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魔物に育てられた人間  作者: イリス


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第一章 春 第二話 泣いている子

第一章 春

第二話 泣いている子


 家の中は静かだった。


 ついさっきまで騒いでいたフィアも黙っている。


 ソラも窓の外を見つめたまま何も言わない。


 ミィはクッションを抱えているが、もう眠ってはいなかった。


 セリナも本を閉じている。


 窓の外では村人たちが慌ただしく動いていた。


 武器を運ぶ者。


 見張りへ向かう者。


 門へ走る者。


 いつもの村とは明らかに違う。


 フィアが小さな声で言った。


「人間、来るのかな……」


 誰も答えられない。


 イリスも分からなかった。


 人間。


 それはイリス自身と同じ種族のはずだった。


 けれど、イリスは人間の村を見たことがない。


 人間と話したこともない。


 だから人間と言われても実感が湧かなかった。


 その時だった。


 家の外から声が聞こえた。


「うぅ……」


 小さな声。


 泣いている。


 子供の声だった。


 フィアの耳がぴくりと動く。


「誰かいる」


 ソラも窓を見る。


「聞こえた」


 イリスはゆっくり窓へ近付いた。


 ガロンは家から出るなと言った。


 ルナも今日は家にいろと言った。


 だからまず確認する。


 窓から外を覗く。


 そこには、小さな兎獣人の女の子が立っていた。


 白い耳。


 白い髪。


 泥だらけの服。


 涙でぐしゃぐしゃの顔。


 年齢は三歳くらいだろうか。


 フィアが声を上げた。


「リリィだ」


 イリスも知っていた。


 村の子供だ。


 兄弟が多く、人懐っこい女の子。


 よく兄の後ろを付いて歩いていた。


 その兄の名前はアレン。


 八歳の兎獣人だった。


 木登りが得意で、面倒見の良い少年だった。


 リリィは泣いていた。


「お母さん……」


「お母さん……」


 何度も同じ言葉を繰り返している。


 フィアの表情が曇った。


 ソラも黙る。


 セリナは唇を噛んだ。


 イリスはみんなの様子を見る。


 何か知っている。


 そんな顔だった。


 やがてセリナが静かに言った。


「さっき運ばれてた人……」


 フィアが目を伏せる。


「アレンだったの」


 イリスは言葉を失った。


 アレン。


 知っている名前だった。


 木登りを教えてくれたこともある。


 フィアと追いかけっこをしている姿も見た。


 いつも元気だった。


 そのアレンが。


 フィアは小さく呟いた。


「槍で……」


 その先は言えなかった。


 イリスは窓の外を見る。


 リリィはまだ泣いている。


 一人で。


 震えながら。


 母親を探している。


 ガロンは家族を守れと言った。


 ルナは家から出るなと言った。


 でも。


 リリィは家族じゃないのだろうか。


 少なくともイリスには、そうは思えなかった。


 イリスは玄関へ向かった。


「イリス?」


 フィアが驚く。


 セリナも立ち上がった。


「何するの?」


 イリスは振り返る。


「中に入れる」


 それだけ言って扉を開けた。


 冷たい風が吹き込む。


 リリィは顔を上げた。


 真っ赤な目。


 涙だらけの頬。


 そしてイリスを見るなり。


「イリスお兄ちゃん……」


 堪えていたものが一気に溢れ出した。


「うわあああああん!!」


 リリィは走ってきた。


 そしてイリスに抱きついた。


 小さな体が震えている。


 泣き声が止まらない。


「お母さんいないの……」


「お兄ちゃんもいないの……」


「どこ……?」


 イリスは答えられなかった。


 知らないからだ。


 そして。


 たとえ知っていても。


 今のリリィには言えなかった。


 だから頭を撫でた。


「中に入ろう」


 リリィは泣きながら頷いた。


 家の中へ入ると、フィアがすぐに駆け寄る。


「リリィ!」


 ソラも隣へ座った。


 ミィはクッションを持ってきた。


 セリナは毛布を棚から取り出す。


 誰も言葉にしない。


 けれどみんな分かっていた。


 今必要なのは説明じゃない。


 安心できる場所だった。


 リリィは毛布に包まれた。


 少しずつ泣き声が小さくなっていく。


 やがて。


 ぽつりと呟いた。


「お兄ちゃん帰ってくるよね?」


 部屋が静まり返った。


 フィアの耳が伏せられる。


 ソラは目を逸らした。


 ミィは拳を握る。


 セリナは何も言えなかった。


 誰も答えられない。


 リリィは続ける。


「花畑に連れて行ってくれるって約束したの」


「大きくなったらって」


 イリスは胸が苦しくなった。


 リリィは信じている。


 兄が帰ってくると。


 約束を守ってくれると。


 その時だった。


 玄関の外で足音がした。


 重い足音。


 聞き慣れた足音。


 コンコン。


 扉が叩かれる。


「イリス」


 低い声。


 ガロンだった。


 だが。


 その声はいつもと違った。


 疲れていた。


 悲しみを押し殺しているような声だった。


 イリスは扉へ向かった。


 そしてゆっくり開く。


 そこにはガロンが立っていた。


 肩には泥。


 服には血。


 自分の血ではない。


 誰かの血だった。


 ガロンは家の中を見る。


 そしてリリィを見つける。


 一瞬だけ目を閉じた。


 ほんの一瞬。


 だが深い悲しみが見えた。


 ガロンは静かに家へ入る。


 リリィの前まで歩く。


 そしてしゃがみ込んだ。


 リリィは期待した目で見上げる。


「ガロンおじちゃん」


「……」


「お兄ちゃん帰ってくるよね?」


 沈黙。


 長い沈黙。


 ガロンは答えられなかった。


 そしてリリィは理解してしまった。


 子供ながらに。


 みんなの顔を見て。


 何が起きたのかを。


「やだ」


 小さな声。


「やだ」


 もう一度。


「やだあああああ!!」


 リリィは泣き叫んだ。


 ガロンは何も言わない。


 ただリリィを抱き上げた。


 大きな腕で。


 優しく。


 リリィは泣き続ける。


 それでもガロンは離さなかった。


 やがて。


 泣き疲れたリリィは眠ってしまった。


 家の中には重い静寂だけが残った。


 その静寂の中で。


 イリスは初めて理解し始めていた。


 死というものを。


 失うということを。


 そして。


 人間という存在を。

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