戦えなくても、誰かを守れる
「うーん。全くわからん!」
朝食を終えたあと、俺は机に向かって唸っていた。
紙に書き出しているのは、今後のお金のことだ。手持ちの資金がいくらあるかは分かる。だが、この世界の生活費が実際どれくらいかかるのか、まるで見通しが立たない。
買うであろう食材の値段は覚えた。だが、それを一ヶ月、半年と積み重ねた時にどうなるのか――そこまで考え始めると、途端に頭がこんがらがってくる。
「タケル様、難しい顔してます」
「情けない話だけどな。金の計算が、思ったより厄介でさ」
「もみじも、お手伝いできればいいんですけど……」
もみじが申し訳なさそうに耳を伏せた。
そんなことを話していると、家のドアがノックされた。
「はーい?」
「こ、こんにちは」
扉を開けると、そこに小さな女の子が立っていた。
「ああ、酒場のマスターの子か」
あの騒動の日、お礼を言いにきてくれた子だ。よく覚えている。
女の子の肩には、白くて丸い、シマエナガのようなモンスターがちょこんととまっていた。ころころとした体つきで、つぶらな瞳がこちらを見上げている。
女の子はしばらくもじもじしていたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「私に、戦い方を教えてくださいぃ……!」
「へ?」
あまりに予想外の言葉に、思わず変な声が出た。
「あ、あの、お兄さんのモンスター、フォックスですよね? ランク、Fですよね?」
「ま、まあ、そうかな?」
厳密にはもうDランクなのだが、細かい話は置いておくことにした。
「私もFランクのシマエルがいるんですけど……」
俺は、そっとステータス画面を開いてみる。
【個体名:チチル】
【種族:シマエル】
【力:F】
【魔力:F】
【素早さ:F】
【ランク:F】
見事に、全部Fだった。
「私も、お父さんを守りたいんです! どうすれば強くなれますか?」
「マリー、私は強くならなくていいよ」
「え、シマエナガが喋った?」
肩の上の小鳥が、確かに言葉を発した。俺が驚いていると、もみじが横から補足してくれる。
「タケル様、シマエルですよ?話すことのできるモンスターもいます」
「あ、そうなんだ」
この世界では、そう珍しいことでもないのかもしれない。
「私は、マリーのそばにいられれば十分よ」
「だって、だって、私もテイマーだもん。お父さんを守らなきゃ……」
マリーは、ぐっと拳を握りしめた。
※
二人を家に上げて話を聞くと、事情はこういうことだった。
マリーは昔から人見知りで、あらゆることが人より苦手だったらしい。運動もだめ。会話もだめ。何をやっても、周りについていけなかった。
そんな彼女に、唯一見出されたのがテイマーの素質だった。期待を胸に召喚してみれば、出てきたのはランクFのシマエル。
結局、ここでも人より劣ってしまった――そう落ち込んでいた時に、目にしたのが、あの酒場での一件だったという。
同じFランクのフォックスを使うテイマーが、ランクEのケルベロスを圧倒した。それが、マリーにとっての希望になったらしい。
「申し訳ないけど、俺はテイマーの知識なんて全然持ってないんだよなあ」
嘘偽りのない本音だった。
あの日勝てたのは、俺が強かったからじゃない。もみじが強かったのと、わけの分からない俺のスキルのおかげだ。少なくとも、誰かに教えられるようなものは、何一つ持ち合わせていない。
「そうですか……」
マリーがしょぼんと肩を落とす。チチルが心配そうに、その頬に体を寄せた。
いたたまれない空気の中、ふとマリーが顔を上げた。
「あれ?」
その視線は、机の上に広げたままの紙に向いている。
「すみません、ちょっといいですか?」
「ああ」
マリーは紙を覗き込むと、しばらく目で追ってから、おずおずと口を開いた。
「これ、家計簿ですよね? ここ、間違っています」
「え?」
「あと、ここも。この食費の見積もりだと、たぶん多すぎます。市場で買うなら、この時期は野菜が安いので、実際はもう少し抑えられると思います」
数字を書き、足し合わせていく。
「マリー、お前……」
「あ、す、すみません! 勝手なこと言って……!」
我に返ったマリーが、慌てて縮こまる。
俺は思わず、笑ってしまった。
「マリー、算数を勉強してみないか?」
「さん、すう?」
「ああ。数を扱って、計算して、暮らしの役に立てる技術のことだ」
俺は紙を指差した。
「きっとマリーに向いてる。というか、今の計算もおそらく『かけ算』が使える」
「そんな、そんなこと……」
「本当だ。ちゃんと学べば、あっという間に俺を追い越すと思うぞ」
マリーは、しばらく呆けたようにこちらを見つめていた。
「……それ、お父さんの助けになりますか?」
小さな声だった。
酒場のことを、彼女なりに心配していたのだろう。守りたい、というのは、きっと戦うことだけの話じゃなかったのだ。
「ああ、必ずなる」
俺は、はっきりと頷いた。
「お店の仕入れも、売り上げの管理も、全部数字だ。それが分かる人間がいるだけで、店はうんと楽になる」
マリーの目が、少しずつ大きく見開かれていく。
「わ、私、やってみたいです!」
肩の上のチチルが、嬉しそうにぱたぱたと羽を動かした。
「うん。よかったね、マリー」
こうして――この世界での俺の教え子第一号が生まれた。




