九節
「……は?」
口から漏れたのは、言葉に満たない呟きであった。俺は頭の中を整理しながら、疑問を言葉に紡いでいく。
「なんだよ……それ。エインヘリヤルとか、運用って」
「──わかりません。私はあくまでルーン文字を解読したまでに過ぎません。
そして、それらの単語を意味する文献はインターネット上には存在しませんでした」
『この中に考察できる人いないの?』
『RFO史に残る神回になってしまった』
『エインヘリヤルって北欧神話だったか』
分からない。
分からない……が、一つだけ間違いない事がある。この扉の先に、疑問の答えが待ち受けているはずだ。
壁画の前に立ったまま、俺はしばらく思考の渦に飲み込まれていた。ミラの読み上げた言葉が、頭の中でぐるぐると回り続ける。
エインヘリヤル。
運用。
プレイヤー。
それらの単語が繋がりそうで、どうしても繋がらない。パズルのピースが手の中にあるのに、完成図だけが見えない感覚だ。
「ミラ、この先には何があると思う?」
「扉の形状がダンジョンボスの物に近いため、中にいるのはボスモンスターであると考察します」
「それじゃあ……」
俺は意を決する。
「行くしかないな」
その言葉に視聴者が反応する。
『いいぞその通り!』
『ここまで来て』
『帰るなら』
『ゲーマーの名が廃る!』
コメントが矢継ぎ早に流れるのを横目に、俺は大きく息を吸った。ひんやりとした石造りの空気が、肺の奥まで入り込んでくる。ここまで来た。ここまで来て引き返すなど、そんな選択肢はハナから存在しない。
──巨大な扉に触れる。
すると、重厚な扉はひとりでに開き始めた。
ゴオオオオ。
地の底から響くような振動が、足裏から伝わってくる。石の擦れる音が廊下に反響し、耳の奥に張り付いた。
少しずつ部屋の中が露わになる。
部屋の中から漏れ出した光が、視界を覆う。
──眩しい。腕を持ち上げ、瞳を焼く光を遮る。ここまで歩いてきた廊下は暗かったから、余計にその白さが目に刺さった。
扉が完全に開かれた頃。
ようやく光に目が慣れた。部屋の中へ視線を向ける。
真っ暗な廊下に相反するように、真っ白な空間が広がっていた。飾り気が無く、ただただ広い。床も壁も天井も、全てが均一な白で塗り潰されている。
境界線すら曖昧で、どこまでが床でどこからが壁なのか、しばらく眺めていると感覚が狂いそうになる。
『部屋にしちゃ広いね』
『何か見た事あるぞ』
そう、何となく見覚えがある光景だ。何処だったか……。記憶を弄る。そうだ。
「館……か?」
RFOを始めたての頃、テイムを理解するためにモンスターを収納している空間へ頭を突っ込んだ事があった。
ここはあの風景に似ている。あの時も、こんな風に輪郭のない白が広がっていた。
どうして二つに共通点があるのか、そう思うよりも先に、別の情報に思考は囚われた。真っ白な空間の、最も奥。
シャツのシミの様に、部屋にこびり付いたそれは異様なほど浮いていた。視界の情報はリスナーへと伝わる。
『アレ、何だ?』
『モンスターなのか?』
『コワ……』
二つの手。二つの足。銅の上には首と頭。長い髪に隠れて、顔は見えない。人の形をしているが、人ではない。
なんでそんな事が分かったか。
答えは簡単。
──不気味なほどに大きな体躯をしていたからだ。
床に腰を下ろした状態で10m近い。正しく”巨人”。
白い空間の中に、それだけがぽつりと座っている。まるで最初からそこに埋め込まれていたかのように、微動だにせず。
【-厄災の母・巨人-アングルボザLV75】
『このレベルと表記……』
『ヤバくね』
『スカジと同じじゃん』
──『こいつレイドボスか?』
*****
「レベル75!?」
思わず口に出してしまった。
「ミラ、現状の戦力での勝率は何%かな!?」
「──検証しました。現在のステータス、テイム済みモンスター等を考慮した勝率は10%程度かと」
「よし、帰るぞ。強くなったらまた来よう」
俺は踵を返して、廊下を──。
その瞬間、完全に閉じた扉が見えた。
「──は?」
扉を開いたが、まだ中には入ってなかった。それに扉を閉じた覚えも無い。
どうして?
『積んだw』
『閉じ込められてる』
『強制戦闘きた』
あの、急展開過ぎやしませんか。
「おい、開け! ふざけんな! あんなレベルのモンスターと戦えるか!」
扉を叩いて叫ぶが、大きな扉に変化は無い。拳に返ってくるのは、無慈悲な沈黙だけ。こうなったら扉をぶち破って──。そう考えた瞬間。
「……シテ」
背後から声がした。
『アングルボザがなんか喋った』
『モンスターが喋った?』
『何て?』
それがあのアングルボザというモンスターが発した物だとすぐに分かった。ゆっくりと振り返る。
「コ……シテ……」
「……シテ」
「コロシてェェェえエエ!!」
巨人は大きな声で叫んだ。
つんざくような金切り声が耳を突き刺す。
思わず耳を塞ぐ。白い空間が震えるような、それでいてどこか哀願するような、奇妙な叫び声だった。
アングルボザは身体を揺らす。
しかし、彼女が俺たちとの距離を縮めてくる事は無かった。
──よく見ると、巨大な手足はその何倍もあろうかと言う鎖に繋がれている。
鎖は白い床に溶け込むように伸びていて、最初は気づかなかった。よく見ると、鎖にはおびただしいルーン文字が刻まれおり、ニョルズの石碑と同じくじんわりと光を放っている。
──おや。
「アイツ、動けないみたいだな」
「そのようです。チリアクタご主人様」
「その呼び方は却下ね」
これなら、トレントのいのちと引き換えに、全力のカタパルトを打ち込むだけで完封できるのでは──。
ほほう。
ほほう。
強そうなモンスターを無傷でテイムできるかもしれない、と。
「コロしテ……コろシテ……」
アングルボザは壊れたように繰り返している。懇願なのか命令なのか、その声色だけでは判断がつかなかった。
ただ一つ言えるのは、そこに込められているのは怒りではなく、もっと別の何かだという事だ。
俺はその感情の正体を考えそうになって、すぐにやめた。今はそんな場合じゃない。
『流れ変わったな』
『チリアクタ目の色変えすぎww』
『テイム忘れんなよー』
コメントを横目に、アングルボザに向き直す。
勝率10%という数字が頭をちらつくが──それでも、勝ち筋が無い訳ではない。それに、負けて失う物も無い。
「よし、戦ってみるか」
俺は腰の刀を抜く。鞘から引き出された刃が、白い光を鋭く弾いた。
【視聴者311】




