~いっぱい食べました!~
酒の肴にされている理乃は、食事に夢中だった。
食事が始まってから三十分以上は経過している。
いつも理乃の食事の面倒をみている真知子からしたら、これは異常事態である。
理乃の食事時間は長くて十分程度である。
それ以上は「面倒」と言って、満腹じゃなかろうと「食事」という行為を辞めてしまうのが常だ。
それなのに、三十分以上も箸を延々と動かし続けているのである。
「ひょいぱくひょいぱく」という擬音がピッタリなほど、休むことなく延々と口に運んでいる。
ハムスターのように頬袋が膨らんでいないのが不思議な速度である。
話に夢中で気付かなかったが、まさか、最初からずっとこのペースで食べ続けていたのだろうか?
それならば、相槌もツッコミも反論もなかったのも頷ける。
食事中に話さない、と言っても、全くの無言なわけではない。
けれど、今の口の忙しさから察するに、口が話を出来る状態ではなかっただけ・・・?
「ちょっと理乃!折角のお料理なんだから少しは味わって食べなさいよ!失礼でしょ!」
まさに、飲み込んでるのでは?と思わざるを得ないスピードで食べている。
今日のご飯は、真知子にはそうお会い出来ないレベルの物である。
百回噛めとは言わないが、もう少し味わわないと罰が下りそうである。
「美味しい」がわからないとはいえ、味はわかるのだから、しっかり堪能しなくては料理にも武田にも失礼である。
しかし、理乃は真知子に目もくれず、延々とご飯を食べるのみ。
最早、聞こえていないほど集中して食べているのか、無視しているのかわからないほどのがっつきぶりだ。
いつもいつも真知子が料理したものは「もしゃぁ・・・もしゃぁ・・・」という擬音がピッタリなほど嫌々食べてます!と言わんばかりの態度とは雲泥の差である。
勿論、真知子とて自分の料理と料亭の料理のレベルが雲泥の差だとはわかっているが、ここまで素直な反応を見せられると悲しいのを通りこして怒りがこみ上げてくる。
そんなに私のご飯は不味いの?!
いやいや。落ち着け。美味しい、不味いは理解出来ないのが理乃である。
では、原因は何か。
うん。さっぱりわからない。
「普段からちゃんとご飯は食べさせてますよ?!嫌がってあんまり食べませんけど・・・」
思わず、武田によくわからない弁解をしてしまった真知子である。
ここまでがっつかれると、今まで碌な物を食べさせてないみたいではないか。
あまりの異常事態に真知子は軽いパニック状態になっていた。
「あっはっは!真知子君は理乃の食事の面倒まで見てるのかい?」
完全に墓穴である。
理乃は立派な大人であり、一人暮らし歴は真知子よりも長いのだから。
別に真知子に理乃の食事の面倒を見る義務もなく、体調管理くらいは理乃でも出来る。
理乃に任せたら、健康補助食品ばかりになるとはいえ。
誰だって食事の面倒をみてるだなんて思わないだろう。
「いえ、あの、その、一人で食べても味気ないですし、自分のを作るついでに理乃の分も作ってるだけであってですね。その」
「あぁ。なるほど。確かに、食事は一人よりは誰かと食べた方が美味しいね」
「そうですよね!そうなんです!」
真知子が掘った墓穴を必死に埋めている間にテーブルにある料理は理乃が完食しそうな勢いである。
「理乃」
武田がちょっと大きめな声でゆっくりと名前を呼んだ。
そこで初めて気がついた、と言わんばかりに顔を上げて首を傾ける、という反応をする。
声を出さないのは、口の中が大変忙しい事になっているからだ。
「いっぱい食べれたかい?」
まるで小さな子供に話し掛けるように話す武田を真知子は不思議そうに見ていた。
いっぱい食べたも何も、テーブルの空になった食器と理乃の口を見れば一目瞭然である。
聞かれた理乃も不思議だったのか、微妙な顔をしながら口の中の物を飲み込んで返事をすることにしたようだ。
「・・・多分?」
はぃぃぃぃ??である。
多分も何も、盛大にかつてないほどに食べていた人間の返事ではない。
アンタはいつから戦闘民族になったのか?!というほど食べていたのだ。
「もっと食べるかい?」
「ん」
その後は、再び武田が女中さんを呼んで、いくつかの追加を注文がてら、真知子も追加のビールを頼んだ。
武田は日本酒である。渋い。
そして理乃はウーロン茶である。
お子様が一人いる。
完食してしまう前に何とか追加の料理も届き、再び理乃は自動食事マシーンと化した。
「あの・・・すみません」
いたたまれないのは真知子である。
喜ぶなり、感想を言うなり、奢って貰う身としては色々あるだろうに、理乃は先ほどから延々と口に料理を運んでは飲み込んでいると言っても過言ではない咀嚼数だ。
とても味わっている人間の動きではない。
「あははは。まぁ、理乃のお気に召す料理なんて早々ないからね。この店は今度からもっと重宝することにするよ」
武田にとっては、理乃の食べるスピードで料理のレベルが高い事が判明していたので、重要な接待やら祝い事などの時の店候補のリストに入れるだけである。
理乃自身は美味しいかは自覚出来ないだけで、舌は確かである。
いくら評判が良くでも、美味しくない物は食べないのだから、ここまで食べまくるのは美味しい証拠である。
以前にも、理乃が今回のような反応をした店を交渉の際に選んだ時に、とても有益な結果を得たのだ。
参考にしない手はない。
むしろ、その参考欲しさに色んな店に連れて行っていると言っても過言ではないので、謝られる覚えはないのだ。
そして、それを理乃も知っている。
ただし、理乃の場合は、自分の食べっぷりで何かを分析しているらしい、と認識しているにすぎないが。
何せ、理乃自身が沢山食べる時と食べれない時との違いを認識していないのだから。
利用される事には慣れているし、沢山食べられる事など滅多にないので文句はない。それだけである。
真知子の価値感は武田とは遠い所にある。
それが悪いとも言わないし、良いとも言う気もない。
だが、理乃には居心地が悪いのではないか、一緒にいても良い影響をもたらすとは思えない、というのが武田の今日の分析結果である。
真知子は普通すぎるのである。
普通や常識とは程遠い所に居て、そこにしか居られない理乃には、真知子は相性が悪すぎる、と武田には思えてならなかった。
今日、真知子と話をした感じからも、真知子は理乃に振り回され、本気ではないだろうが、多少は不満を覚えていると見受けられた。
今はまだいいだろう。
だが、年単位以上、この生活を続けた場合、恐らく先に逃げるのは、理乃である。
基本的に、理乃は誰かと生活出来ない人間である。
食事も、本来であれば誰かとするのは嫌いなはずだ。
他人と食事をするというデメリットを上回るほどのメリットがなければ誰かと食事なんてしない。
真知子が言う「あまり食べない」というのもそれが原因だろう。
話を聞く限り、かなり理乃の個人空間に遠慮なく立ち入っているらしい。
居住区に他人が入るのが大嫌いな理乃が、だ。
他人どころか、家族ですら理乃の家には来ない。
それどころか、実家に居た時から、理乃の部屋には用がない限り入室はされていなかったと聞く。
用があっても、部屋に入らずドアの外から声をかけられる程度であり、入室されなかったと。
完全な個人の空間である。
理乃は縄張り意識が強い。居住区となれば尚更。
お気に入りの女性に対して、理乃は拒絶する事が出来ない、という癖がある。
お気に入り以外の女性に対しても強く出る事はまずしない。
善に転ぶか、悪に転ぶか。
これは、少々まめに様子を見に行った方がいいかもしれないな、と今後の予定を組みながら日本酒を味わう武田であった。
「ごちそうさまでした」
武田が一人思案に暮れている間に、追加の料理もすっかり平らげてしまったらしい。
およそ一時間、延々と食べ続けた計算になる。
決して、理乃は大食いではない。
そして胃下垂でもない。
ただ、摂取した食べ物をエネルギー変換するのが速いだけである。
食べ始めた数分後にはエネルギー変換が始まるのだから、下手したら数時間くらいは延々と食べ続けても問題ない。
理乃の必要エネルギーは通常とは桁違いに多いのだ。
最も、普段からそんなに沢山食事をしないので、基本的には省エネモードが発動されているはずである。
それでも、体重に換算した必要エネルギーは摂取しているにも関わらず太らず痩せていく一方なのだから、どれだけ必要なのかは、それこそ本格的に「研究」しなければわからないだろう。
理乃も、理乃の周りの友人達もソレは望んでいないので、謎のままである。
知らない方がいい事なんて世の中には沢山転んでいるのだから、コレもその類だと皆が無意識に目を背けている部分だった。
「食後の飲み物は?」
「いつもの」
淡々と返す理乃は通常運転である。
「いつものって何?というか、いつものってくらい来てるの?!」
「コーヒー。何回か来たな」
「そうだねぇ。和食のリクエストが来ると大抵はここだね」
話ながらも注文の手続きをする武田である。
店員の呼び出しボタンは上座と末席の二つに景観を損ねないように隠して設置されている。
真知子が呼び出しボタンの場所に気付いていないのだから、武田が呼ぶしかないのである。
「真知子君はどうする?」
どうする?と聞かれても、ドリンクメニューはないので、真知子にはどうしようもない。
「えーと・・・理乃と同じので」
「了解。ついでに、理乃の”いつもの”はぬるめのコーヒーだよ」
「あ。なるほど・・・」
普通に注文したのでは、理乃がコーヒーを飲めるのは数十分後である。
恐らく、真知子が半分飲み終えた辺りから飲めるようになるだろう。
真知子としてはぬるい分には別に問題はないので、そのままでいい旨を伝える。
自動食事マシーン化すると、口は食べる専門になり話せない様です。




