第ニ十九回
巨人の残滓、沈黙のコトバ
雪が音を吸い込む、無音の世界だった。
ビアンを先頭に、ヨンギ、ジョンチョルら選り抜きの精鋭が、凍てついた大地を踏みしめていた。人間二人がかりでようやく埋まるほどの深い足跡が、一直線に続いている。
(下書き:この歩幅は、この地の重力さえも書き換える力を持っている)
冷気で芯が凍りついた鉛筆を取り出し、足跡の縁をなぞる。銀のペンが記す「人間」という定義を遥かに踏み越えた、生命の奔放な記録がそこにはあった。
足跡を追い、氷の切り通しを抜けた時、視界が開けた。
巨大な獣の皮を繋ぎ合わせた山のような家が点在する集落。焚き火の煙が雲を突き抜けるように高く立ち、獣脂の匂いが飢えた船員たちの本能を揺さぶる。
「……あれが、この地の原住民か」
ジョンチョルが声を殺した。焚き火の傍らに座る影は、立ち上がれば清風号のマストにも届きそうな巨体だった。青白い肌には、未知のインクで幾何学的な下書きが刺青として刻まれている。
ビアンは仲間を下がらせ、一人で集落の中心へと歩み出た。小人国では神のごとく崇められた彼女も、ここではか弱い小鳥のような存在に過ぎない。一歩間違えれば、物語は一瞬で完結してしまうだろう。
足元では豊山犬が低く唸り、しかしビアンの足に寄り添ったまま離れなかった。
(下書き:彼らの言葉は、声ではなく「振動」にある)
ビアンは地面に鉛筆を突き立てた。巨人が立ち上がった瞬間、大地を伝わってきた微かな震え。それを鉛筆の芯で感知し、自らの意志を振動として書き込む。
「私たちは、北から来た旅人です。争うためではなく、この世界の続きを綴るために来ました」
最も年老いた巨人が、ゆっくりとビアンを見下ろした。その瞳には銀のペンのような鋭利な知性ではなく、悠久の時をかけて積もった雪のような深い知恵が宿っていた。
彼はゆっくりと指を伸ばし、ビアンの鉛筆に触れようとした。
「淑媛様!」
ヨンギが刀を抜こうとしたが、ビアンは制した。
「待って。この方は、私の下書きを読もうとしている」
巨人の指が鉛筆に触れた瞬間、言葉ではない「音」の洪水が脳内に流れ込んだ。この凍土が刻んできた、何千年もの孤独な冬の記録だった。
だが、その調和を乱すように、巨人の首筋に不気味な銀の刻印が光っているのを、ビアンは見逃さなかった。
(下書き:この巨人さえも、誰かの「銀の命令」に縛られている……?)
世界の果てに現れた圧倒的な生命。彼らすらも支配しようとする巨大な筆跡の影が、吹雪の向こう側から姿を現そうとしていた。




