表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『刻印の乙女 〜備案(ビアン)の書〜』  作者: 水前寺鯉太郎
立志編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/30

第十三回

余白の埋め合わせ

 都へ帰還した一行を待っていたのは、割れんばかりの沈黙と畏怖の視線だった。

 死んだはずの男を連れ戻したビアンの名は、一晩にして宮廷中に知れ渡った。だが、賞賛を浴びる彼女の心はどこか虚ろだった。

(下書き:……思い出せない)

 自室の暗闇で母の顔を思い出そうとする。脳裏に浮かぶのは、煤けた銀の霧ばかりだ。消しゴムの代償は、彼女の心の支えを確実に削り取っていた。

「ビアン監察官。王様がお呼びです」

 夜の政殿で、粛宗は銀のペンを置いてビアンを待っていた。慣れぬ手つきで煎じた茶を差し出す。王自らが女官に茶を出すなど、前代未聞の記録外の出来事だ。

「見事であった。お前の引いた線が、国の崩壊を食い止めたのだ」

「……恐れ入ります。職務を全うしたまでです」

「職務か。私には、お前という人間が、この退屈な記録の海に投じられた光のように見えるのだ」

 粛宗の言葉が、凍えた心に触れた。だがその睦まじい様子を、扉の隙間から見つめる影があった。チャン尚宮だ。彼女は銀のペンを握りしめ、震えていた。

(私の場所が……あの娘の余白に塗り潰されていく)

 翌朝、監察府はチャン・ヒジェへの調査を開始した。

「キム・ユンダルとの密約、および死体偽装への関与。申し開きをしていただこう」

 ヨンギの宣告に、ヒジェは余裕の笑みを崩さなかった。

「あの娘の『下書き』が、公式な記録に勝てるとでも思うのか」

 銀のペンを走らせると、提出された証拠書類の文字が不自然に滲み、消えていく。

(下書き:消されたなら、その消えた跡を読めばいい)

 ビアンは懐から短くなった鉛筆を取り出した。

「ヒジェ様、文字は消せても、紙に残された筆圧までは消せなかったようですね」

 鉛筆の腹で書類を薄く擦ると、消えたはずのヒジェの署名が浮き彫りのように現れた。

「これは……!」

「鉛筆は、隠された凹凸を見逃しません」

 窮地に陥ったヒジェが逆上し、懐から包みを投げ捨てた。

 古びた、血に汚れた蝶の鍵飾り。

 ビアンの息が止まる。チャン尚宮が持っていたものとは違う。あの日、雪山で父の命を奪った者が持っていた、本物の対の飾りだった。

「……なぜ、あなたがこれを」

「これの持ち主を殺したのは私ではない。だが、これがお前の父の死の真実を記した鍵であることは間違いないぞ」

 邪悪な笑い声が廊下に響く。

 父の死の真相。消された記憶。目の前に突きつけられた残酷な鍵。

 ビアンは激しい眩暈の中で、折れそうな鉛筆を必死に支えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ