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『刻印の乙女 〜備案(ビアン)の書〜』  作者: 水前寺鯉太郎


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第十五回

内需司ネスサの隠し文字


 宮廷を追われ、漆黒の闇に身を潜めたビアンを救ったのは、再び現れたチャ・ジョンチョルだった。

 「……無事か、ビアン。公式記録がお前を『死罪に値する大逆人』と定義した。今の都でお前は、銀のペンの目から逃れることのできない『消されるべきシミ』だ」

 ジョンチョルの隠れ家で、ビアンは折れた鉛筆を握りしめた。指先にはまだ、父の無実が塗り潰された時の絶望的な重圧が残っている。

「ジョンチョルおじさん。記録が書き換えられたのなら、書き換えられる前の『原典』を探すしかありません。あの蝶の鍵飾り……あれは内需司のものです。あそこに、父様が命を懸けて守ろうとした『下書き』が眠っているはずです」

 ジョンチョルは無言で、一本の煤けた鉛筆を差し出した。それは、彼がかつて剣契コムゲの首領から受け継いだ、黒鉛の芯が最も硬く、最も深く真実を刻むという「芯刻しんけいの鉛筆」だった。


 深夜の内需司。そこは王宮の中でも、銀のペンの魔力が最も濃く漂う聖域だった。

 「(下書き:この廊下を歩く衛兵の足音は、十歩ごとに三拍の余白が生まれる)」

 ビアンは壁に背を預け、新しい鉛筆を走らせた。彼女の視界には、銀のシステムが作り出す監視の網が、光る糸のように見えている。銀のペンが「鉄壁の守護」を記しているのに対し、ビアンはその記述の隙間にある、人間らしい「油断」や「老朽化」という綻びを見つけ出していく。

 一歩、また一歩。彼女は記録に載らない「死角」を縫うようにして、宝物庫の深部へと進んだ。

 たどり着いたのは、重厚な銀の錠前で閉ざされた隠し書庫。その中央には、南人の重臣たちが決して人目に触れさせたくない、裏の金銭出納帳――『内需司秘密記録』が鎮座していた。


 「これだ……。父様が、そして編馨ピョンギョン職人が殺されてまで守ろうとしたのは……」

 ビアンは震える手で記録をめくった。そこには、チャン・ヒジェと清国の使節団の間で交わされた、莫大な額の「銀」と「石」の取引が克明に記されていた。

 だが、その記録の最終行には、チャン尚宮サングンが放った「銀の封印」が施されていた。不用意に触れれば、記録そのものが消滅し、ビアンの命もろとも爆発する呪いだ。

「(下書き:この封印は、私の意志で……いいえ、私の『存在』で消してみせる)」

 ビアンは懐から、すり減り、もはや指先ほどの大きさになった消しゴムを取り出した。


 キュリ、キュリ……。

 封印を擦るたび、ビアンの全身を激痛が襲う。代償として剥がれ落ちるのは、共に雪山を逃げた「兄・クィドンの声」の記憶だった。

 ――ビアン、走れ。俺のことはいいから、お前は生きるんだ。

 その必死な呼び声が、音節ごとに消えていく。優しかった兄の口調、笑い声、自分を呼ぶ時の特有の抑揚……。それらが真っ白に塗り潰されていく空虚感に、ビアンは血を吐くような思いで耐えた。

「……返せ。私たちの、本当の歴史を……っ!」

 まばゆい銀の閃光と共に、封印が霧散した。

 現れたのは、書き換えられる前の、チェ・ヒョウォンが命を懸けて書き記した「下書きの署名」だった。

「……ビアン? そこで何をしている」

 背後から響いたのは、ソ・ヨンギの声ではなかった。

 銀のペンを抜き、冷徹な殺意を宿したチャン・ヒジェが、手下と共に書庫の入り口を塞いでいた。

「その記録ごと、お前を『存在しなかった事実』として処理してやろう」

 絶体絶命の闇の中で、ビアンは奪い取った真実の記録を胸に抱き、折れぬ鉛筆を構えた。

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