第50話 龍王、国を名乗る
「国名は龍王国である!」
俺は建国広場の中央で宣言した。
拍手はなかった。
代わりに、石卓を囲む全員が同時に首を横へ振った。
「まだ会議初日よ」
右脚を厚い包帯で固定したミーナが、寝台椅子から睨む。
「王位も先に決めるものではありません」とセラ。
「国名は最後だ」とガンツ。
「水の話からだよ」とポロ。
グラウは何も言わず、俺が用意した「初代龍王アルド」の石板を裏返した。
転生百十九日目。空賊戦から一日。俺の魔力は戻り始めたが、全身の鱗に傷が残る。ミーナは転生百二十八日目まで前線禁止。工房一棟は修復中。回収した敵素材と人間側の救援で冬季備蓄は九割へ戻り、魔石は五個。
戦後台帳では、増加を二つに分けた。空賊の荷から回収した乾燥肉十二箱、薬油四瓶、無傷の防寒皮六枚を検査し、薬鍋十個分へ換算して冬季備蓄は七割から八割へ。人間盟約側から受けた穀物二十袋と治療薬六箱も薬鍋十個分となり、八割から九割へ戻した。
人間側の救援には魔石三個も含まれていた。対価は、空環工房の修理部品六組と、雪が降るまでの交易隊護衛二便。魔石は二個から五個になり、二個を水路と空路の緊急再起動用、一個を工房再建用、残る二個を未割当予備として封印した。割り当てただけで、まだ一個も消費していない。
ヴァルガは地下監査房に収監したままだ。三者鍵の拘束を確認してから、俺、グラウ、セラ、リサで最初の尋問を行った。
「北方龍王軍は、いつ来る」
ヴァルガは笑っただけだった。部隊数、進路、先遣将の名には答えない。セラが質問を変え、通信核の破壊時に何が送られたか尋ねると、喉の黒い従属刻印が赤く焼けた。ヴァルガは息を詰め、それでも「敗北は、もう伝わった」とだけ答えた。
それ以上は刻印が命を奪う。尋問を止め、通信核片を別室で調べた。核片には、破壊時の敗北信号と、七日応答がなければ北へ帰還要求を送る仕組みが残っていた。正確な兵数と侵入路は不明だが、転生百二十五日目までに北方から確認部隊が来る可能性が高い。警報班は核片の北向き反応と、水路・空路の温度低下を別々に監視することになった。
住民代表、人間盟約使節、空牙狼、穴栗鼠族、工房、農地、狩猟、治療、警備。試験居住者を含む全ての群れから、二名ずつ代表が来ている。
俺は当然、王として国名を決める会議だと思っていた。
皆は、国が何をしてよく、何をしてはならないかを決める会議だと思っていた。
「余が王にならぬ可能性まで議論するのか」
「もちろん」とグラウ。
胸の奥が冷えた。
空賊と戦うより怖い。敵なら爪を振るえる。皆が俺を選ばなかった時、何をすればよいのか分からない。
「……よかろう。七日間、全て聞く。ただし余より相応しい者がいるとは思えぬ」
「それを決めるのが会議よ」とミーナ。
最初は配水だった。
空環城の水路を使う者、手汲み井戸を選ぶ者、卵殻城から来た者、狩場拠点の者で必要量が違う。ポロは地図へ青い石を置いた。
「一人一日二杯を最低保障にする。仕事、種族、王への賛成に関係なく。畑と工房の分は、その後で評議する」
工房代表が反発した。
「炉を冷やせなければ部品が作れない。飲み水を同じにしても、城壁が壊れれば全員死ぬ」
手汲み派の母親も言う。
「主核水路を拒んだ者に、工房の不足を負わせないで」
俺は両方へ答えを出しかけ、止まった。
「ポロ、案は」
「最低二杯は触らない。工房の冷却水は、使った後に沈殿槽へ通して畑へ回す。水路を拒む人も、汚れていない再利用水なら選べるようにする」
「毒や油が混ざったら?」
「ガンツと治療班が検査する。安全じゃなければ廃坑へ」
完全ではない。だが最低保障を削らず、工房も動かす案になった。
二日目は狩場。
空牙狼は群れごとの自治を求めた。人間交易者は安全経路を広げたい。狩猟班は繁殖期の立入禁止を守らせたい。
「王の狩場として一括管理すれば早い」と俺。
セラの耳が立つ。
「それでは私たちの群れが加入する意味はありません。境界を守る代わりに、群れ内の配分は自分たちで決める。それが条件です」
「密猟が出たら」
「群れが一次調査。別群が関われば共同監査。王の兵が入るのは救難か、証拠がある時だけ」
「余の国で、余が自由に入れぬ場所があるのか」
「あるから、国に残れます」
セラは一歩も引かない。
俺は歯を食いしばり、狩場自治へ爪印を押した。代わりに、休止区と繁殖個体の記録は全群で共有する。自治は隠蔽の権利ではない。
三日目は交易。
空賊が本物の荷札と合言葉を使ったため、交易者への不信が強い。完全閉鎖を求める声まで出た。
人間盟約使節のリサは、剣を入口へ預けて会議へ出た。
「私たちも五名負傷しました。空環側が先に救った事実を、本国は重く見ています。しかし全荷を開示すれば、商人は来なくなる」
「また偽装されたら?」と住民代表。
「受取人確認、日替わり札、外門での分割入場を共同で行う。監査記録は双方へ残す」
「違反者を誰が裁く」
「空環側だけでも、人間側だけでもなく、混成三名。被害側、交易側、第三群」
俺は面倒さに頭が痛くなった。
「王が一声で決める方が早いぞ」
「その王が赤外套を追って記録庫を空けました」とリサ。
反論できない。
「議事録から消せ」
「監査記録です」
また消せなかった。
四日目は防衛。
戦時動員を無期限にすれば、国は軍隊になる。だが自由参加だけでは五方向攻撃へ間に合わない。
グラウが防衛札を三色に分けた。赤は即時救難、黄は一日以内の設備復旧、青は訓練。住民は平時に参加範囲を選び、期間を三十日ごとに更新する。
「敵が門前にいる時、赤札が足りなければ?」
「王は一日だけ臨時招集を提案できる」とグラウ。「評議三名の承認が必要。翌日には失効する」
「一日で終わらぬ戦なら」
「毎日、続ける理由と損失を公開する」
「敵に情報を見せることになる」
セラが補う。
「公開先は住民だけ。敵に渡る危険がある数字は範囲で示す。隠しすぎれば、王が終わったと言うまで誰も帰れません」
ミーナが包帯の脚を軽く上げた。
「負傷者規則も。本人が戦えると言っても、治療班が止められる」
「お前はまだ動く気だったのか」
「だから規則にするの」
「転生百二十八日目まで絶対だ」
「王命?」
「治療班規則だ!」
会議に笑いが起きた。
五日目は加入と離脱。
最も荒れた。
管理設備の効率を優先する派は、加入者全員に設備接続を求めた。完全離脱派は、国の規則に一つも従いたくないと言った。
「国にいるのに規則へ従わぬのは無理だ」と俺。「だが包括同意も認めぬ。設備ごとに参加を選べ」
「水路を拒んでも市場は使える?」
「使える。市場規則と交易監査には従え」
「防衛を拒んでも守られる?」
俺は答えに詰まった。戦わない者を守るため、戦う者が傷つく。不公平に見える。
ポロが小さく手を挙げた。
「子どもや怪我人は戦えない。でも守るよね。怖くて戦えない人も、水を運んだり、薬を干したりできるかもしれない。何もできない時もある」
ガンツが続ける。
「役割は防衛だけではない。選択可能な負担を台帳にする。負担できない者の最低保障は削らない」
「ただ乗りが出るぞ」と警備代表。
「出るかもしれぬ」
俺は認めた。
「だが、疑わしい者から先に水を奪う国にはしない。負担の相談をし、それでも拒む者は評議で公開する。追放は暴力、窃盗、故意の破壊など、他者の権利を奪った時だけだ」
完全離脱を望む者には、三十日分の水と食料、帰路情報、持ち込んだ財産の返還を保障する。加入した群れへ戻る者には帰還権。外へ出た後も、敵でない限り救難信号を受ける。
「国を出る者まで助けるのか」と俺自身、規約を読みながら尋ねた。
ミーナが静かに答えた。
「出たら殺されると思ったら、それは離脱権じゃない」
俺は爪印を押した。
六日目、統治の形を決めた。
評議は各群と各班の代表。水、狩場、交易、防衛、管理設備は担当評議を持つ。グラウには、戦時でも王命へ異議を唱える正式な権利を与える。セラは法務と外部交渉。ただし正式加入ではなく、国家協力者として任期を一年にする。
管理者は解任できる。操作記録は公開。生物支配回路の再建は禁止。中央系統へ接続するには三者鍵と住民投票が要る。
俺の権限も書かれた。
救難時の即時指揮、外交代表、最終防衛、法案の提案。拒否権は一度だけ。評議が三分の二で再可決すれば、王も従う。
「王なのに負けるのか」
「間違った時に負けられる王にする」とグラウ。
悔しい。だが主核を壊した時、俺自身が望んだことだ。
権限表の最後には、王が倒れた時の代行順位も必要だった。
俺は爪を止めた。
「余は倒れぬ」
誰も笑わなかった。空賊戦で魔力を使い切り、翼を血で濡らした姿を全員が見ている。
グラウが静かに言う。
「倒れないと書くのは、倒れた後を誰かへ丸投げするのと同じよ」
嫌だった。俺がいなくても国が動く仕組みは必要だと分かっている。だが自分の代わりを決めることは、自分が不要になる未来を認めるようで、胸が狭くなる。
「怖いのだ」と俺は認めた。「俺が倒れた時に国が動くのは望んでいる。だが、動けると証明されたら、余がいなくてもよいと言われそうで怖い」
広場が静まる。
ポロが椅子から降り、俺の前脚へ両手を置いた。
「いなくても水路を動かせるようになりたい。でも、いなくなってほしいわけじゃないよ」
ガンツも頷く。
「交換部品があるから主部品を捨てるわけではない。壊れないよう休ませられる」
「俺を部品にたとえるな」
「分かりやすい」
笑いが戻った。代行第一位はグラウ、第二位は各担当評議の合議。外交はセラ、防衛設備はガンツ、水と配給はポロ。ミーナは負傷中でも狩猟班の意見を代弁できるが、前線指揮はしない。
代行は王位継承ではない。七日を越える場合は再投票する。俺が戻れば記録を読み、代行中の決定を勝手に取り消さない。
自分の不在を条文にした時、胸の怖さは消えなかった。それでも、王の命より国の時間を長くできた気がした。
最後に、王を選ぶ投票が行われた。
代表会議だけで王を決めない。六日目までに作った条文を各群へ持ち帰り、読み上げ、絵図、実演の三通りで説明した。その上で転生百十九日目時点の配給台帳に登録され、自分の意思を石、爪印、または口頭で示せる居住者九十二名を有権者とした。種族、仕事、主核接続の有無、正式加入か試験居住かでは除外しない。負傷者には監査員二名が投票箱を運び、代理投票は認めなかった。
選択肢は、アルドを王に置く、王を置かず評議のみとする、判断を保留する、の三つ。保留票は賛成にも反対にも数えず、三十日後に本人へ再確認する。有効な賛否票の過半数を可決条件とし、同数なら王を置かない。条件を読み上げ、九十二名全員から質問がなくなるまで投票を始めなかった。
候補は俺だけではなかった。グラウを推す声、セラを推す声、評議だけで王を置かない案もあった。
「グラウ、お前も立つのか」
「立たない。私はあんたを止める方が向いてる」
「セラは」
「正式加入していない者が王になる国は、法務以前の問題です」
王を置かない案には、全体の四分の一が賛成した。俺を信用しきれない者が、それだけいる。
胸が痛んだ。
投票前、俺は広場の全員へ話した。
「俺は龍王家の正統血統だ。だから王になるのだと、ずっと思っていた」
黒い竜旗に敗れ、主核の力へ溺れ、空賊を追って市場を空けた。格好悪い記録ばかりが浮かぶ。
「だが血は、俺を強くしても正しくはしなかった。俺を止めたのは、ここにいる皆だ。余は今も、自分が最も王に相応しいと思っている」
ミーナが呆れた顔をする。
「しかし、選ばれなければ従う。水も狩場も奪わない。俺を選ばぬ者も、この国の民として守る。選ばれたなら、皆の自由を守るために、最初に飛び、最後に退く」
爪を地面へつき、頭を下げた。
「血統ではなく、誓約によって俺を選んでほしい」
一人ずつ、投票石が箱へ入れられた。
結果は、アルド六十四。王を置かない二十一。保留七。
保留を除く有効票は八十五。可決に必要なのは四十三。俺は六十四票で選ばれた。
満場一致ではない。
だからこそ、信じられた。
投票箱の前で、王を置かない票を入れた若い空牙狼が身を固くしていた。俺と目が合い、配給札を隠す。
「隠すな。明日の水は二杯だ。賛成者と同じ量を受け取れ」
「本当に、追い出さないのか」
「余を選ばなかった程度で追い出していたら、二十一名も国境まで運ばねばならん。面倒だ」
「また仕方なくって言ってる」とミーナ。
俺は若者へ向き直った。
「冗談だ。お前の反対票も、この国が王を監査している証だ。次の投票まで、遠慮なく見張れ」
若者はすぐ忠誠を誓わなかった。ただ配給札を隠すのをやめ、胸の前へ出した。
保留票の七名には、三十日後の再確認を約束した。今日決められない者を、反対とも賛成とも数えない。投票後に寝床も仕事も変わらないことを、記録官が全員の前で確認した。
「初代王アルド」
グラウが俺の石板を表へ返す。
ポロが泣き、ガンツが角を床へ打ち、セラが正式な礼をする。ミーナは寝台椅子から立とうとして脚を痛め、俺と治療班に同時に叱られた。
「感動して立ったのに!」
「転生百二十八日目まで禁止だ!」
「王になった最初の言葉がそれ?」
「民を守る誓約を即座に実行した」
今度こそ、広場に大きな笑いが起きた。
転生百二十五日目。七日目。
空環城、卵殻城、狩場拠点を一つの国家台帳へ結んだ。水路も工房も警報も分散し、一拠点が倒れても他が動く。
国名は、全住民から集めた案を投票した。
龍王国は三票だった。うち一票は俺、二票はポロが気を遣って入れたらしい。
選ばれた名は、空環王国。
空の道が輪となり、種族も群れも違う者を結ぶ国。
建国鐘の前で、俺は龍の姿のまま翼を広げた。人の姿を借りる必要はない。この爪で壊し、この翼で守り、この声で誓う。
「我らは今日、空環王国を建てる!」
声が城壁と空路へ響く。
「水は生きる者へ保障する。狩場は群れの自治を守る。交易は互いに監査し、防衛は期限と目的を持つ。加入する自由、断る自由、離れる自由、帰る自由を認める!」
一つずつ、これまでの失敗から得た権利を読み上げた。
「余、アルドは、王族だからではなく、皆の選択と誓約によって初代王となる。俺が誤れば止めよ。皆が困れば、俺が仕方なく助ける!」
「そこは仕方なくを外して!」
ミーナの声が飛び、笑いと歓声が重なった。
経験が身体の奥へ流れ込む。
Lv49からLv50へ。
血統の奥で、閉じていた何かが一枚だけ開いた。北の空から、古い龍語が断片となって届く。
――逃亡王家。帰還。服従。
完全には分からない。俺はまだ完全な龍王ではない。S級個体へ単独で勝つ力もなく、飛行は二十分が限界だ。
それでも、国はできた。
人間使節は、離脱権を持つ新国家として本国へ報告書を送る。冬季備蓄九割、魔石五個、工房一棟修復中。ミーナは前線制限。空賊残党も、主核中央系統も、黒旗の従属刻印も未解決。
ヴァルガは地下監査房に収監継続。従属刻印のため供述は制限され、三者鍵拘束と二名二交代監視を維持する。通信核片は別室封印。敗北信号は送信済みで、七日目の帰還要求が北へ向かう兆候を警報班が追っている。
建国鐘が一度、二度、三度と鳴った。
四度目の前に、水路が凍った。
同時に、二本ある空路へ黒い氷の壁が生まれる。
警報班の二つの観測が同時に跳ねた。水路と空路の温度札が黒へ落ち、封印室の通信核片が北からの返答を受けて赤く明滅する。ヴァルガの敗北信号を受けた先遣軍が、帰還要求の発信点を逆にたどってきたのだ。
北の雲を割り、黒い竜旗を背負う巨影が現れた。空賊とは比較にならない圧で、広場の全員が息を詰める。
先遣将の声が国全体へ降った。
『北方龍王軍より、反乱勢力へ告ぐ』
俺は建国鐘の前へ出る。グラウが右、ポロとガンツが左、セラと評議代表が後ろへ並ぶ。ミーナは治療班に押さえられながら、それでもこちらを見ていた。
『逃亡王家の卵を返せ。都市と民を明け渡せ。拒めば、新国家ごと凍らせる』
俺は凍った空路を見上げ、翼を広げた。
「断る」
建国の日、空環王国は最初の宣戦を受けた。




