~タクシー大嫌い~
タクシーの中はピリピリとした空気が充満していた。
運転席の後部座席に座っている理乃は腕も足も組み、俯いている。
起きているのか寝ているのかすら定かではない。
先程のお眠状態を省みれば、寝ている可能性が高い。
理乃の横に座っている武田はいつも通り穏やかな顔をしてどっしりと座っている。
では、このピリピリとした緊張感は自分が緊張しているのが原因だろうか、と真知子は思った。
家まで三十分も掛からないだろう。
三十分。
普段ならば、あっという間に過ぎる時間だ。
真知子の緊張が移ったのか、運転手も心なしか緊張しているような気がする。
すみません。耐えてください。私も辛いんです・・・!
恐らく、理乃がぼんやりと景色を見ているだけでも雰囲気は変わったに違いない。
理乃の所作はそれだけの影響力があると真知子は思っているし、実際に効果があるからだ。
いっそ、話し掛けて起こしてしまおうか・・・という誘惑に駆られないでもないが、もし本気で寝ていたら不機嫌な理乃とご対面である。
今以上に車内の空気が悪くなることなど想像に容易い。
自らそんな地雷は踏みたくない。
だが、この空気は何とかして欲しい。
理乃が自然に起きてくれるのを願うという、全力なる他力本願が真知子の脳内を埋め尽くした。
何故、理乃の所作がこんなにも影響があるのか、などと考えても答えが出ない事を延々と思考する、という現実逃避な時間稼ぎを思いついた真知子だった。
昔からそうだった。
理乃の視線一つでみんな緊張する。
授業中、彼女が当てられた事は入学初期にしか記憶がない。
同学年で、彼女を知らない人は誰もいなかった。
違うクラスでも名前と顔を知っている人間ばかりだ。
反対に理乃は話し掛けられても、滅多に名前すら聞いていなかったけれど。
というか、上の学年でも知っている人間の方が多かった様に思う。
何せ、理乃の出身小学校が一番比率が高い中学だった。
上の学年もそうだろう。
入学して早々、先輩方から名指しで呼ばれたが、顔を見て、顔見知りと分かり解放されていたくらいだ。
何かしらの理由で名前だけが上の学年にも知られていた証拠の様にも思う。
名前だけが一人歩きし、顔を見れば知っている、というのはどういう状況だろうか?
彼女には兄がいたが、いくつ離れているかは知らない。
けれど、他の同級生達は先生に「君、誰それと兄弟?」と言われていた子が多かったのだから、歳は離れているのか、違う中学にでも進学したのか…。
兄が原因ではないことは確かである。
彼女の口から家族の話が出る事はない。
実家の場所は知っているが、遊びに行った事もない。
そもそも、理乃のプライベート空間に立ち入ったのは、今回の転職がキッカケで初めてだった。
よくよく思い出してみれば、知らない事ばかりだ。
理乃は名前が知られているが、本人は特に目立つ様な事はしない。
入学早々、一人の女子と揉めていた程度だが、明らかに相手にしておらず、完全に彼女の独り相撲だった。
嫌がらせをされようが、無視し続け、やり返す事もなく、悪口を言う事もなかった。
その時点で、好意的な女子と嫌悪を抱く女子で別れたが、本人は多分意識すらしていないと思う。
学級委員くらいは引き受けていたが、目立つ事はせず、他の学級委員からの噂によると、遠足や修学旅行の際の生徒側の希望である私服可。を先生側達を説き伏せたのは理乃だと聞いた。
そのせいかどうかわからないが、彼女達の代で生徒会立候補者が出なかった。
自然と選任式となり、理乃が一番票を集めたが、強固な拒否により、繰り上がり、と言っても、二位以下は数票だったが、その人達により生徒会は決まった。
私が記憶している中で最も記憶が薄い生徒会だった。
その癖、成績は悪いのだから性質が悪い。
いや、アレで成績まで良かった日には、コンプレックスを刺激どころか、粗塩でゴリゴリ摩擦状態になり、かなりの女生徒がグレていたかもしれない。
というか、実際に、普段赤点でも全く気にしていない理乃に注意したら、次のテストで90点台を取った時、私は多少拗ねた。負けていたらグレていたかもしれない。数点でも勝てて良かった・・・。
お。くだらない事をダラダラと考えるのは時間潰しに最適だった。
すぐ近くにアパートがある。
「すみません。ここで大丈夫です」
帰りにコンビニに寄りたいので、近くのコンビニで停めてもらう。
「本日はありがとうございました。おやすみなさい」
挨拶をして、真知子はコンビニへと向かって行った。
緊張していた真知子がいなくなったことでタクシー内のピリピリ感がなくなったかと言うと。
むしろ増していた。
それもそのはず。
発生源は理乃だからだ。
今までは真知子がいたので、抑えていただけだ。
運転手は何だかわからない圧力に軽い混乱状態に陥っていた。
ナビ通りに進み早く、一瞬でも早くこの乗客を下ろしたい運転手だった。
時折、武田が近道を教えていた。
普段であれば、出来るだけ遠回りをしてメーターを稼ぐのだが、今ではありがたい気分である。
それが幸いした。
もし、遠回りなんてしようものならば、その瞬間に後ろから理乃に蹴られていただろう。
理乃は見ず知らずの人間が運転する車が大嫌いである。
タクシーなんて最たる物だ。
特に夜になると居眠りしかけるバカもいるので、理乃は一切気を抜かない。
少しでもウト・・・っとしようものならば、蹴りか犬に叱る様な叱り声が飛ぶ。
運転手は教習車にでも乗って仮免取得中でいるかの様な緊張した面持ちで運転していた。
これでは逆に事故を起こしそうだ。
数分歩く事になるが、両者の為にも下りた方が幸せだろう。
理乃は自宅の近く。もしくは自宅が分かるような場所でタクシーを降りるのが大嫌いだ。
最低でも一通りは遠い所で降りる。
この場所ならばまぁ、問題ないだろう、と判断した武田は会計の準備をしつつ、停めるよう頼んだ。
「やれやれ。何でそんなに不機嫌なんだか」
お冠状態の理乃が道中であるにも関わらず、煙草に火を着けていた。
よっぽどお怒りらしい。
本人には自覚はないだろうが。
まぁ、この時間ならば人通りも少ないし、問題は起きないだろう。
「お前の思考回路」
人の思考が見える理乃は、武田が真知子をバカにしてるのも見えていた。
「お前さんの事を思ったまでだよ」
コレは腹立たしい事に嘘ではない。
「いらん」
「傷付くのはお前さんだろう?」
テリトリーに踏み込まれるのが耐えられない理乃が現状をそう長く続けられる筈もない。
そう遠くない内に住処を近くに借りるだろう。
拒否られたと知った真知子がショックを受けるのは、今日の様子で一目瞭然だった。
恐らく、真知子がショックを受けた事を理乃は気にするだろう。
けれど、理乃にはどうしようもない。
ソウじゃないと生きていけないのだから。
「付く訳がない。それはお前も知っている筈だが?」
そして、理乃には、思考は見えても、感情は見えない。
また、理解する事も出来ない。
自分の感情も含めて。
ただ本能が拒絶するだけのこと。
「ソレを含めて心配しているんだがね」
「余計な世話だ」
「僕はこれでも、君の主治医なんだけど」
「いつの話だ」
「僕はいまでも主治医のつもりだよ」
「閉業しておけ。お前の元担当はアレだ。勘違いするな」
「確かに君の母親も診ていたけどね」
「俺の事は放っておけ」
すっかり手負いの獣状態である。
このネタは禁句だ。
コレでは仕事の話も出来やしない。
「やれやれ。わかりました。これ以上は踏み込まないよ」
「わかればいい」
不機嫌な理乃に足蹴にされ、事務所でコーヒーを淹れるのを面倒がった理乃の為に途中のコンビニで飲み物と軽いツマミも買わされた武田だった。




