第21話 武器を置いた三人
転生三十五日目。赤い尾羽の魔獣との戦いから二日が過ぎた。
俺は卵殻城の治療床で背中を縫われ、眠り、薬を替えられ、もう一度眠った。ミーナが定めた二日間の戦闘禁止は今朝の診察で解除された。ただし傷は塞がり始めただけで、飛行と火炎は禁止のまま。痛みが増した時点で前線を離れる条件も、石板へ爪印を押している。
その間、人間三人は前哨の外側で負傷者を治療し、互いに武器を向けない仮停戦だけを守った。名前、目的、拠点へ入れる条件はまだ確認していない。
赤い尾羽の魔獣が息絶えて二日経っても、卵殻城の前哨から緊張は消えなかった。
俺の前には三人の人間がいる。二十歩ほど離れた崩れ石の上で、先頭の女は楕円の盾と短槍を構え、右の細身の女は弓弦を耳まで引いている。最後の一人は灰色の外套を着た小柄な女で、杖ではなく革鞄を胸に抱いていた。三人とも泥まみれで、頬は疲労にこけている。それでも視線だけは、俺の牙から外れなかった。
こちらも同じだ。ミーナは背を低くして尾を左右に振り、ガンツは石槌を握って橋板の陰に立つ。ポロは水桶の後ろから鼻先だけを出し、グラウはまだ治りきらない翼を半ば開いている。
俺は人間たちと赤尾魔獣の死骸の間に立っていた。背中の縫合跡が引きつるたび、後脚が小さく震える。戦闘禁止は解除されても、治ったわけではない。だが、ここで座れば威厳がない。伏せればもっとない。
「武器を下ろせ、人間よ。お前たちを襲っていた獣は、この俺が討った」
盾の女が魔獣の腹に刺さったミーナの爪痕と、脚を縛るガンツの鎖と、嘴を泥へ沈めたポロの水路を順に見た。
「あなた一人で?」
「我が臣下の働きは王の働きに含まれる」
「誰が臣下よ」
真横からミーナに切られた。
弓の女の口元が、ほんのわずかに緩む。俺は胸を張ったせいで背中が引きつり、思わず「ぐっ」と声を漏らした。盾の女は笑わなかったが、槍先が指一本分だけ下がった。
「俺はアルド。龍王家の正統なる血を継ぐ者である」
今度こそ、弓の女が吹き出した。
「ごめん。喋る幼竜だけでも驚いたのに、龍王って」
「何がおかしい!」
「その声で怒鳴っても、まだ子どもにしか聞こえないわ」
腹が熱くなる。だが飛びかかれば、せっかく庇った相手と殺し合いだ。俺が鼻から荒く息を吐くと、ミーナが前脚で俺の尾を踏んだ。
「いま必要なのは家系図じゃない。人数、目的、負傷、持ち物、帰り道。そうでしょ?」
「分かっておる。いま言おうと思っていた」
「順番を取られた顔ね」
人間たちは互いに目を合わせた。魔物が王を名乗る俺へ平然と口答えする。その光景のほうが、俺の血統よりも彼女たちの警戒を解いたらしい。
盾の女が先に槍を地面へ置いた。ただし盾は腕から外さない。
「私はレナ。三人の隊長を任されている。こちらは弓手のユフィ、治療役のドーラ。上層遺跡の調査へ入った仲間、エドを捜している」
ユフィは弓を下げたが矢はつがえたままだ。ドーラは鞄の留め具から手を離さない。
「三日前、上へ向かう古い水路で別れた」とレナは続けた。「落盤で隊が分断された。エドは足場と風路を読むのが得意だったから、先に退路を探しに行った。でも戻らない。壁に赤い印を残す約束なのに、ここ二日は一つも見つからない」
「上層とはどこだ」
俺が問うと、ユフィが眉をひそめた。
「知らないの? この洞窟の上には、雲に埋もれた遺都がある。逆さに流れる水路と、壊れた空橋でつながっているって」
グラウの翼がかすかに動いた。空へ続く道。その言葉だけで、彼の黒い瞳に風を求める光が宿る。
ガンツは夢を見るより先に現実を見た。
「落盤箇所の幅と高さは。荷台は通るか。予備の綱は何本だ」
「一番狭い場所で肩幅二つ。荷台は無理。綱は二本、片方は擦れている」
レナは即答した。ガンツが小さくうなずく。少なくとも、嘘をつくために来た者の答え方ではない。
「こちらは五人。負傷者は俺とグラウ。食料は今日得た肉を含めて八日分、水は拠点内で確保している。ただし薬は尽きた」
俺が告げると、ポロが桶の陰から慌てて出てきた。
「ア、アルド、干し肉にする前の分も数えたら八日だけど、雨みたいに湿気たら六日だよ。あと水路の泥さらいに半日いる」
「……八日分を目標に加工中だ」
言い直すと、ユフィがまた笑いそうになった。俺は睨んだ。彼女は咳払いでごまかした。
ドーラが初めて一歩進む。
「傷を見せて。私の薬は四回分。エドが生きていたら最低二回は残したい。あなたたちに使えるのは二回まで」
ミーナが彼女と俺の間へ入った。
「何を塗るの」
「苦苔と焼き塩の軟膏。翼膜には薄める。鱗の下なら、まず洗浄して砂を抜く」
「毒は?」
「入っていない。疑うなら私の腕へ先に塗る」
ドーラは袖をまくった。言葉は硬いが、差し出した腕は震えている。魔物の群れへ近づくのが怖くないはずはない。それでも負傷者を見て前へ出た。
俺は鑑定を使おうとして、踏みとどまった。力を目の前の相手へ向ければ、許しなく心を覗かれたと思う者もいる。ミーナたちに初めて使った時だって、俺は何度も警戒された。
「レナ。お前の許可があれば、身体の状態と技能を読む。エド捜索に役立つ成長条件も、一つだけ見える可能性がある。ただし、成功の方法までは分からぬ」
レナの盾が再び上がった。
「成長条件? 何をされる」
「見るだけだ」
「心も?」
「読めぬ。記憶も命令も触れられぬ」
「それを信じろと?」
ユフィの矢先が俺の目へ向いた。グラウが低く唸る。空気が一息で硬くなる。
俺は鑑定を閉じたまま、後ろへ二歩下がった。背中が痛み、三歩目は少しよろけたが、何でもない顔をした。
「信じられぬなら使わぬ。救助の条件にも入れない。お前たちには、いつでも契約を切る権利を置く」
レナは黙り込んだ。ドーラがその横で、赤尾魔獣に裂かれた俺の背を見た。
「この子は、私たちを庇って傷を負った」
「子ではない」
「そこだけはすぐ返すのね」
ドーラの声に、初めて柔らかさが混じった。やがてレナは盾を外し、地面へ置いた。
「身体と技能だけ。嫌だと言ったら、すぐ止めて」
「約束する」
俺は彼女だけへ意識を絞った。
【鑑定結果】
名前:レナ
種族:人間(個体ランクD)
技能:盾防御:ランクD Lv6
技能:隊列指揮:ランクE Lv8
状態:疲労、左肋骨にひび
次の成長条件:盾を置く
【鑑定終了】
「盾を置く、か」
俺は地面の盾を見た。「つまり武装を捨てれば強くなるのだな」
「そんなわけないでしょ」
ミーナとレナの声が重なった。
レナは苦い顔で左脇腹を押さえた。
「たぶん、前に立ち続けるなという意味。私は隊長になってから、誰にも先頭を譲らなかった」
「だが、盾を置けと出たぞ」
「条件は比喩もあるんじゃない?」とドーラが言う。「アルドには条件が見える。でも解き方は、本人の経験から考える必要がある」
胸の奥がむずがゆい。王たる俺の力が、不完全だと人間に整理されたのだ。反論したかったが、正しい。
「……うむ。いまの解釈は試すな。捜索中に盾を捨てて死なれては困る」
ユフィがとうとう声を立てて笑った。しかし矢を外し、筒へ戻した。
そこからは、言葉だけでなく作業を並べた。ドーラが俺の傷を洗い、ミーナが薬の匂いと粘りを確かめる。グラウの翼には残り一回分を薄めて塗った。ポロは人間たちの水袋を満たす代わりに、上層で見た植物と水の味を聞き取った。ガンツは赤尾魔獣の骨を割り、使える長さの二本を救助用の添え木へ削った。
狩りの成果も止めない。ミーナが肉を薄く裂き、ポロが炉へ運ぶ塩水の量を決める。俺たちが上へ出る間、ガンツは前哨の壁と保存棚を直す。全員で捜索へ行けば、帰った時に食料が腐り、水路が詰まる。王の仕事は先頭で牙を剥くことだけではないと、背中の痛みがしつこく教えてきた。
契約はガンツが磨いた薄い石板へ、ユフィが持っていた炭筆で刻んだ。
期間は三日。人間三名と俺たちは、エドの捜索と帰還のためだけに協力する。互いの武器は相手へ向けず、狭所では先頭役の許可なく抜かない。得た食料と素材は、提供した労力と消耗品を確認して分ける。卵殻城の位置、人数、設備は外へ漏らさない。ただし人命に関わる救難情報は別とする。どちらも理由を告げれば離脱でき、鑑定は本人の同意がある範囲に限る。
「王命ではなく契約なのね」とレナが言った。
「三日後に泣いて臣下になりたいと言っても、まず働きを見る」
「誰も言ってない」
今度はミーナまで笑った。俺は署名代わりに前爪で石板へ竜の角を描こうとし、線が曲がって魚の骨のようになった。消そうとすると、ポロが「証拠だから」と石板を抱えて逃げた。
石板の炭が乾くより先に、見張り線の骨片が三度鳴った。
短く二度、間を置いて一度。ミーナが決めた、地上から複数接近の合図だ。笑い声が消え、人間三人の手が反射的に武器へ伸びる。グラウも翼を開きかけた。
「契約の最初の試験ね」とミーナが低く言った。「互いへ向けない。忘れないで」
前哨の西側には、赤尾魔獣を解体するための石床がある。そこへ続く通路から、灰色の背が四つ現れた。洞犬より一回り大きく、肩まで俺の胸ほどある。頭は細いのに顎だけが横へ張り出し、濡れた牙の間から糸を引く唾液が垂れていた。先頭の一頭は右耳が半分なく、こちらではなく石床の肉だけを見ている。
「灰背の裂顎犬」とユフィがささやく。「獲物を一頭が引きつけて、残りが横から持っていく」
「知っているのか」
「上層にもいる。人を怖がらない」
俺が問い返すより早く、耳欠けが地を蹴った。狙いは俺に見えた。胸を張って正面から受ける。
「来い!」
だが裂顎犬は俺の二歩手前で急に身を沈め、砂を後脚で蹴り上げた。目へ細かな石が入る。俺が顔を背けた隙に、二頭目が左から肉籠へ走った。
「アルドは囮にされたのよ!」
ミーナの声と同時に、弓弦が鳴る。ユフィの矢は犬ではなく、肉籠を吊るす縄を切った。籠が落ち、二頭目の鼻先を塞ぐ。ガンツが石槌で床の留め具を叩くと、解体台が斜めに傾き、肉と犬が壁際へ滑った。
三頭目はその裏をかいた。石床を回らず、ポロが守る水桶へ飛ぶ。水を倒されれば、肉の洗浄も傷の手当ても止まる。
レナが盾を構えて踏み込んだ。裂顎が盾の縁を挟む。顎の力で盾が横へねじられ、負傷した左脇腹に痛みが走ったのか、レナの顔が歪む。
俺は砂の残る目を開き、犬の横腹へ体当たりした。一撃で倒すつもりだった。だが敵は盾を離すと身を丸め、俺の肩を爪で裂いて転がる。すぐに起き上がり、今度は俺とレナの間へ牙を向けた。
「俺が前へ出る。レナは下がれ」
「隊長は私よ」
「ここは俺の前哨だ」
言い争う間に、四頭目がグラウの傷んだ翼へ飛びかかった。人間が俺たちを襲うなら、ここが好機だった。だがドーラは薬鞄を置き、両手で救助綱をつかんだ。
「グラウ、伏せて!」
綱が犬の前脚へ絡む。グラウは伏せるどころか、翼へ溜めた風を地面へ叩きつけた。犬の身体が半歩浮き、ドーラが綱を引く。そこへミーナの後脚が入り、敵を解体台の下へ蹴り込んだ。
「人間、右を任せる!」
グラウの指示に、ユフィが一瞬だけ目を見開いた。それでも迷わず右へ回り、逃げ道へ矢を射ち込む。犬を仕留める射ではない。石へ当てた音と火花で、耳欠けの進路を俺の正面へ戻す射だ。
今度は砂を警戒した。耳欠けが頭を下げた瞬間、俺も目を細めて横へ跳ぶ。ところが敵は砂を蹴らず、急に向きを変えてユフィへ走った。こちらの学習まで読んだような二段目の誘いだ。
「後ろ!」
レナは俺を追わなかった。盾を置くという鑑定を、武装放棄ではなく配置の変更だと解いたのだ。ユフィの前へ盾だけを滑らせ、自分は横から槍の柄で犬の前脚を払う。耳欠けが倒れたところへ、俺は首ではなく肩へ噛みついた。殺すためではない。四頭のうち一頭を押さえれば、群れに退く判断をさせられる。
残る三頭が低く唸った。ミーナは肉籠を背にし、グラウはドーラの綱を翼で押さえ、ガンツは水桶の前へ立つ。ポロは震えながらも桶を捨てず、柄杓で床へ水を撒いた。
「ひ、左は滑るよ!」
二頭が同時に来た。片方は水で脚を取られ、ガンツの石槌が鼻先の床を砕く。もう片方は跳び越えたが、ミーナが風で身体を半回転させ、肉のない通路へ落とす。犬たちは耳欠けを見た。俺が牙を少し緩めると、耳欠けは腹ばいのまま後退する。やがて一頭ずつ向きを変え、暗い通路へ消えた。
追撃しようとしたユフィの前へ、俺は尾を出した。
「行かせろ。巣に幼体がいるなら、次はもっと飢えて来る」
「だから今のうちに数を減らすんじゃないの?」
「四頭すべてを追えば、前哨が空く。肉も水も守れず、誰かが負傷する。勝つ目的は皆殺しではない」
口にしてから、少しだけ自分でも驚いた。以前の俺なら、王の強さを見せるために先頭で追ったかもしれない。
戦いが終わると、肩の爪傷より先に互いの動きを確かめた。人間側は魔物が約束どおり武器を向けなかったことを見た。こちらはドーラが薬鞄より先にグラウを助け、ユフィが逃げ道を塞いでも殺し急がず、レナが仲間へ盾を譲れたことを見た。
ただし反省も多い。俺は敵の最初の挑発へ乗り、保存肉を危険へさらした。レナは傷を隠して盾を受け、ドーラは綱を素手で引いて掌を擦りむいた。見張り線は鳴ったが、接近方向までは分からない。
「骨片を東西で音の高さを変える」とガンツが決めた。「水桶は壁へ固定。解体中は肉を一籠ずつ出す」
「裂顎犬の巣を探すのは、エド救出のあと」とミーナが続ける。「狩猟班を出すなら、幼体の有無を確認してから」
俺は異論を飲み込み、石板の末尾へ一条を足した。共同作業中に襲撃を受けた場合、命と水と退路を優先し、追撃は双方の同意がある時だけ行う。
契約は文字だけでは信用にならない。だが、最初の一戦で誰が何を守ったかは、どんな署名よりもよく残った。
夜は前哨を二つに分けた。人間側と俺たちの寝床の間に空の通路を置き、見張りは一人ずつ出す。だが深夜、レナがうなされる声を聞いたミーナは、境界を越えずにドーラを呼んだ。明け方には、ユフィが黙って俺たちの燻製網へ薪を足していた。
信用とは、宣言した瞬間に生まれるものではない。相手が眠っている時に何をするか。食料が減った時にどう分けるか。怖くても武器を抜かずにいられるか。小さな選択を積み上げた先に、ようやく道ができる。
翌朝、俺たちは上昇水路の入口へ向かった。アルド、ミーナ、グラウ、人間三名が捜索班。ポロとガンツは残り、保存食作りと水路管理、救助担架の仕上げを進める。
岩壁に沿って百歩ほど進んだところで、ユフィが急にしゃがんだ。
「待って。赤い」
苔を剥がすと、灰色の壁に三本の赤線があった。一本は上向き。一本は折れて右へ。最後の一本は、途中で震えるように途切れている。
レナの顔から血の気が引いた。
「エドの印。上へ向かった。右脚を負傷している」
赤い顔料はまだ完全には乾いていない。その下で、黒い水が重力に逆らって細く壁を昇っていた。
俺は痛む背を低くし、印の先を見上げた。
「三日で連れ戻す。契約したからではない。ここまで助けを求めて歩いた者を、見捨てるのが気に入らぬ」
レナは盾を背負い直した。今度は俺の前ではなく、隣に立った。




