第九回
監察府の余白
「記録を正せ。この国に、偽りの死を綴る余地はない」
粛宗の震える声が政殿に響いた。握った王の銀筆が、検死結果を記した書付をなぞる。ビアンが命懸けで見つけた「不協和音の残滓」が、公式な証拠として認められたのだ。
「チャン尚宮の無実は証明された。ソ従事官よ、陰謀の黒幕を一兵たりとも逃すな」
ソ・ヨンギは深く頭を垂れた。
釈放されたチャン尚宮のもとに、清国から帰国した兄、チャン・ヒジェが訪れた。華美な衣装の奥、その瞳にはどろりとした野心が渦巻いている。
「卑しい奴婢の娘を重用しているそうだな」
「ビアンがいなければ、私は今頃……」
「黙れ。恩義と利用価値を混同するな」
ヒジェは、チャン尚宮が持っていたビアンの「下書き」の断片を、銀のペンの先で無造作に弾いた。
「あの娘が牙を剥く前に、私が始末してやろう」
チャン尚宮は微かな戦慄を覚えた。自分が求めているのは正義だ。だが兄が求めているのは、銀のペンですべてを塗り潰す独裁だった。
翌日、宮廷に激震が走った。ビアンが監察府の女官に抜擢されたのだ。奴婢から女官への異例の登用に、古参たちが猛然と声を上げる。
「記録の正義を司る監察府に、奴婢あがりの娘を入れるなど、銀の法への冒涜です!」
その怒声を静めたのは、仁顯王妃だった。
「許可したのは私です。文句があるのなら、この私の座を否定しなさい」
王妃はチャン尚宮が申し出た辞退さえも、穏やかに退けた。
「この娘が、宮廷という完成された文字の中に、どのような『可能性』を書き込むのか。私はそれを見てみたいのです」
しかし、現実は甘くなかった。
監察府でビアンを待っていたのは、陰湿な無視と終わりのない雑用だった。同僚の女官たちは彼女が通るたびに鼻を鳴らし、机に積まれた帳面をわざと汚した。
「お前の鉛筆など、ここには必要ない。さっさと消しゴムで自分自身を消したらどうだ」
嘲笑の中で、ビアンは一人、深夜まで書庫に籠もった。銀のペンで記された膨大な法典、過去の事件記録、宮廷の礼法。それらを頭に叩き込み、鉛筆で「綻び」を見つけ出す訓練を繰り返す。指はインクと鉛の粉で真っ黒になり、睡魔が何度も襲った。
(下書き:ここで「記録」を学ばなければ、父様の真実を清書することはできないから)
ビアンは、すり減った鉛筆を握り直した。
窓の外では、ヒジェが放った刺客たちが闇に紛れ、彼女の命を狙い始めていた。公式な記録に記されない、音もなき暗闘の幕が上がろうとしていた。




