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―3―

 ***



 強く……強く。

 ケータイを握り締めていた碧音さんの手の上にそっと手を重ねた。


 ―― ……ほら。大丈夫でしょう?


 とでもいいた気に見上げた顔が、凄く可愛くて、もう片方の手で、そっと頬を撫でた。碧音さんはその行為に気持ち良さそうに瞼を落とした。


 さわりと風に煽られて、掬われた髪の奥から、あの時の消えきらない傷がちらりと顔を覗かせた。

 ぴくりと俺の指先が緊張したのが伝わってしまったのか、伏せられていた瞼を持ち上げると、心配そうに俺を見上げる。


「……大丈夫じゃ……なさそう?」


 碧音さんの不安に満ちた声が掠れて俺の耳に届くより早く、俺は其処へ唇を落として、そのまま、碧音さんの肩に額をつき


「ごめん」


 謝っていた。


「碧音……ごめん……」


 謝罪を重ねて、碧音さんをぎゅっと抱き締める。こんなにも碧音さんは華奢だっただろうか。

 俺がそうさせてしまった。

 消えない罪の意識が爪を立てる。

 じりじりと痛むから抱き締めた腕に力を込めたら、


「……重い? ……私の傷は……重いんじゃない……?」


 不安げに揺れた声。

 ああ。俺はずっと碧音さんに無理をさせてきた。それなのに、彼女は尚俺のことを気に掛ける。

 どうしよう……どうしよ、う……堪らない。堪らなく、彼女が……。



 ***



 彼の重荷にだけはなりたくなかった。

 もう、怖い夢も殆ど見なくなっていた。薬だって飲んでいない。

 それでも、この残ってしまった消えることの無い傷跡が克己くんを困らせるんだったら……私は、わた、しは……行けない。

 どこへも……。


 ぎゅっと回された腕に力が篭った。

 久しぶりすぎて、身体が緊張する。怖くないと分かっているのに、少しだけ、胸の奥が冷えて恐怖心が沸いてくる。

 それを宥めるように、くしゃりと髪を掻き雑ぜる長い指。

 こめかみ辺りに摺り寄せられる、頬。


 ゆっくりと、じんわりと……冷えた部分が暖かくなってくる。


「……重くない。重くないよ……それより、それより、今まで一人で背負わせてごめん……。重かっただろう?」


 私の知らない彼。


 克己くんは……私が知らない間に、ずっと……ずっと、大人になっていた。

 そっと、背中を撫でる大きな手に安堵する。


「……うぅん……」


 声にならない。


 ―― ……私は、平気だよ……。


 全然平気。

 なんにも辛いことなんて無くて、ただ、ただ……色の無い世界で呼吸していた。


 視界が揺らぐ。

 波打つように……打ち寄せてくるように……。視界がハッキリしなくなってくる。


「俺は一つ済ませて来たから。だから、俺の心配はしなくて良いから。俺に碧音さんの心配をさせて」

「―― ……」

「……頼むから……。一人で頑張らないで…… ――」



 ***



 感謝してる……


 ―― ……感謝してる。


 碧音さんの優しさにも、気持ちにも……全て、感謝してる。


 ……だから……


 ―― ……今度こそ


 俺にも何かさせて欲しい……。


「……ん……克己……ん……」


 消えてしまいそうな声で……霞のような声で……俺の名前を呼ぶ碧音さんの表情を伺うように、頬に手を添えて覗き込む。


 はらはらはらはら


 桜の花びらが風に舞うように、碧音さんの頬の上を瞳の淵に収まりきらなかった雫が静かに軌跡を作っていく。

 泣いている顔を見てほっとするなんて、酷いかもしれない。でも


「―― ……やっと、泣いたな」

「っ……うん、うん……」

「泣き虫」


 両手で頬を包み込み、そっと拭っていく。

 碧音さんが瞬きをするたび、頷く度に涙はあとからあとから溢れてくる。


「……っ……淋しくて……辛くて、苦しくて……全て失くしてしまったと思ってたから」


 しゃくりあげそうになるのを、堪えて必死に言葉を紡ぐ姿が愛しくて、おかしくて……俺は頬が緩んでしまった。


「ずっと……消えちゃいたかった……」


 零れた本音に、うん、と頷く。


「―― ……でも、消えられなかった。碧音さんは約束を破らない」


 こくこくと、頷く姿に胸が熱くなる。

 どんなに苦しくても、俺との約束を守り通した、彼女が……とても……。


「まぁ、俺は意地悪だから。碧音さんの『お願い』はこれっぽっちもきかなかったけどな」


 碧音さんを忘れるなんて無理に決まっている。



 ***


「―― ……そう、みたいだね」


 私は止まらない涙を何とか堪えて、笑顔を作った。

 本当は、一分一秒だって忘れて欲しくなんてなかった。


 でも、そんなこといえなかった。


「克己くんは『Yes』とも『No』ともいわなかったよ」


 そういった私に、克己くんはにやりと笑って「俺はせこいからな」といったのが可笑しくて、ようやく涙も止まってくれた。

 それを確認すると、ふっと目元を緩めて、ずっと、抱いてくれていた腕を放すと、克己くんは大きく伸びをして空を仰いだ。


「あぁーーっ! 長かったっ!」


 ぐんっと伸ばした腕を勢い良く下ろすと、吐き出すようにいって私の顔を見上げ、そして笑った。

 自然と笑顔がうつる。

 続いて、私も同じ様に空を仰ぐと、鳶が高い高い空の上をすぅっと飛び去っていった。


 見上げた空も視界の隅に入る桜の木も、何一つ変わらない。


「あ。俺、ずっといってなかったことがあるんだ」


 暫らく二人して見上げていた空から克己くんが視線を落としたので、釣られて視線を移すと、克己くんは柔らかく微笑んで私を見つめていた。

 頬が紅潮するのを納めるように、軽く頭を振ってから視線を合わせる。


「……何?」

「話したいことが沢山あるんだ、伝えたい言葉も沢山あるんだけど……でもやっぱり……」

「―― ……うん?」


 とくんとくんと胸が高鳴る。

 不幸なことが重なるのではないかと、刹那不安が過ぎる。

 でも……克己くんが、とても嬉しそうな顔をしているから、直ぐに不安な気持ちが掻き消されてしまう……。


「碧音さん」

「ん?」

「         」




 ―― ……そして、私は静かに差し出された大きな彼の手を取って……

 熱くなる顔をそのままに、にっこりと微笑んだ。


 決して口に出さなくても、伝わっていた気持ち

 口に出して欲しかった一言

 二人に必要だった時間……弘雅さんがいってくれた「捨てなくて良い想い……


 その全てが……ようやく今重なり……止まってしまっていた歯車を再び回し始めた。


 カラカラカラカラ


 ―― ……もう、二度と止まることのないように、切に願う。



「たった一言で良かったことに……やっと気がついたんだ……」


 優しい風が頬を撫でるように、花びらが舞い落ちてきたように

 ふわりと暖かいキスが降ってきた。



  ―― …… 貴方が、好きです …… ――




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