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『刻印の乙女 〜備案(ビアン)の書〜』  作者: 水前寺鯉太郎
立志編

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第六回

消された旋律


「ここです! 確かにここに、編馨職人の死体が……!」

 ビアンの声が夜の静寂を切り裂いた。背後の武官たちが抜き身の刀で小屋へ踏み込む。だが立ち込める埃の先にあったのは、空っぽの床と、冷え切った空気だけだった。

「……奴婢の娘よ。夜更けに武官を担ぎ出すとは、よほど暇と見えるな」

 武官が吐き捨て、刀を鞘に収める。ビアンの訴えは、公的な「記録」に値しないいたずらとして処理された。

 ビアンは震える手で小屋の隅を見つめた。確かにさっきまで、宮廷の音を司る職人が、物言わぬ肉塊となって転がっていたのだ。

(下書き:死体は銀の文字で消されたわけじゃない。物理的に運び出されたんだ)

 目に見える「記録」が消されても、彼女の瞳に焼き付いた真実までは消せはしない。

 翌朝、ビアンは編馨職人の家を訪れた。精巧に削り出した石の打音で王の徳を讃える神聖な楽器、編馨。本来なら石を削る鋭い音が響いているはずの工房は、不気味なほど静まり返っていた。

 門陰に身を潜めると、数人の男たちが視界に飛び込んでくる。昨夜、自分を小屋に閉じ込めた者たちだ。彼らは職人の家から重そうに布で包まれた何かを運び出し、手際よく荷車に載せていく。職人を敬う者の手つきではない。証拠を隠滅する略奪者のそれだった。

 ビアンは音を立てず後を追った。都の喧騒を抜けてたどり着いたのは、高い塀に囲まれた威圧感のある大邸宅。男たちが屋敷の中へ消えていく。

 勝手口へ這い寄ったとき、足元に違和感を覚えた。

 黒い、独特の光沢を放つ石の欠片。

「これ……」

 拾い上げ、指の腹で撫でた。昨夜閉じ込められていた小屋の床に落ちていたものと、全く同じ質感だった。編馨に使われる最高級の玉。その破片がなぜ、この屋敷の前に。

 ビアンは鉛筆を取り出し、欠片に軽く触れた。

(下書き:この石は、共鳴する)

 微かな振動が指先に伝わる。石本来の音色ではない。銀のペンで無理やり音階を書き換えた際に生じる、不協和音の残滓だった。

 屋敷の奥から、女たちの笑い声が聞こえた。塀の隙間に目を凝らすと、庭園を歩く華やかな影。その中心にいたのは、蝶の鍵飾りを揺らすチャン尚宮だった。

「音は、王の心を操る最も鋭い筆となる。あの職人には、死をもってその『完成』を祝ってもらいましょう」

 職人が殺されたのは口封じではなかった。編馨という石の楽器を使い、王宮に流れる空気そのものを、南人に都合の良い音色に書き換えようとしているのだ。

 ビアンは石の欠片を握りしめた。銀のペンが音色さえも支配しようとするなら、この「下書きの石」で、その旋律を内側から破壊してやる。

 背後から、ヨンギの部下たちの足音が近づいてくる。ビアンは石を懐に隠し、深い影の中へと姿を消した。

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