランクD Lv3(ランクD Lv3)/領域知覚:ランクE Lv4(ランクE Lv4)/小隊指揮:ランクD Lv5(ランクD Lv5)/都市核接続:ランクF Lv2(ランクF Lv2)/合意接続:ランクE Lv3(ランクE Lv3)/合意制ダンジョン管理:ランクD Lv2(ランクD Lv2)
状態:右翼膜裂傷治療中、孤立した住民二十名を全員救出、北農場の半分が浸水、食料計画は再編必須
【鑑定終了】




