山の主との戦い、そして契約
目の前の巨体を前に、震えが止まらなかった。
この一帯に、モンスターの気配がなかった理由。
デストロイファームが、長い間放置されていた理由。
――全部、こいつだ。
この山に棲む「主」。
漆黒の鱗に覆われた体は、俺たちの家よりも大きい。月明かりを反射する金色の瞳が、値踏みするように俺ともみじを見下ろしていた。
生き物としての格が、根本的に違う。
俺たちでは、こいつに勝てない。
「タケル様……」
もみじが俺の袖をつかむ。
その声に応えるより先に、ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。
喉の奥で、赤黒い炎が渦を巻く。
「もみじ、伏せろ!」
叫ぶと同時に、もみじを抱えて地面へ飛び込んだ。
直後。
俺たちが立っていた場所が、真紅の炎に飲み込まれた。
熱風が頭上を吹き抜ける。
「大丈夫か!?」
「はい!」
もみじが立ち上がり、ドラゴンを見据える。
「もみじ、右から回り込め! 脇腹へ体当たりだ!」
「はい!」
もみじが地面を蹴った。
小さな体が闇を切り裂き、ドラゴンの側面へ飛び込む。巨大なケルベロスさえ倒した一撃が、漆黒の脇腹に炸裂した。
重い音が夜の森に響く。
だが、ドラゴンの巨体は――わずかにも動かなかった。
「うそだろ……」
岩壁へ衝突したかのように、もみじの方が弾き返される。
「もみじ!」
「だ、大丈夫です!」
ドラゴンが巨大な翼を広げた。
そのまま巨体が地面を離れ、夜空へ舞い上がった。
「やばい、上だ! 岩に隠れろ!」
俺ともみじは、近くの大岩へ駆け込む。
次の瞬間、頭上から炎が降り注いだ。
大岩の向こう側が赤く染まり、辺りの地面を炎が走る。熱に耐えきれなくなった岩の表面が、音を立てて砕けた。
長くは隠れていられない。
ドラゴンが旋回し、再びこちらへ向かってくる。
「もみじ、鬼火だ!」
「はい!」
もみじの周囲に、青白い炎が次々と浮かび上がった。
無数の鬼火が夜空を駆け、ドラゴンへ殺到する。
だが――。
ドラゴンは、翼を一度振っただけだった。
巻き起こった暴風に飲まれ、鬼火が夜空へ散っていく。
「そんな……」
体当たりも、鬼火も通じない。
打つ手がなかった。
息を切らす俺の前へ、もみじが静かに進み出た。
両腕を広げ、小さな背中で俺を庇う。
「もみじ、何をしてる!」
「タケル様は、わたしが守ります」
「やめろ! 下がれ!」
ドラゴンの金色の瞳が細められた。
次の瞬間、巨体が地面を蹴る。
漆黒の塊が、一直線に迫ってきた。
「もみじ!」
俺は無我夢中で駆け出した。
「ばかやろおおお!!!」
もみじを抱え、その場から横へ飛ぶ。
鋭い爪が、目前まで迫る。
それでも俺は、もみじを腕の中から離さなかった。
――ドラゴンの動きが止まった。
爪の先は俺のすぐ目の前にある。
あとわずかに踏み込まれていれば終わっていた。
「お主、なぜその娘を守る?」
地を震わせる、低い声。
「……しゃべった?」
「その狐の娘も言葉を話すであろう。それより、我の問いに答えよ」
ドラゴンの金色の瞳に圧倒される。
「今の一撃、お主は己が傷つくことも構わず、その娘を庇った。なぜじゃ」
「なぜって……」
「モンスターなど、ほかにもいくらでもおる」
ドラゴンの視線が、俺の腕の中のもみじへ移る。
「その狐の娘をここへ置き、お主だけ立ち去れ。さすれば、お前だけは見逃してやろう」
「タケル様……」
もみじが小さく俺を呼んだ。
「わたしは大丈夫です。タケル様だけでも逃げてください。少しの間でしたが、もみじは幸せでした」
「何を言ってるんだ」
「でも……」
「一緒に帰るぞ」
俺は、もみじを抱える腕に力を込めた。
「聞こえなかったのか、人間」
「ああ、聞こえた。そのうえで断る」
足は震えている。
声だって、かすれてしまっていて情けない。
それでも、これだけは譲れない。
「もみじは物じゃない。俺が守る」
「お主より、その娘の方が強い。それでも守ると申すか」
「強いとか弱いとか、関係ない」
俺はドラゴンを真っ直ぐ見上げた。
「もみじは俺の大切な家族だ。だから、お前の言うことは絶対に聞けない」
ドラゴンは何も答えなかった。
森に、重い沈黙が流れる。
やがて、その喉の奥から低い音が漏れた。
「……くく」
笑っている。
「くくく……はははははは!」
先ほどまでの殺気が消え、豪快な笑い声が夜の森へ響き渡った。
「何がおかしいんだ?」
「お主のような者を、我は長い間待っておった」
ドラゴンが頭を下げ、巨大な顔を俺の近くへ寄せる。
「かつて、我にも主と呼んだ人間がおった」
「人間を主と?」
「遠い昔の話じゃ。あやつも、お主と同じ目をしておった。モンスターを仲間と呼ぶ、愚かでお人好しな目をな」
ドラゴンの金色の瞳が、懐かしそうに細められる。
「我はもう一度、あのような人間に巡り会うため、この地で待ち続けておった」
「だから、俺たちを試したのか?」
「うむ、そうじゃ」
「試すにしても、加減ってものがあるだろ……」
「すまぬ。久しぶりゆえ、少々力加減を忘れておったわ」
少々どころじゃないだろ!というツッコミは抑えた。何せ相手はAランクのドラゴンだ。
「人間よ、名は?」
「三井健。タケルだ」
「タケルか」
ドラゴンは、その名を確かめるように繰り返した。
「タケル。我と契約せよ」
「俺と、契約?」
「我はこれからそばでお主を見守りたい。お主がこの先も変わらぬというのなら、我が力を貸してやろう」
突然すぎて、頭が追いつかない。
もみじを見ると、彼女も驚いた顔で俺を見上げていた。
だが、ドラゴンにもう敵意は感じない。
俺はステータス画面を開いた。
そこに、見覚えのない項目が浮かび上がっている。
【ドラゴンとの契約が申請されました】
【契約しますか?】
俺は、隣にいるもみじへ目を向ける。
「もみじ。俺はこいつと契約しようと思う。でも、決める前に、もみじの気持ちを聞かせてほしい」
もみじは驚いたように目を見開いた。
「タケル様……もみじはこれからもお側にいられますか?」
「当たり前だ。もみじのいない生活なんて、考えられないよ」
「……っ! 私はこれからも、タケル様を信じています」
俺の選択を信じてくれるらしい。
俺は【はい】を選択した。
その瞬間――。
虹色の光が、夜の森を包み込んだ。
【契約が成立しました】
【『属性変化』が発動しました】
光の中で、ドラゴンの輪郭が変化していく。
巨大だった体が縮み、漆黒の鱗が炎のように舞い散る。翼と尾が光へ溶け、四本の脚が人の手足へ変わった。
虹色の光。
その中心に、一人の女性が立っていた。
燃えるような赤い髪。
額には、黒曜石のような小さな角が二本。切れ長の瞳は、ドラゴンだった時と同じ金色に輝いている。
人型になってもなお、圧倒的な威厳が放たれていた。
目の前に、ステータスが表示される。
【個体名:リン】
【種族:ドラゴン(人型)】
【力:A】
【魔力:A】
【素早さ:B】
【ランク:A】
リンは自身の両手を眺め、確かめるように指を動かした。
やがて顔を上げると、尊大でありながら、どこか楽しそうに笑う。
そして、俺の前で静かに片膝をついた。
金色の瞳が、真っ直ぐに俺を見上げる。
「これより我は、お主の敵を焼き、お主の道を空より見守る者」
リンは深紅の髪をかき上げ、堂々と言い放った。
「末永くよろしく頼むぞ――我が主殿」




