表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔物に育てられた人間  作者: イリス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/24

第二章 夏 第2話 森を読む

第二章 夏


第2話 森を読む


夏の森は静かだった。


村から離れるにつれ、人の気配は薄くなっていく。


聞こえるのは風の音。

木々の葉が揺れる音。

遠くで鳴く鳥の声。


イリスはガロンの後ろを歩いていた。


大きな背中。


いつも見ている背中だ。


けれど今日は違う。


家で見る父親の背中ではない。


村で見る狩人の背中だった。


無駄な動きがない。


足音もほとんどしない。


太い体なのに不思議なくらい静かだった。


イリスも真似して歩いてみる。


けれど難しい。


枯れ枝を踏みそうになるし、草をかき分ける音も出る。


ガロンは振り返らない。


何も言わない。


ただ歩き続ける。


しばらくして、ふと立ち止まった。


「見ろ」


短い言葉。


イリスは近付いた。


ガロンが指差した先。


そこには地面の窪みがあった。


最初はただの穴に見えた。


しかしよく見ると違う。


左右対称。


何かの足跡だった。


「何が分かる」


ガロンが聞く。


イリスはしゃがみ込んだ。


土は少し湿っている。


昨夜の雨の名残だろう。


足跡は崩れていない。


新しい。


それは分かった。


大きさはガロンの足より小さい。


オークではない。


狼獣人でもない。


蹄もない。


小さな爪の跡がある。


イリスは考えた。


「小さい」


ガロンは黙っている。


「新しい」


まだ何も言わない。


「たぶん動物」


ようやくガロンが頷いた。


「悪くない」


少し嬉しくなる。


けれどガロンは続けた。


「足りん」


イリスは首を傾げた。


足りない?


何がだろう。


その時、風が吹いた。


森の匂いが流れてくる。


草。

土。

木。


そして。


ほんの少しだけ。


獣の匂い。


イリスは鼻をひくつかせた。


「あ」


ガロンの耳が少し動く。


「気付いたか」


「匂い」


「そうだ」


ガロンはしゃがみ込む。


「森は喋る」


そう言って地面を指差した。


「足跡」


次に折れた小枝を指差す。


「折れた枝」


草を撫でる。


「踏まれた草」


そして鼻を指差した。


「匂い」


ガロンの目は真剣だった。


「全部が情報だ」


イリスは改めて周囲を見る。


今まで見えていなかったものが見えてくる。


折れた枝。


擦れた木の皮。


踏み固められた地面。


森の中には無数の痕跡があった。


ガロンは立ち上がる。


「追うぞ」


イリスも立ち上がった。


足跡を辿る。


少しずつ。


慎重に。


狩人の真似をする。


しばらく歩くと、ガロンが突然しゃがみ込んだ。


手を上げる。


静かにしろという合図だった。


イリスも慌てて身を低くする。


ガロンが前を指差した。


草むらの向こう。


そこにいた。


白い毛並み。


丸い体。


小さな一本角。


フワ角ウサギ。


村でよく食べられる小型魔物だった。


まだ若い個体らしい。


草を食べている。


こちらには気付いていない。


イリスは思わず見入った。


生きている。


呼吸している。


耳が動いている。


当たり前のことなのに不思議だった。


普段食べている肉も、元はこうして生きていたのだ。


ガロンが小声で聞く。


「どうする」


イリスはウサギを見る。


初めての獲物。


捕まえてみたい。


自分の力で。


ガロンが代わりに仕留めるのでは意味がない気がした。


「やってみる」


ガロンは何も言わない。


止めもしない。


イリスはゆっくり前へ進んだ。


一歩。


また一歩。


フワ角ウサギはまだ気付かない。


心臓が少し速くなる。


もう少し。


あと少し。


その時だった。


パキッ。


小枝を踏んだ。


しまった。


イリスの顔が固まる。


フワ角ウサギの耳がぴくりと立った。


ゆっくり振り向く。


目が合った。


数秒。


静止。


そして。


ダッ!


ウサギは弾かれたように走り出した。


「待って!」


イリスも反射的に飛び出す。


森を駆ける。


だが速い。


驚くほど速い。


草を抜ける。


木の間をすり抜ける。


岩を飛び越える。


まるで風だった。


イリスも必死に追う。


けれど距離は縮まらない。


むしろ離れていく。


やがて姿が見えなくなった。


静寂。


残ったのは自分の荒い息だけだった。


「はぁ……はぁ……」


逃げられた。


完全に。


初めての狩り。


初めての失敗。


悔しかった。


あと少しだった気がした。


本当にあと少し。


その時、後ろから足音が聞こえた。


ガロンだった。


歩いてきただけ。


走った様子もない。


「どうだった」


イリスは答えられなかった。


悔しい。


恥ずかしい。


情けない。


色々な感情が混ざっている。


ガロンはしばらく足跡を見た。


それから聞く。


「お前が獲物ならどうする」


イリスは顔を上げた。


「え?」


「今のお前だ」


ガロンは淡々と言う。


「枝が鳴った」


「何かいる」


「お前ならどうする」


イリスは考えた。


すぐ逃げるだろうか。


いや。


怖い。


でも。


何がいるのか気になる。


「様子を見る」


ガロンは少しだけ頷いた。


「半分正解だ」


イリスは続きを待つ。


「獲物は臆病だ」


ガロンは言った。


「だが馬鹿じゃない」


森を見渡す。


「何も見ずに逃げる奴もいる」


「確認する奴もいる」


「逃げながら確認する奴もいる」


イリスは思い出す。


あのウサギ。


確かに逃げながらこちらを見ていた。


「狩人は獲物の頭で考えろ」


ガロンの声は低かった。


「風向き」


「音」


「匂い」


「逃げ道」


一つずつ指を折る。


「相手が何を考えるか」


それが大事だ。


イリスは頷いた。


失敗した。


でも、少しだけ分かった気がする。


狩りは力比べじゃない。


考えることだ。


生き物を知ることだ。


森を知ることだ。


その時だった。


風向きが変わった。


ガロンの鼻が動く。


表情も変わる。


今までとは違う。


狩人の顔。


鋭い目。


緊張。


「伏せろ」


声が低い。


イリスはすぐに草むらへ身を伏せた。


ガロンも同じようにしゃがむ。


森が静かになる。


風だけが吹いている。


そして。


草の向こうから現れた。


灰色の毛並み。


鋭い牙。


大きな体。


四本足。


灰牙狼だった。


フワ角ウサギより遥かに大きい。


村の大人でも油断できない中型魔物。


イリスは息を呑んだ。


狼はまだこちらに気付いていない。


ゆっくり歩いている。


鼻を動かしながら。


獲物を探すように。


ガロンが小さく囁いた。


「問題だ」


イリスは狼を見つめる。


「さっきのウサギとの違いは何だ」


狩りの授業はまだ終わらない。


そしてイリスはまだ知らない。


この灰牙狼との出会いが、この日の出来事を大きく変えていくことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ