#5-8.死者と生者
【前回までは】
謎の頭痛にルーの身体能力が半減、襲撃してきたシームに苦戦する。刑事パーシーと記者ガラードは咬み裂きジェーンと遭遇。ジェーンはシームたちに連れ去られる──
1
秘密の地下道を走り、基地アーセナルに戻ったランサーを老執事ボールスとドクター・マーリンが迎えた。
「咬み裂きジェーンと思われる女性の写真を撮ったわ。現像しておいて」
ヘルメットをボールスに渡しながらヴィヴィアンが言う。
「このカメラはまだ試作品じゃ。期待はできぬぞ?」
今回搭載したのは夜間撮影用のカメラであった。特製のレンズに、高感度のフィルムを使用しているが、それでもマグネシウムのフラッシュによる撮影には遠く及ばない。
「メイドたちが戻りました」
ボールスの言葉にヴィヴィアンが顔を向けると、ちょうどモリーたちが入って来た。
「今夜はあなたらしくなったわねルー。モリーとフェイも。しばらく通信がなかったのはどういうこと?」
ルーからの霊波通信機が途絶えたことをヴィヴィアンは気にしていた。
「申しわけありません。はじめての同類との戦いで動転してしまいました」
いつも穏やかな笑みを絶やさないルーが、今夜は表情が硬かった。
ヴィヴィアンはしばらくルー、そしてモリー、フェイを見つめてから言った。
「あなたたちは私の姉妹よ。あいつらと同類なんかではないわ」
「……そうですね」
ルーの顔に微笑みが浮かぶ。
フェイは泣きそうな顔をしている。
モリーはいつものように無感情に見えるが、その瞳は微かに潤んでいるようだった。
「報告と作戦会議は明日にするわ。今日はゆっくり休んで」
そう言い残し、ヴィヴィアンは老執事と共にアーセナルを出て行った。
ヴィヴィアンを見送った後、姉妹たちは視線を交わし合い、ランサーの点検をしているマーリンの元へと行った。
「ドクター・マーリン。相談があります」
代表してモリーが話した。
ルーを襲った謎の頭痛と不調。
それはルーひとりではなくモリー、フェイにも起きていた。
こんなことははじめてだった。
「ふむ、3人揃って謎の症状か」
話を聞いたマーリンは首をひねった。
「おぬしらについては分からないことのほうが多い。ハーバードの研究資料はほとんどが燃えてしまったからな」
モノクルを拭きながらマーリンは続けた。
「強靭な肉体と再生能力。切られようが撃たれようが、その傷は数秒で再生し痕も残らない。これによりおぬしらは病や老化とは無縁だ。うらやましい限りだ」
「この縫い目が残っているのは?」
襟を開いてモリーは首に残る縫合痕を見せた。
「イモータルが注入されたタイミングであろうな。おぬしの胸に残るY字切開の痕は、縫合してからイモータルが注入されたからであろう。妹らは内臓交換がうまく行かず、注入後に何度も開いては閉じるを繰り返しておったからな」
それは痛んだ臓器を他の無事な臓器と交換、移植する実験であった。
三人のメイドたちに嫌悪の色が浮かぶ。
「そんな顔をするな。その実験があったから、おぬしらは蘇ることができたのだぞ。おぬしら以外は、人体の一部だけが動いてるだけのシロモノだったからな」
モノクルをかけ直しマーリンは続けた。
「おぬしらは病や傷そして老化とは無縁の存在じゃ。だが老化しない代わりに成長もない。レディの命で覚醒して十数年。フェイですら少しも成長しておらん」
フェイの見た目は12歳か13歳くらい。人間ならまだ成長期だ。それなのにその外観はまるで変わりが無い。
「故に、不調の原因として考えられるのは…寿命だな」
──寿命。
その言葉に3人は息を呑んだ。
「不老だからといって不死ではあるまい。見た目に変化がないだけで寿命はあると考えるのが妥当だ」
「あの不調は、私たちの寿命が近い兆候だと?」
ルーは青ざめた。モリーもフェイも言葉を失っていた。
「仮説じゃよ。明日、検査してやる。どこまで分かるが知らんがな」
大きなあくびをしてマーリンは出て行った。
あとには言葉もなく立ちつくす姉妹たちだけが残された。
2
モリーが覚醒したのは15年前の夏だった。
「はじめまして。私はヴィヴィアンよ」
休眠保存用の水槽から出されたモリーを、幼いヴィヴィアンが笑顔で迎えた。
しかしモリーは何の反応もしなかった。
当時のモリーには自我も意識もなかったのだ。
「だから言ったであろう。こやつらは動く死体でしかない」
ドクター・マーリンが言う。
ヴィヴィアンは下からモリーを見つめながら右に左に動いた。モリーの眼がそのヴィヴィアンを追って動く。それを見てヴィヴィアンは笑顔を浮かべた。
「そんなことない。この子には心があるわ」
ヴィヴィアンがモリーの手を取った。
「あなたは私と同じ。捨てられた要らない子。──私たちは姉妹よ」
無反応のモリーに語りかけるヴィヴィアン。マーリンは、好きにしろ、と肩をすくめた。
「ヴィヴィアンさま──」
「名前がないからいけないのよ。私がつけてあげる」
執事ボールスの声を遮ってヴィヴィアンが叫んだ。
「そうね…この子の名前はモリー。無愛想で冷たく見えるけど本当はやさしい子なの。私には分かるの!」
微笑んで言うヴィヴィアンに、執事も博士も何も言うことはできなかった。
× × ×
──あの時のことは覚えている。
動く死体でしかなかった私に、ヴィヴィアンさまはモリーという名前をくれた。
姉妹だと笑いかけてくれた。
あの頃の私には意識がなかったのに、はっきりと覚えている。
ヴィヴィアンさまは私の手を引き、微笑み、時に苛立って足を踏みならした。
彼女は、私の世界のすべてだった。
× × ×
「あなたの名前はルーよ。最高にエレガントで器用なあなたに、きっと誰もが夢中になるわ」
モリーの覚醒から数ヶ月後、私は覚醒した。
「この子はモリー。あなたのお姉さんよ」
私の手を引いて、ヴィヴィアンさまは無感情なモリーに紹介した。
この時の私は、モリーと同じで意識というものはなかった。
でも、はっきりと記憶に残っている。
毎日、ヴィヴィアンさまが私たちに話しかけたこと。
地下の研究室を出て、焼け跡に建築中の館を指差して「私たちの新しいお家よ」と言ったこと。
来る日も来る日も、ヴィヴィアンさまは私たちに語りかけた。
特別なことは何もなかった。
でも、そんな毎日が、からっぽの私たちの中に意思を、心を育ててっいたのだ。
一滴の水が集まりやがて大河になるように。
小さな芽が大樹に育つように。
ヴィヴィアンさまと過ごした毎日毎日が、私たちを人間にしたのだ。
× × ×
「あなたの名前はフェイよ。あなたは小さいけれど誰よりも強い。そしてとても真っ直ぐなの」
フェイは物覚えが悪いけど、この時のことは覚えている。
忘れるはずがない。
フェイが人間になった、はじまりのことだから。
まだしゃべることもできなくて、心だってない時。ヴィヴィアンさまはフェイたちに話しかけ、抱きしめてくれた。
あの頃のフェイたちは死体と同じだった。身体は冷たくて固かったってドクター・マーリンは言ってた。
ヴィヴィアンさまはそんなフェイたちの手を握り、ほっぺにキスをしてくれた。
本を読んでくれた。
陽の射す世界へ連れ出してくれた。
いつからだろう……。
ヴィヴィアンさまの手を握り返したいと思うようになったのは。
話しかける声に返事をしたいと思うようになったのは。
いつの間にか、フェイに心と体温があった。
家族が出来ていた。
× × ×
「フェイはイヤだよ!」
絶望の沈黙をはじめに破ったのはフェイだった。
「フェイはもっとヴィヴィアンさまと一緒にいたいよ! モリーとルーとおしゃべりしたいよ!」
「私もよ」
涙ぐむフェイをルー、そしてモリーが抱きしめた。
「はっきりしたことが分かるまで、このことはヴィヴィアンさまには黙っておきましょう」
モリーが言う。
「もしほんとうに寿命だったら?」
フェイが涙に濡れた眼を上げた。
「もし寿命なら、残された時間を大切にしましょう」
「大切にって…?」
「ヴィヴィアンさまとの時間を楽しく過ごすのよ」
ルーが微笑んで言う。
「それっていつも通りってこと?」
「そうよ。いつも通りに過ごすの。ヴィヴィアンさまのために」
「命尽きるその時まで」
姉妹はうなずき合い、互いを抱きしめた。
3
霧のように細かな雨が、運河とそれに面した通りにもやのように立ちこめている。
深夜の通りに人影はなく、大小の倉庫や工場が建ち並ぶ通りは昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
その闇に沈む通りに蹄と車輪の音が響く。
ガス灯もない深夜の暗い通りを、アセチレンランプを鬼火のようにゆらめかせて漆黒の馬車が行く。
──ブラックボイラー。
馬車も黒塗りならそれを牽く二頭の馬も黒。馬車でありながら蒸気機関を積むというその異様な姿が、漆黒と相まってこの馬車を不吉な存在に見せている。
闇と霧雨に沈む通りを進む不吉な馬車は、巨大な廃屋のような建物の前で停止した。
そこはかつての造船所だった。
技術の発達により、近代的でより大きな船が作られるようになると旧い造船所の多くが閉鎖された。ここもそうした閉鎖された造船所のひとつであった。
鉄の大扉が開き、中からまばゆいほどの光があふれ出てブラックボイラーを照らす。黒い馬車は建物の中に入ると大扉は閉じられ、通りは闇と静寂に包まれた。
その建物は中は化学工場のようであった。
大小のタンクとそれをつなぐ無数の配管がうねっている。
奇妙なのは、その化学プラント前に寝台のようなものがずらりと並んでいることだ。
タイル張りの石の寝台は全部で12。それぞれの寝台の右側に細いアーム状の機械が併設されている。
中に入ったブラックボイラーは、入り口そばに停車していた霊柩馬車のそばで止まった。
ブラックボイラーの黒塗りの扉が開かれ、中から一人の男が現れた。
ブロンドの髪と青い瞳。眼鏡を掛けた神経質そうな男だ。一見すると20代後半に見えるが40は越えていそうだ。
「ドクター・ハーバード」
降り立った男──ハーバードを黒服の男が迎えた。
「ラザラスか。彼女は?」
「風呂で洗わせています。下水道を通って来たから臭くて」
ラザラスと呼ばれた男が答える。
「これで何度目です? あの女が逃げるのは」
「君こそ〈商品〉の管理ができていないのではないか?」
ラザラスをハーバードがにらむ。
「処置した死体を公開解剖に回すなどありえないミスだ」
「この忙しいのに咬み裂きジェーンを捕まえる手伝いもさせられているんですよ。ミスも起きますって」
「彼女をその名で呼ぶな!」
ハーバードが怒鳴った。
眼鏡の奥で青い瞳が狂的な光を放っている。
「失礼しました。気をつけます」
ラザラスが謝ったところで奥の扉が開き、白いドレスを着た女──ジェーンと呼ばれる女が現れた。
「お帰り。僕のジョアンナ」
さっきの激昂が嘘のように、ハーバードは微笑み女の肩に手を置いた。
しかし彼女の虚ろな眼はハーバードを見ていない。
彼女には意識も自我もないのだ。
「困った人だね。どうしてライトチャペルなんて街に行くんだい? ……まさか新しい左腕のせいか? ──ラザラス」
女の左腕を取ったハーバードがラザラスを見た。
「この左腕の持ち主はライトチャペルの娼婦だったんじゃないか?」
「へい、その通りで」
「……腕にも生前の記憶が残っているというのか?」
ハーバードは女の左腕を見つめた。彼女の上腕部には縫合痕があり、そこを境に微妙に肌の色が違っている。
「娼婦の腕なんか使うんじゃなかった。次は素性の良い女の腕を着けてあげるからね。──頼むぞラザラス」
「……探しておきます」
吐き気をこらえながらラザラスは答えた。
「愛しいジョアンナ。必ず元の君を蘇らせてあげるからね。……念のため、左腕は外しておこう」
愛おしげに語りかけるその口で腕を切り落とすというハーバード。
──こいつは狂っている。
ハーバードの狂気に、ラザラスは怖れを抱くようになっていた。
そして彼らに関わったことを後悔していた。
死体を横流ししたり、その加工の手伝うことには何の抵抗もない。それで大金がつかめるならどうということはない。
だが、こいつらは何十、何百と人を殺している!
それを知ってからラザラスは、連中の先棒を担いでいることに耐えられなくなっていた。
今に取り返しの付かないことになる。こいつらとは早く縁を切ったほうがいい。
だが警察に駆け込むことはできない。
大量殺人の手伝いをしたのだ。死刑は間違いない。
どうすれば…どうすればいい?
ラザラスはひとり密かに煩悶し続けた。
メイド姉妹とハーバードを対比させたくて…多分1話としては最大の文字数となりました。
離脱せず続きが読まれますように…!
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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