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狂う羊  作者: 銀杏玲
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(五)

 それから僕と黒木は、しばらく宿直室で休みながら、冷蔵庫にある食料をお腹の足しにしていた。

 「しかし、夜になると物寂しさが一層増していくものだ」

 黒木が、窓の向こうに見る牧草地からは羊の姿もなくなっていた。

 僕は、このとき、わずか数基ある白熱電灯の薄明るい弱い光でベールのように包まれている牧草地の光景が、まるで不穏な雰囲気を纏っている“魔物”のように思えてならなかったのである。

 「姿を見せなかった金ベルトの腕時計の男の余韻が残っているせいか、なんか恐ろしさを感じるよ」

 男二人、シーンと静まり返った部屋の中で、僕が独り言のように呟いていると、黒木が「その恐ろしさは今迫ってきているようだ。耳を澄ませてみろ。軽い足音が静かにこの部屋に近づいてきている」と言ったので、僕もじっとその場に立ち止まって耳を澄ませた。たしかに慎重さを感じる小さな足音が徐々に僕たちのいる部屋に近づいてくる。小さな足音は、ドアの前で止まり、“コンコン”とドアがノックされた。夜20時を過ぎた頃だった。

 僕が「はい」と恐る恐るドアを開けると、そこにはスープ皿をのせたお盆をもつ少女が立っていた。

 「こんばんは、これ、おとうさんがどうぞって」

 僕と黒木は、顔を見合わせて、その少女が遠山青年の一人娘だとすぐに察した。

 「こんばんは。どうもありがとう」と僕がお盆を受け取ると、少女は「お兄ちゃんたちなにしにきたの?」というので、黒木は「羊さんたちを見に来たんだよ」と咄嗟に答えた。

 すると、少女は「そうなんだ」と言って、ひょこひょこと部屋の中に入ってきて、「うちの牧場ね、おもしろいおひつじさんがいるの」と話を始めた。

 少女は自分の目線の位置にある窓のふちに手をかけながら「最近ね、わたし、夜中におひつじさんの大きい声でおきちゃうときがあるの。夜はおかあさんもおとうさんも、おひつじさんのお世話をしているから、わたし一人でしょ。さいしょは怖かったからふとんにもぐってたんだけど、ちょっと気になって窓の外を見たの。そしたらね。おひつじさんがね…」と突然部屋の中を走り出して、「こうやってぐるぐる走りまわってね、海のほうにとんでいっちゃったの」とひょんとした顔をして言ったので、僕はすかさず「飛んでいった?」と聞き返した。

 黒木も「どうやって飛んでいったの?」と聞き返すと、少女は少し丁寧に答えてくれた。

 「あのね、あそこに柵があるでしょ。あれをこわしてね。海のほうに走っていっちゃったんだよ。わたしね、こわくなっておふとんに入って、次の日におかあさんに言ったんだけど、夢だっていわれたの。だけどね、ほんとに見たんだよ、わたし」

 黒木は壁にかかった時計を指さして「おひつじさんの声で夜起きちゃったのは、この針がどのへんだったか覚えてる?」と訊くと、少女は「短い針がうえだった」と答えた。

 「どうもありがとう。今日はちゃんと寝れるといいね」と黒木は少女を部屋へ戻るよう促したので、少女も「うん、またね、おやすみ」と僕たちの部屋から立ち去っていった。

 少女が部屋を後にすると黒木は少し笑みを浮かべながら「羊が飛んでいくようだ、興味深いね」と言って「これを確かめないわけにはいかない」と笑い始めた。窓ガラスの外を眺めながら笑う黒木であったが、鏡のように反射し映し出される黒木の目は、微塵の笑みもない疑念の目そのものであった。

 「今晩は徹夜になりそうだから、君もひと眠りしておいた方がいい。23時起床だ」

 そう言って、部屋の灯りを消して、床に就いたので、僕も「寝てたら起こしてよ」と言ってひと眠りすることとした。

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