表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『刻印の乙女 〜備案(ビアン)の書〜』  作者: 水前寺鯉太郎
立志編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/45

第十七回

無名の再定義


「記録せよ。オ・テソク、およびチャン・ヒジェ。両名は王室の財を私し、偽りの文字をもって忠臣を陥れた。その罪、銀の法に照らし、永久に歴史の汚点として刻むものとする」

 粛宗の宣言と共に、銀のペンが激しい光を放った。王の筆致が、ヒジェたちの偽りの功績を次々と塗り潰していく。

「おのれ……! たかが奴婢の娘の下書きに、私の記録が敗れるというのか!」

 絶叫も虚しく、ヒジェはヨンギの手によって銀の枷で拘束された。宮廷を支配していた偽りの旋律が止まり、静寂が政殿を包む。

 だが、その中心に立つ少女は、ただ虚空を見つめていた。

「……お前、名は?」

 粛宗が労わるように肩に手を置いた。少女はゆっくりと自分の手を見つめる。鉛筆の粉で黒く汚れ、消しゴムの摩擦で皮が剥けたその手。だが、その手が誰のものであるか、彼女にはもう分からなかった。

「……分かりません。私は、誰なのでしょうか」

 ヨンギが痛ましげに目を伏せた。

「王様。この娘は、自らの存在そのものを消しゴムとして使い、国の記録を救いました。今の彼女には、帰るべき過去がございません」

 粛宗は腰の銀のペンを抜き、少女の前に掲げた。

「過去が消えたのなら、余がお前の未来をここに清書しよう」

 流麗な文字が空中に刻まれる。

「『淑』――清らかで、淀みない。お前が暴いた真実のように。今日からお前は、監察府の正五品、淑媛として、この宮廷の正当な記録に名を連ねるがいい」

 銀の光が彼女を包み込み、公式な記録に「チェ・トンイ」という新たな一頁が書き加えられた。周囲の女官たちが一斉に平伏する。身分を超えた奇跡の瞬間だった。だが、トンイとなった彼女は、懐の「折れた鉛筆」の重みだけを感じていた。

 一方、自室に幽閉されたチャン尚宮は、狂ったように銀のペンを走らせていた。

「まだよ……まだ終わらせない。記録が塗り替えられたのなら、その裏に呪いの下書きを重ねてやるわ」

 彼女が睨みつけるのは、兄が残した蝶の鍵飾りだ。トンイがまだ気づいていない秘密が、その銀の細工には隠されていた。

 深夜の書庫で、トンイは一本の線を引いた。王から与えられた銀のペンではなく、使い古された鉛筆で。

(下書き:私は、この名前で本当に「清書」されていいの?)

 名前を失っても、指先が覚えている「綻びを探す癖」は消えていなかった。彼女が引いたその線は、内需司の記録のさらに奥、まだ誰も開いていない禁忌の頁へと繋がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ