第15話 割れかけた王冠
敗北の翌朝、俺は戦果を発表した。
「我々は深層水蛇の能力、攻撃順、追跡限界、熱源への執着を見抜いた。これは次なる勝利へ向けた偵察として、十分な成果である」
転生二十三日目。卵殻城の炉前には、昨夜描いた水室の図が広げられていた。中央の岩島、奥の水門、浅瀬、崩れかけた退路。四人はその周りに座り、俺だけが修理途中の低い台へ載っている。
俺の殻には右上から中央へ白い亀裂が走り、菌糸を編んだ固定帯が巻かれていた。少し揺れるだけでも内側へ痛みが響く。
だからこそ、俺は堂々としていなければならない。
「さらに敵の竜脈嚥下を実地で確認した。荷台は失ったが、全員が生還したことも指揮の成果だ」
ミーナが立ち上がった。
彼女は一言も発さず、俺の前へ来た。右前脚の爪二本には包帯が巻かれている。
「何だ。意見があるなら述べよ」
ミーナは包帯のない左前脚を上げ、俺の殻の亀裂へ爪先を当てた。
「ひっ」
情けない声が出た。
「成果?」
彼女の声は低い。
「もう少し深ければ、あなたは水路で割れてた。ガンツが荷台を捨てるのを一瞬でも迷っていたら、ポロは濁流に飲まれてた。グラウの風袋がなければ、私は水球を受けて動けなくなってた。それを指揮の成果と言うの?」
「俺は失敗も含めて総括を」
「まだ一つも失敗と言ってない!」
ミーナの叫びが炉前へ反響した。
ポロが肩を縮め、グラウが嘴を固く閉じる。ガンツだけは動かず、俺の返事を待っている。
怖かった。
水蛇の牙ではない。四人に、王として見限られることが怖かった。
だから昨夜は謝れたのに、朝になると「成果」という立派な言葉で覆いたくなった。眠れぬ間に考えた言い訳を並べ、負けても予定のうちだった顔をしようとした。
「皆を不安にさせぬためだ」
「不安になるわよ。傷が見えてるのに、本人だけが勝ったふりをしてるんだから」
「俺が怯えれば、士気が下がる」
「もう下がってる!」
ミーナの目に涙が浮かんだ。怒りだけではない。
「昨日、あなたを抱えた時、亀裂から熱が漏れてた。声も出なかった。死ぬかと思ったのよ。それなのに朝になったら、成功した話しかしない。私たちが怖かったことまで、なかったことにしないで」
殻の内側で、心臓が強く打った。
俺には彼女の肩へ触れる手がない。顔を伏せる首もない。卵の身体は、謝る時にひどく不便だ。
「……怖かった」
声がかすれた。
ミーナの耳が動く。
「水蛇が俺の竜圧を飲んだ時、逃げたかった。尾が荷台へ当たった時、殻が割れたと思った。荷台を捨てろと言われた時も、失えば王国が貧しく見えるなどと考えた」
一度口にすると、止まらなかった。
「俺が全員を連れていった。俺が約束を破った。お前たちがいなければ、俺はあそこで死んでいた。成功ではない。俺の敗北だ」
炉の火が爆ぜた。
ポロが鼻をすすった。グラウは顔を背けた。ガンツは図の上へ新しい石札を置いた。
「なら、敗北を材料にするぞ」
実直な声だった。責めるでも慰めるでもなく、次に必要なことを示す。
ミーナは涙を前脚で拭い、俺の亀裂から爪を離した。
「次は、怖いって言って。強がる前に」
「努力する」
「約束は?」
「……怖い時は、怖いと言う」
「今は?」
「とても怖い」
「何が?」
「お前がまた亀裂を触ることがだ!」
ミーナが吹き出した。ポロも笑い、張りつめていた空気がようやく緩んだ。
そこから本当の反省会を始めた。
水蛇の攻撃を、見た順ではなく因果で並べる。俺が竜圧を放つ。水蛇が飲み、眉間の結晶が赤くなる。水圧操作が強まり、退路へ先回りする流れを作る。尾撃で荷台を壊し、水球で全員を壁際から剥がす。
「水蛇は最初から俺たちを食う気だったのか」
俺が問うと、ミーナは首を横へ振った。
「最初は動かなかった。あなたの圧を飲んでから追ってきた。熱源と水門を守っていただけかもしれない」
「なら、俺が敵意を強くした」
認めると胸が痛んだが、今度は言葉を飾らなかった。
ポロが水室の図へ三本の線を引く。
「水はここから来ます。奥の水門、左の横穴、床下です。水蛇が尾を動かすと、左の横穴へ先に入って、ぼくたちの後ろへ出ました」
「流れを止める弁が要る」
ガンツは割れた荷台の金具を並べた。
「だが今の板では水圧に耐えん。石噛みの外皮と牙で補強する。退路には杭を三本打ち、引き革を結ぶ。足を取られても戻れるようにする」
グラウは破れた風袋を示した。
「袋は五つ要る。三つを水流へ、二つを撤退用に残す。俺は一日一袋しか満たせん。ミーナの風と炉の排気も使え」
「五つ作るのに何日?」
「三日だ」
ミーナが顔をしかめる。
「飲み水は半日分しかない」
全員の視線が貯水桶へ向いた。黒い濁りはさらに濃くなり、底から泡が上がっている。解毒剤は四回分。保存食は三日分。食べ物があっても、水がなければ三日は持たない。
焦りが戻ってきた。
「なら明日、再戦する」
自分の口から出た言葉に、俺自身が驚いた。さっきまでの反省が、水不足一つで吹き飛びかける。
ミーナの目が険しくなる。
「今の話、聞いてた?」
「聞いている。だが水がなければ準備中に倒れる」
「準備が足りないまま行けば今日倒れる」
「ではどうする!」
声が荒くなった。
ポロがびくりとしたが、今回は黙らなかった。
「別の水を作ります」
「水脈は塞がれている」
「流れてくる水だけが水じゃないです」
ポロは保存庫から乾いた菌布を持ってきた。白灯茸の菌糸を薄く延ばした布で、触れるとひんやりしている。
「夜、壁に水滴がつきます。グラウさんの風を冷たい通路から炉前へ通せば、布に水が集まると思います。雨受けも作れます。地上の割れ目から落ちる雫は少ないけど、桶へ集めれば飲めます」
「菌床の水は?」
ミーナが尋ねる。
「白灯茸を搾れば出ます。でも全部使うと食用床がなくなる。成長した傘だけ、毎日二株までです」
ガンツが材料を数える。
「雨受けは壊れた荷台の側板で作る。凝結布の枠は車輪の輪を使える。炉の出力を夜だけ少し上げ、朝に戻す」
「燃料は二日分だ」
「石噛みの外皮を断熱へ戻せば、同じ熱で足りる」
俺は口を閉じた。
水がない。だから敵へ突っ込む。それしか道がないと思った瞬間、ポロは水を「作る」道を出した。俺が王命を振りかざすより、ずっと勇敢な提案だった。
「試そう。ただし最低保障を先に作る。一日分を確保できなければ、作業を止める」
「再戦は?」
ミーナが確認する。
「食料、薬、罠、見張り、代替水、退路。その全てが揃うまで禁止する」
「あなたが焦っても?」
「お前が止めろ」
「私だけじゃない」
ミーナはポロ、ガンツ、グラウを見る。
「誰か一人でも不足を示したら、始めない」
俺は頷いた。
「それを決戦条件とする」
作業はすぐに分かれた。
ポロとガンツは内政班として雨受けと凝結枠を作る。ミーナは近場の罠を巡り、獲物だけでなく水を含む蔓を探す。グラウは翼を休めながら見張り、風袋一つを夕方に満たす。俺は殻響で壁の冷たい場所を探し、凝結布を置く順番を決める。
ポロは群れ捜索用の薬箱を封じ、決戦では開けないと決めた。水蛇を越えた後に持ち出す分まで使えば、道だけ開いても群れを助けられないからだ。
最初の雨受けは、雫の真下に置いたのにほとんど溜まらなかった。落ちた水が板の割れ目から漏れたのだ。
「急げば明日までに間に合わん」
俺が苛立つと、ガンツが側板を持ち上げた。
「急いだから、継ぎ目を下へ向けた。焦りは同じ失敗を作る」
言い返せない。
二度目は石噛みの脂を継ぎ目へ塗り、板を斜めに重ねた。雫は細い溝を通り、土器へ落ちる。一刻で口を湿らせる程度。それでも三か所へ置けば、夜明けまでに小袋一つ分になった。
凝結布はさらに難しかった。
冷気を強く当てると布が凍り、風が通らない。弱すぎれば水滴にならない。グラウの風袋を一気に使わず、革管へ小さな穴を六つ開け、冷気を均等に吹きつける。炉の温風は上から、冷気は下から。二つが交わる位置へ菌布を張った。
白い霧が生まれ、布に水滴が並んだ。
ポロは歓声を上げかけ、布の下へ器を置くことを忘れていた。水滴が床へ落ち、全員で慌てて皿を差し込む。
「今のは試験分です」
「そういうことにしておこう」
失敗を笑える余裕が、少し戻った。
ただし、集めた水をすぐ飲むことはしなかった。菌布には白灯茸の菌糸が使われている。食用床が安全でも、布へ延ばした後に別の菌が混じっていない保証はない。
ポロは最初の水を三つの小皿へ分けた。一つはそのまま、一つは煮沸、一つは菌炭を通す。色、匂い、沈殿を一刻ごとに比べる。俺が鑑定しても三つとも飲用可能と出たが、昨日学んだばかりだ。今の答えだけで明日を決めない。
「鑑定で安全なら、もう飲めるんじゃないの?」
ミーナが空の水袋を揺らす。彼女も喉が乾いている。声が少しかすれていた。
「俺も飲みたい。だが菌床で、同じ茸の表示が変わった。半日置いて変化を見てからだ」
「慎重になったのはいいけど、待って倒れたら意味がないわ」
「だから蔓の水を先に回す」
ガンツが煮沸した蔓水を五つの石杯へ注いだ。苦く、舌が痺れるような味らしい。俺は殻越しに吸ったが、栄養より苦みだけが内側へ染みた。
「まずい」
「王様でも同じ顔になるのね」
「顔はない!」
だが、このまずさは全員で分けられた。誰か一人だけが澄んだ水を飲むより、妙に安心した。
半日後、未処理の皿には薄い膜が浮いた。煮沸だけの皿は匂いが残り、菌炭まで通した皿だけが透明なままだった。以後、凝結水は必ず煮沸し、菌炭を通してから貯水桶へ入れることにした。工程が増えて集めた量の一割を失うが、腹を壊して戦えなくなるより安い。
水作りと並行して、俺たちは撤退訓練も行った。
壊れた荷台の代わりに、ガンツが二本の長棒と革を組んだ簡易担架を作る。俺を中央へ載せ、前をミーナ、後ろをガンツが持つ。ポロは先導、グラウは最後尾。深層水路と同じ幅になるよう炉前へ石箱を並べ、横から水の代わりに風袋を放つ。
「なぜ俺がまた荷物扱いなのだ」
「自分で歩けるなら降りて」
ミーナに言われ、黙った。
一度目の訓練では、ポロが「右」と言った瞬間、ミーナだけが右へ動き、ガンツは左へ避けた。担架が石箱へぶつかり、俺の亀裂へ痛みが走る。
「止まれ! 方向を言う時は、誰から見た右か決めろ!」
「進む方を向いた右です」
ポロが言う。
「担架を持つ二人は向きが違う」
ガンツが指摘した。
二度目からは、壁の特徴で伝えた。「白い石側」「炉側」「水門側」。さらにポロの声が水音で消える想定で、引き革を一回なら停止、二回なら左、三回なら右と決めた。
二度目は風袋の一撃でグラウが転んだ。翼を庇って身体をひねったため、最後尾からの警告が途切れる。
「俺を外せ」
グラウは起き上がるなり言った。
「傷持ちは足手まといだ」
「違う」
ミーナが即座に否定する。
「あなたが転ぶ前提を入れるの。誰だって転ぶ。最後尾が黙ったら、前は進み続けず、一度止まって確認する」
「止まれば水蛇に追いつかれる」
「見捨てて走れば、次の警告役がいなくなる」
二人の視線がぶつかった。
「確認は一呼吸だけだ」
俺が間へ入る。
「返事がなければガンツが担架を置き、ミーナとポロが俺を引く。ガンツはグラウを回収する。俺も荷台より軽い。全員を連れて戻れる」
「担架を置けば、また設備を失うぞ」
ガンツが試すように聞く。
一瞬、胸が痛んだ。昨日の荷台が砕ける音を思い出す。
「置け。作り直せる物と、作り直せない仲間を迷うな」
三度目の訓練では、グラウがわざと倒れた。ポロが革を一度引き、全員が止まる。返事がない。ガンツが担架を下ろし、ミーナが俺の固定革を引く。俺は床を転がりそうになったが、ポロが横から身体を支えた。ガンツはグラウを背へ載せ、五人で石箱の間を抜けた。
速くはない。美しくもない。それでも誰も置いていかなかった。
「合格だ」
俺が宣言すると、ミーナが息を切らしながら笑った。
「王様が一番何もしてないけどね」
「俺は全体の判断をしている」
「担架の上で悲鳴を上げる役でしょう」
「あれは危険を知らせる警報だ!」
笑い声の裏で、俺は訓練の石箱へ目を向けた。本物の水路では床が滑り、水圧があり、水蛇は待ってくれない。三度成功した程度で安全とは言えない。だから成功回数ではなく、失敗した時にどう戻すかを石板へ追加した。
ミーナは夕方、腹に水を蓄える蔓を三本と洞魚一匹を持ち帰った。追跡はせず、約束どおり日暮れ前に戻った。蔓の水は苦かったが、煮沸して菌炭を通すと飲めた。
翌日には一日分。二十五日目の朝には二日分の代替水が石桶へ溜まった。
食料三日分。解毒剤四回分。風袋は二つ完成し、残り三つ。荷台は車輪一つだけ直った。決戦まで、あと三日。
俺の殻の亀裂は塞がらない。夜になるたび内側の爪が押し、白い線がわずかに広がる。孵化の兆候なのは間違いない。
だが熱、栄養、安全な床のどれかがまだ足りない。今割れれば、俺は動けず、四人は水蛇と人間の気配を同時に警戒することになる。
「三日、持つか」
ミーナが亀裂を見た。
「持たせる」
「根性で殻は直らないわ」
「龍王家の殻を侮るな」
強がったが、今度は続けて本音も言った。
「怖い。寝ている間に割れるかもしれん」
ミーナは亀裂へ触れず、その横へ身体を丸めた。
「なら、交代で見てる。あなたが眠っている間は、私たちが怖がる番よ」
その夜半、卵殻城の外壁から重い衝撃が響いた。
一度。
間を置いて、二度。
殻響を伸ばすと、深層水路から続く壁の向こうで巨大な身体が動いている。水蛇が岩を砕き、こちらへ新しい流路を掘っていた。
警報役の俺が殻を三度鳴らす。全員が寝床から跳ね起き、訓練どおりに動いた。ポロは緊急予備の桶へ蓋をし、ガンツは孵化床側の石扉を閉じる。ミーナは外壁の割れ目へ耳を当て、グラウは風袋を一つだけ退路へ置いた。
三度目の衝撃で壁から石片が落ち、黒い水が細く噴き出した。
「入ってくる!」
俺は叫んだが、水蛇の頭は見えない。尾か、押し込まれた水圧だけだ。ここで貴重な罠を使えば、姿のない敵へ消費する。
「壁を守るな。水を逃がす」
ガンツは床の排水溝を開き、ポロが毒菌処分用の空槽を置いた。ミーナの風で噴流を下へ曲げ、黒水を槽へ受ける。一度は槽が滑り、ポロへ向かったが、グラウが足で止めた。傷んだ翼を使わずとも、見張りの位置から届く仕事だった。
水蛇は四度目を打たなかった。壁の向こうで巨体が離れる音がし、噴流も弱まった。
「追ってこないの?」
ポロが息を詰める。
「今夜は様子を見ただけだ」
ミーナの顔は青ざめていた。
「次はもっと深く壊す。あちらも私たちの位置を測ってる」
俺たちは侵入口を完全には塞がず、細い観測穴を残して二重壁を組んだ。敵の接近を早く知るためだ。守るだけでは、やがて掘り抜かれる。準備の三日間にも、防衛班と作業班を同時に動かさなければならない。
三日の猶予は、敵が待ってくれる期限ではなかった。




