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9/10

山の主との戦い、そして契約

目の前の巨体を前に、震えが止まらなかった。


 この一帯に、モンスターの気配がなかった理由。


 デストロイファームが、長い間放置されていた理由。


 ――全部、こいつだ。


 この山に棲む「主(ぬし)」。


 漆黒の鱗に覆われた体は、俺たちの家よりも大きい。月明かりを反射する金色の瞳が、値踏みするように俺ともみじを見下ろしていた。


 生き物としての格が、根本的に違う。


 俺たちでは、こいつに勝てない。


「タケル様……」


 もみじが俺の袖をつかむ。


 その声に応えるより先に、ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。


 喉の奥で、赤黒い炎が渦を巻く。


「もみじ、伏せろ!」


 叫ぶと同時に、もみじを抱えて地面へ飛び込んだ。


 直後。


 俺たちが立っていた場所が、真紅の炎に飲み込まれた。


 熱風が頭上を吹き抜ける。


「大丈夫か!?」


「はい!」


 もみじが立ち上がり、ドラゴンを見据える。


「もみじ、右から回り込め! 脇腹へ体当たりだ!」


「はい!」


 もみじが地面を蹴った。


 小さな体が闇を切り裂き、ドラゴンの側面へ飛び込む。巨大なケルベロスさえ倒した一撃が、漆黒の脇腹に炸裂した。


 重い音が夜の森に響く。


 だが、ドラゴンの巨体は――わずかにも動かなかった。


「うそだろ……」


 岩壁へ衝突したかのように、もみじの方が弾き返される。


「もみじ!」


「だ、大丈夫です!」


 ドラゴンが巨大な翼を広げた。


 そのまま巨体が地面を離れ、夜空へ舞い上がった。


「やばい、上だ! 岩に隠れろ!」


 俺ともみじは、近くの大岩へ駆け込む。


 次の瞬間、頭上から炎が降り注いだ。


 大岩の向こう側が赤く染まり、辺りの地面を炎が走る。熱に耐えきれなくなった岩の表面が、音を立てて砕けた。


 長くは隠れていられない。


 ドラゴンが旋回し、再びこちらへ向かってくる。


「もみじ、鬼火だ!」


「はい!」


 もみじの周囲に、青白い炎が次々と浮かび上がった。


 無数の鬼火が夜空を駆け、ドラゴンへ殺到する。


 だが――。


 ドラゴンは、翼を一度振っただけだった。


 巻き起こった暴風に飲まれ、鬼火が夜空へ散っていく。


「そんな……」


 体当たりも、鬼火も通じない。


 打つ手がなかった。


 息を切らす俺の前へ、もみじが静かに進み出た。


 両腕を広げ、小さな背中で俺を庇う。


「もみじ、何をしてる!」


「タケル様は、わたしが守ります」


「やめろ! 下がれ!」


 ドラゴンの金色の瞳が細められた。


 次の瞬間、巨体が地面を蹴る。


 漆黒の塊が、一直線に迫ってきた。


「もみじ!」


 俺は無我夢中で駆け出した。


「ばかやろおおお!!!」


 もみじを抱え、その場から横へ飛ぶ。


 鋭い爪が、目前まで迫る。


 それでも俺は、もみじを腕の中から離さなかった。


 ――ドラゴンの動きが止まった。


 爪の先は俺のすぐ目の前にある。


 あとわずかに踏み込まれていれば終わっていた。




「お主、なぜその娘を守る?」


 地を震わせる、低い声。


「……しゃべった?」


「その狐の娘も言葉を話すであろう。それより、我の問いに答えよ」


 ドラゴンの金色の瞳に圧倒される。


「今の一撃、お主は己が傷つくことも構わず、その娘を庇った。なぜじゃ」


「なぜって……」


「モンスターなど、ほかにもいくらでもおる」


 ドラゴンの視線が、俺の腕の中のもみじへ移る。


「その狐の娘をここへ置き、お主だけ立ち去れ。さすれば、お前だけは見逃してやろう」


「タケル様……」


 もみじが小さく俺を呼んだ。


「わたしは大丈夫です。タケル様だけでも逃げてください。少しの間でしたが、もみじは幸せでした」


「何を言ってるんだ」


「でも……」


「一緒に帰るぞ」


 俺は、もみじを抱える腕に力を込めた。


「聞こえなかったのか、人間」


「ああ、聞こえた。そのうえで断る」


 足は震えている。


 声だって、かすれてしまっていて情けない。


 それでも、これだけは譲れない。


「もみじは物じゃない。俺が守る」


「お主より、その娘の方が強い。それでも守ると申すか」


「強いとか弱いとか、関係ない」


 俺はドラゴンを真っ直ぐ見上げた。


「もみじは俺の大切な家族だ。だから、お前の言うことは絶対に聞けない」


 ドラゴンは何も答えなかった。


 森に、重い沈黙が流れる。


 やがて、その喉の奥から低い音が漏れた。


「……くく」


 笑っている。


「くくく……はははははは!」


 先ほどまでの殺気が消え、豪快な笑い声が夜の森へ響き渡った。


「何がおかしいんだ?」


「お主のような者を、我は長い間待っておった」


 ドラゴンが頭を下げ、巨大な顔を俺の近くへ寄せる。


「かつて、我にも主と呼んだ人間がおった」


「人間を主と?」


「遠い昔の話じゃ。あやつも、お主と同じ目をしておった。モンスターを仲間と呼ぶ、愚かでお人好しな目をな」


 ドラゴンの金色の瞳が、懐かしそうに細められる。


「我はもう一度、あのような人間に巡り会うため、この地で待ち続けておった」


「だから、俺たちを試したのか?」


「うむ、そうじゃ」


「試すにしても、加減ってものがあるだろ……」


「すまぬ。久しぶりゆえ、少々力加減を忘れておったわ」


 少々どころじゃないだろ!というツッコミは抑えた。何せ相手はAランクのドラゴンだ。


「人間よ、名は?」


「三井健(みついたける)。タケルだ」


「タケルか」


 ドラゴンは、その名を確かめるように繰り返した。


「タケル。我と契約せよ」


「俺と、契約?」


「我はこれからそばでお主を見守りたい。お主がこの先も変わらぬというのなら、我が力を貸してやろう」


 突然すぎて、頭が追いつかない。


 もみじを見ると、彼女も驚いた顔で俺を見上げていた。


 だが、ドラゴンにもう敵意は感じない。


 俺はステータス画面を開いた。


 そこに、見覚えのない項目が浮かび上がっている。


【ドラゴンとの契約が申請されました】


【契約しますか?】


 俺は、隣にいるもみじへ目を向ける。


「もみじ。俺はこいつと契約しようと思う。でも、決める前に、もみじの気持ちを聞かせてほしい」


 もみじは驚いたように目を見開いた。


「タケル様……もみじはこれからもお側にいられますか?」


「当たり前だ。もみじのいない生活なんて、考えられないよ」


「……っ! 私はこれからも、タケル様を信じています」


 俺の選択を信じてくれるらしい。


 俺は【はい】を選択した。


 その瞬間――。


 虹色の光が、夜の森を包み込んだ。


【契約が成立しました】


【『属性変化』が発動しました】


 光の中で、ドラゴンの輪郭が変化していく。


 巨大だった体が縮み、漆黒の鱗が炎のように舞い散る。翼と尾が光へ溶け、四本の脚が人の手足へ変わった。


 虹色の光。


 その中心に、一人の女性が立っていた。


 燃えるような赤い髪。


 額には、黒曜石のような小さな角が二本。切れ長の瞳は、ドラゴンだった時と同じ金色に輝いている。


 人型になってもなお、圧倒的な威厳が放たれていた。


 目の前に、ステータスが表示される。


【個体名:リン】

【種族:ドラゴン(人型)】

【力:A】

【魔力:A】

【素早さ:B】

【ランク:A】


 リンは自身の両手を眺め、確かめるように指を動かした。


 やがて顔を上げると、尊大でありながら、どこか楽しそうに笑う。


 そして、俺の前で静かに片膝をついた。


 金色の瞳が、真っ直ぐに俺を見上げる。


「これより我は、お主の敵を焼き、お主の道を空より見守る者」


 リンは深紅の髪をかき上げ、堂々と言い放った。


「末永くよろしく頼むぞ――我が主殿(あるじどの)」

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