~幼児編 1~
タイトルが(ry
深夜と呼ぶにはまだ早い夜分、理乃の事務所で理乃と武田は対面して座っていた。
お互い日中は忙しい為、今の内に打ち合わせをしておきたかった。
そして、武田側には忠告しておきたい事があった。
だが、今話し始めても聞いて貰えないだろう。
理乃は武田に買わせた夜食に夢中だった。
普段、あまり食べないせいだろうか、食べられる時にまとめて食べる。
人間にはまとめ食いは効果がない筈なのだが、どうやら理乃には有効らしい。冬眠前の動物の様に食べ貯めしている。
これで全く太らないのだから、世間の体重過多を気にしている人間から見たら、さぞや腹が立つだろう。
理乃の胸の膨らみのなさから、一部の女性は悩むかもしれないが、人間は得てして他人の羨ましい所だけ見るという視野狭窄に陥る。恐らく、その点は無視するだろう。
「そうゆう所は昔と変わらんな」
「年寄りは直ぐに昔を懐かしむってのは本当だったか」
「…昔の方がまだ可愛気があったな…」
「どうだかな。被害者は確実に今の方が少ないだろ」
「……そうかもしれんな」
理乃はお金持ちでもなく、持ち家もない庶民的な家庭に産まれた。
父は不器用ながらに妻と息子を大切に甘やかし、妻は夫に甘やかされながら、夫に似た息子を大切に可愛がっていたし、長男は年相応に悪戯好きでヤンチャなゲームが大好きな子だった。
理乃が産まれる前までの問題と言えば、父親がどう息子と遊んだらいいかわからない、くらいな物だった。
金銭的な苦労もあったが、夜逃げをしなければならない程でもなく、両親共、大学進学をしていなかった身なので、子供も高校を卒業するまでの金銭を考慮すれば良いと思っていた。
当時は大学に進学するのは当たり前。ではなかったのだ。
家事の面に関しては妻が料理と整理整頓が苦手な事が問題と言えば問題だが、慣れるものだった。お互いに。
そんな平和で平凡な家庭に長女が産まれた。
その赤ん坊は夜泣きすることもなく、出産疲れをしている母を寝不足に陥れる事もなく、自ら寝返りを覚え、ハイハイを覚え、立つ事を覚え、走る事を覚え、トイレも覚えた。
手の掛からない子供だと両親は喜んだ。
父は息子にはゲームだの友達との約束があるだのと嫌がられ、無視されるので出来ないが、娘とは気があったのか、休みの日にはよく遊ぶことができ、娘をより可愛がった。
遊ぶと言っても、子供と遊んだ経験の少ない父は取っ組み合いで遊ぶ、という方法だった。
そのせいで、息子には嫌がられているが、他に遊び方を知らないのだから仕方がない。
そこへ乗ってくれる娘がいたら、愛しさ百倍である。
しかも、疲れて寝ている時や機嫌が悪い時には遊べと強請る事もせずに、大人しくしている。
父親の扱いがぞんざいになり始めた団塊世代には、これは嬉しい事だった。
可愛いがり過ぎて、呼び名がチビとかミケになっていたが、娘はちゃんと自分の事だと理解するので問題なかった。
ただ、娘が本気過ぎて、引っ掻き傷やら噛み跡で傷だらけになるが、父親は自衛隊出身者だった。
何でも有りのルールならば得意分野だったし、大人と幼児ということもあり、そう酷い事にはならなかった。
虚弱な父親だったら、ズタボロ必須である。
何せ、弱点と分かれば男には悶絶モノの急所に踵落としだろうが、目潰しだろうが狙って来る。
父親側はガードしか出来ないので(流石に攻撃したらマズイだろう)身動き出来ない様に押さえ込んだら勝ちである。
何処を押さえ込まれたら動けなくなるか、とか、人間の急所は何処かなどのレクチャー付きの取っ組み合いごっこは、ほぼ動物の親子の狩りの練習に酷似していた。
娘は誰とでもする訳ではなく、相手は選んでいる様で、本気になるのは父親に限定されていた。
母や兄とはした事もない。
そんな父娘の遣り取りを見て、しょうもないなぁ…と母が眺めているくらいには、日常的な事だった。
そんな事が日常的な物になるに連れ、家族に活気みたいなものが溢れ出していた。
娘がいなかった頃はみんな大人しく、テンションも低く、個々での活動がメインだった家庭には劇的な変化だった。
夜は家族全員が揃い、賑やかな団欒を過ごした。
昼間は父は仕事、兄は保育園。
家にいるのは母と娘だけだった。
この二人の相性は悪く、必要最低限の接触しかしなかった。
母は家事をしているか、読書をしていた。
読書中に声を掛けると怒られ「読書中は邪魔をしてはいけない」という約束が追加された。
他にも、過保護な父によって、理乃専用の沢山の約束事があった。
一人で外出してはいけない。
知らない人と話してはいけない。
知らない人に着いて行ってはいけない。
一人で台所に入ってはいけない。
一人でお風呂に入ってはいけない。
お家で騒いではいけない。etcetc…。
そんな約束まみれの中、特に困る事もなく、起きたら食べる。食べたら寝る。の繰り返しの日々を送っていた。
遊ぶのは、父親が休みの日のみだった。
平日の昼間、母は読書に勤しんでいたし、娘は惰眠を貪っていた。
母は娘が好きではなかった。
勿論、可愛がってはいた。
ヒラヒラのお洋服を作って着せれば良く似合った。
髪型を凝ったものにしたら、派手にやりすぎても似合う顔立ちをしていた。
娘は両親のどちらにも似ていなかった。
自分とは違うサラサラなストレートの髪を弄るのは楽しかった。
自分のはクネクネしていたし、顔立ちも地味な為、派手な物では浮いてしまうが、娘の顔立ちだと負けておらず、似合ってしまう。
それが女として羨ましく妬ましかった。
それに、寝てばかりで自分に懐きもしない。
懐かないのは、一緒に遊んだりしていないからなのだが、母には「自分が悪い」という発想はなかった。
「懐かない娘が悪い」のである。
夫は娘を溺愛していた。
娘が悪い事をしても、自分が叱られた。
娘が産まれる前だったら、自分を一番に甘やかしてくれていたのに、今ではすっかり娘が一番だった。
妾に寵愛を奪われた正妻の気分を娘相手に味わった。
母親は粘着質で依存壁があり陰湿で構って欲しいが受け身な他力本願な人間だった。
自分が何もせずに、昔の様にならないかな、と思った。
自分には娘の様には出来ない。
無意識下にある劣等感が彼女を活発にさせた。
父と母が寝る時、布団の中で娘の悪口を毎日夫に聞かせた。
それでも夫の態度は変わらなかった。
時には「五月蝿い!」と自分が叱られた。
仕事で疲れているのに毎日寝る直前まで悪口だらけでは気分も滅入るのは当然だったが、そんなことに気付く母ではなく「怒られたのは娘のせい!」となった。
悪口を言う原因は娘にあると信じて疑わない母だった。
そんな母だからこそ、理乃は最低限しか母に近寄らなかった。
髪を弄るからいらっしゃい、と言われ拒むとヒステリーに叱責され、叩かれる為、大人しく従っていた。
父が叩いたら反撃する娘だった。
だが、母には反撃をしなかった。
反撃されても嫌だが、相手にならない。と言われているようで余計に母は娘が嫌になった。
そして、娘がいると自分が小さな人間と認識させられるのが嫌だった。
自分はこんなにネチネチしていると言うのに、寝ている娘は強者の余裕な態度にしか見えず、いつも惰眠を貪っているくせに泰然とした雰囲気を持っていた。
自分の母親に愚痴を零しても「娘と張り合ってどうするのよ」と言われてしまった。
確かにその通りだとは頭では解るが感情が納得しなかった。
理乃が家族の中心となっていた。
理乃がいるからみんな集まるようになった。
一緒に買い物に出掛けては、通りすがりの知人から知らない人まで「可愛い子ね。お父さん似かしら?」というのも気分が悪かった。まぁ、自分の力作だし、優越感に浸れるのは悪くなかった。
昔から、美人な子と友達になり、おまけでチヤホヤされることを好んでいたので、自分が作った洋服というのもあり、自分だけの特別なアクセサリーだと思えば気分は浮上するので、連れて歩くのは構わないのだが。
「理乃ちゃんのママ」と呼ばれるのも嫌だった。自分の子供だ。何故、自分が付属品の様に呼ばれなければならないのか。
息子の時には思いもしなかったが、何故かこの娘相手だと胸焼けの様なものを感じた。
母は友達の中でも付属品だった。
「しょうがないわね」と甘やかされ、大事にされた。
けれど、彼女にだって中心になりたいという願望を持っていた。
願望を持っていたが、それを実現させられるナニカを彼女は持っていなかった。
この似てない娘は当たり前のように生まれながらに持っているのに。
娘は息子に字を習い、書けないまでも簡単な児童書くらいは読める様になった。
その結果、日中は二人とも黙々と読書。という事も多々あった。
理乃は母と違って、相性が合わないなら、と棲み分けを自然に選んだ。
縄張り争いをしても仕方がないし、感覚で相手の欲している縄張りが、何だか自分とは違う、と判断していた。
「メスには優しく」全ての動物が自然に行うルールを理乃は教わらずとも理解していた。
武田が理乃に初めて会ったのは、彼女が保育園に上がる前だっただろうか。
父が経営していた心療所に実経験を積む為がてら、雑務処理にこき使われていた頃の事だった。
理乃の母親をたまたま担当したのが武田だった。
当時は「ぷち鬱」など多くの精神不安定に陥る人が少なく、訪れる人の大半が育児問題や嫁姑問題を抱えた若い女性達だった。
その為、担当している患者も少なく、特別印象が残る患者だったのでよく覚えていた。
母親に連れられて入室してきた子供は静かな足取りで姿勢良く歩き、真っ直ぐ凛とした眼差しで、ついつい目が引き寄せられる独特な雰囲気を持った子供だった。
母親に指示され予備の椅子に向かい、武田の対面に座した女性が不満と自慢の両方を兼ねた表情をしながらも、挨拶から始まり、話を始めた。
母親曰く、ちょっと気になる事があったので、視力検査と聴覚検査を受けさせたのだそうだ。
何でも、見えてないかのように色んな場所に激突するのだとか。
普段は家の中から滅多に出る事もなく、何処に壁や柱があるか理解している筈なのに、激突するという。
見えてないのでは?いやいや。見えてなれけば父親との遊びも無理だろう。と悩んだそうだ。
検査の結果は機械による結果だと視力は0.0以下。古典的な片目を隠しながらの検査だと2.0以上。
当時の科学は余り精密ではなく、古典的な結果を優先した。
聴覚を調べた理由は話し掛けても、首を傾げるばかりで、全く理解してくれない。
単語は絵本を読むし、教えたし、覚えているような簡単な言葉でしか話かけていないのにも関わらず、という事で難聴を疑ったのだと言う。
だが、聴覚の方は問題がなかった。
まだ、ちゃんと言語を覚えていないのだろう。
医者には、言葉を理解出来ないのは、成長には個人差があるので、そのうち覚えるだろう、と言われた。
多くの時間を共に過ごす母親と無言で過ごしていては、言葉を聞き取る能力が伸びる筈がなかった。
また、父親とのお遊び中は、彼女にとっては本気で暴れていたので言葉を聞き取る余裕がある筈もなかったが、両親がそれに気付く事はなかった。
親側が伝えるのに困っているだけであり、彼女側からの意思伝達はジェスチャーだけで事が足りていて、それだけでは伝わらない事は単語ではあるが言葉で伝えてくる。
聞く事は出来ないが、話す事は出来る。
食事や外出などは母親の身支度などの事前の行動やらで察するし、着替えをさせる時も「腕上げて」などと言わなくても母親の動きで察するのか、勝手に上げてくれる。
賢い子だと思っていたため、そのうち覚えるだろう、と楽観視していた。
実際に、彼女と会話をしないといけないような問題にもぶつかってなかったため、余計に楽観視させた。
何せ、言わなくてもわかるのだ。
叱り声には反応するので、危ない事も止められる。
けれど、入園させようか、という年齢になっても、彼女は碌に話さなかった。
むしろ、自分で出来る事が増えた為、話す頻度は激減の一途を辿った。
出来る事と言っても、着替えや食事くらいで、入浴は母の言いなりだったが。
失語症を疑ったが、泣いたり唸ったりはするので、声帯に異常はないし、単語も彼女側に必要であれば話す。
両親が集団生活を馴染ませる為に保育園に通わせるには、まだ早いのではないか、と悩むには充分な理由だった。
だが、同年代の子に刺激を受けて成長する可能性も充分にあるため、悩んでいるという。
むしろ、そちらの可能性の方が高い。
武田としては、そこまでの能力があるのならば、保育園に入れても問題はないんじゃないかと思ったが、話にはまだ続きがあった。




