第二章 夏 第4話 警笛
第二章 夏
第4話 警笛
リリィが到着した頃には、森の緊張感はどこかへ消えていた。
灰牙狼との遭遇。
初めての狩り。
本来なら忘れられない経験だったはずだ。
けれど今は、それ以上に目の前の状況が酷い。
フィア。
ソラ。
ミィ。
セリナ。
そしてリリィ。
全員が揃っていた。
ガロンは腕を組む。
しばらく黙る。
誰も喋らない。
怒られる。
全員そう思っていた。
特にフィアとソラは耳までしょんぼりしている。
やがてガロンが口を開いた。
「勝手について来たことは怒っている」
全員が縮こまる。
「はい……」
フィアが小さく答えた。
「だが」
ガロンは続ける。
「ここまで見つからなかったことは褒めてやる」
全員が顔を上げた。
「えっ」
フィアが目を丸くする。
ソラも同じだった。
イリスも少し驚いた。
確かに。
灰牙狼が現れるまで、ガロンは気付いていなかった。
子供たちなりに上手く隠れていたのだろう。
フィアが少しだけ嬉しそうな顔になる。
ソラも胸を張る。
「私、結構頑張った」
「木から落ちた奴が言うな」
セリナが冷静に突っ込んだ。
「うっ」
ガロンはため息を吐く。
「だが森は遊び場じゃない」
その言葉に全員が真面目な顔になる。
「今日は特別だ」
誰も反論しない。
ガロンは子供たちを見る。
そして聞いた。
「問題だ」
みんなの視線が集まる。
「今、この場で一番危険なのは誰だ」
フィアが真っ先に答えた。
「灰牙狼!」
「もういない」
「うっ」
ソラが手を挙げる。
「オーク!」
「いない」
「そっか」
ミィが眠そうに言う。
「私」
「それは別の意味だ」
セリナが即答した。
少しだけ笑いが起きる。
けれどガロンは真面目だった。
イリスは考える。
危険。
弱い。
守らなければならない存在。
そして視線が自然と向いた。
リリィだった。
四歳。
一番小さい。
走るのも遅い。
戦うこともできない。
もし何かあったら。
真っ先に守らなければならない。
ガロンは頷いた。
「正解だ」
リリィは驚いた顔をする。
「わたし?」
「ああ」
ガロンは言った。
「弱いことは悪いことじゃない」
リリィは黙って聞いている。
「だが弱いなら、自分が弱いことを知れ」
静かな言葉だった。
優しくもあり、厳しくもある。
ガロンはさらに続けた。
「そして」
子供たちを見る。
「強い奴は弱い奴を見る」
フィアがリリィを見る。
ソラも見る。
セリナも。
ミィも。
イリスも。
リリィは少し照れたように木彫りの竜を抱きしめた。
その時だった。
遠くから音が聞こえた。
ピィィィィィィッ!
甲高い笛の音。
全員が顔を上げる。
森に響き渡る音。
ガロンの表情が変わった。
一瞬で。
今までの父親の顔ではない。
狩人の顔。
「警笛だ」
低い声。
フィアの耳がぴくりと動く。
「警笛?」
「村の緊急信号だ」
イリスも知っていた。
見張りが危険を知らせる時に使う。
だが聞いたことはほとんどない。
平和な村だからだ。
ピィィィィィッ!
再び鳴る。
一回ではない。
二回。
三回。
連続。
ガロンの目が細くなる。
「村の方向だ」
空気が変わる。
フィアも笑わない。
ソラも黙る。
リリィは不安そうにイリスの服を掴んだ。
イリスはみんなを見る。
まず集める。
離れてはいけない。
「みんな近くに」
フィアがすぐに動く。
ソラも。
ミィも。
セリナも。
リリィは最初から隣にいた。
ガロンはその様子を見ていた。
ほんの少しだけ安心したように見えた。
イリスは聞く。
「何があったの?」
ガロンはすぐには答えない。
耳を澄ませる。
風を読む。
森の音を聞く。
やがて言った。
「分からん」
フィアが驚く。
「分からないの?」
「ああ」
ガロンは頷く。
「だから危険だ」
知っている危険は対処できる。
知らない危険は対処しづらい。
ガロンは続けた。
「だが一つだけ分かる」
全員が耳を傾ける。
「普通じゃない」
その言葉だけで十分だった。
ガロンは決断する。
「村へ戻る」
誰も反対しない。
全員が頷いた。
その時。
ガサッ。
森の奥で音がした。
ガロンは即座に前へ出る。
子供たちを背中に隠した。
静寂。
そして。
茂みから飛び出してきたのは狼獣人だった。
若い男。
息を切らしている。
全力で走ってきたのだろう。
イリスも知っている顔だった。
ロウ。
村の見張り役の一人だ。
「いた!」
ロウは叫ぶ。
ガロンが聞く。
「何があった」
ロウは荒い息を整える。
そして答えた。
「人間だ」
森が静まり返った。
フィアの耳が止まる。
ソラも動けない。
リリィの顔から血の気が引く。
アレン。
誰も口には出さない。
だが全員の頭に浮かんだ。
人間。
その言葉だけで十分だった。
ロウは続ける。
「一人だ」
ガロンの目が細くなる。
「子供だ」
全員が固まった。
予想していなかった。
人間。
子供。
しかも一人。
ロウは言う。
「怪我してる」
静寂。
誰も喋らない。
フィアも。
ソラも。
セリナも。
イリスも。
ガロンですら驚いていた。
「村が保護した」
ロウが言う。
「村長が呼んでる」
ガロンは少し考えた。
そして頷く。
「行くぞ」
その時。
イリスの胸の奥に不思議な感情が生まれていた。
怖い。
気になる。
会ってみたい。
会いたくない。
色々な感情が混ざっている。
だって。
人間なのだ。
自分以外の。
初めて会う。
同じ種族の子供。
その出会いが。
これからの人生を大きく変えることになるとは。
まだ誰も知らなかった。




