#5-6.ブラックボイラー
【前回までは】
情報を集めにライトチャペルに来たルーは、メアリーたち娼婦から咬み裂きジェーンの噂を聞く。ライトチャペルにはジェーンの他に、集団で女性を拉致するシームという不気味な連中が跳梁していることを知る。咬み裂きジェーンとシームの関係は?──
1
ガス灯の少ないライトチャペルの暗い通りを不気味な馬車が行く。
箱型の大きな馬車は黒塗りで、それを牽く2頭の馬もまた黒馬なら御者も黒ずくめだ。
異様なのは馬車の後部に小さな蒸気機関があることだった。
──ブラックボイラー。
ライトチャペルの人々は時折見かけるこの馬車をそう呼んでいた。
どこから来てどこへ行くのか。
黒い馬車の中に何ものがいるのか。
知るものはいない。
暗い通りを、この黒ずくめの馬車が黒煙を上げて通り抜けてゆく姿はひどく不吉だった。
──ブラックボイラーが現れると凶事が起きる。
いつしかそんな噂が流れていた。
× × ×
地回りのジムに「おしおき」をした後、ルーはメアリーに連絡先のカードを渡して別れた。
連作先はベイカー探偵社。
ヴィヴィアンが情報収集のために買収した探偵社である。名義は別人だがヴィヴィアンがオーナーを務めている。
「ルーってキレるとヤバいよね。さっきの男、殴り殺しちゃうかと思ったよ」
頭の中で妹のフェイの〈声〉がした。
バックアップのため、姉のモリーと妹のフェイが屋根の上から見守っているのだ。
「ああいう男を見るとおしおきしたくなるのよね」
ルーも心の声を妹に送った。
「私たちに生前の記憶はないけれど、意識できない微かな記憶は残っているのかもしれないわね」
モリーも加わり、心の声で姉妹たちは会話をかわす。
──霊波通信。
後の世に言うテレパシーによる音声通信である。
モリー、ルー、フェイのメイド三姉妹は超人的な筋力、身体能力ともう一つ、特別な能力があった。
それが意識した考え、言葉──心の声を他の姉妹に届けるというものだ。
これを受信し音声化する機械が薔薇の騎士の秘密基地アーセナルにある。
この霊波通信装置を介することで、本来は姉妹の間でしか届かない〈声〉を双方向の音声通信として利用しているのだ。
「何か収穫はあった?」
ヴィヴィアンの〈声〉がルーに頭に届いた。ヴィヴィアンは現在、地下の秘密通路でランサーで待機している。
「咬み裂きジェーンは実在するようです。被害者に噛みつくのは指輪を奪うためという情報がありました」
「指輪……ジェーンがイモータルによって復活した死者なら、さっきモリーが言った無意識の記憶に動かされているのかも知れないわね」
「もうひとつ。顔に縫い目のある男たちが女性をさらっているとのことです。その特徴からシームと呼ばれています」
「縫い目って…ひょっとしてフェイたちと同じ?」
フェイが息を呑む。
「おそらくイモータルによって蘇った死者。でも女性をさらうというのが気にかかるわね」
集団で女をさらうという行動には知性が必要だ。
ヴィヴィアンがマーリンから聞いた限り、イモータルで蘇った死者たちは知性も自我もない、ただ動くだけの死体だ。
モリーたちも覚醒した時は意識も自我もなかった。何年もかかって普通の人間のように振る舞うようになったのだ。
シームはモリーたちと同じイモータル7だろうか。あるいはそれが進化したものか。
そして女性をさらう理由も気に掛かる。
「それと、死体を買い集めている死体屋なるものがいるそうです」
「死体屋?」
ヴィヴィアンの眼が鋭く細められた。
「締め上げた地回りによればガリアン・クォーター辺りを縄張りにしているギャングが買い取っているとか。奇妙なのはその値段で……」
「ルー?」
ヘルメット内のスピーカーから流れるルーの声が途切れた。
「申しわけありません」
突然、ルーの頭が重くなった。
眠気と似ているが痛みを伴っている。そして、ひどく不快だ。
こんなことははじめてだった。人造人間である彼女たちは病とは無縁だったのだ。
だがそんなことを考えている余裕はルーにはなかった。
いつの間にか、ルーは男たちに取り囲まれていた。
数は5人。いずれも貧相な身なりで工場か港で働く労働者たちに見える。
彼らはみな頭髪が無く、頭に大きな縫い目──縫合痕があった。
「……トラブル発生。シームです」
2
「……また雨か」
暗い空を見上げパーシーはつぶやいた。
8月に入ってからキャメロットは雨ばかりだ。
雨といっても雨音もしない霧のような雨である。それも降っては止むの繰り返しだから涼しくならない。むしろ湿気が肌にまとわりついて不快さが増すばかりだ。
後ろから近づいて来た蹄と車輪の音に、パーシーは路肩へと寄った。
舗装された大通りでよかった。ここライトチャペルは大きな通り以外は土がむき出しで、雨の日にそばを馬車や自動車が通ると泥水を浴びせかけられてしまう。
やって来たのは真っ黒な二頭の馬に牽かれた黒塗りの馬車だった。箱型の馬車の後ろには蒸気エンジンがあり、黒煙を上げている。
今時珍しいタイプだ…と、パーシーが通りすぎた馬車を見送っていると、
「こんな悪所に来ていいのかい?」
と、声を掛けられた。
「ヴィヴィアン嬢に知られたら軽蔑されるぞ?」
ガラードだった。
「捜査に決まっているだろう」
「おっ、警察も咬み裂きジェーンの捜査に乗り出したのかい?」
にらみつけるパーシーに、ガラードがその肩を抱こうとする。
「事件化されていない犯罪の可能性があるからな」
ガラードの手を払いのけパーシーが言う。
事件化されない犯罪の犠牲者は弱者だ。パーシーはその手の犯罪を見過ごすことはできないのだ。
「所轄の警察に尋ねたところ、気になる情報があった」
「ジェーンのか?」
「ホームレスが消えているんだ」
それは噂ばなし程度の情報だった。
ライトチャペル周辺で娼婦やホームレスが行方不明になっていると。だが──
「実際、路地にも橋の下にもホームレスの姿はなかった。ライトチャペル一帯からホームレスが消えてしまっているんだ」
「それって…!」
ガラードが息を呑む。
「残っていた浮浪児の話では、地回りたちがホームレスを捕まえて連れ去ったというんだ。捕まらなかった者は他所へ逃げたらしい」
「まさか死体密売団のヤツら、死体が足りなくて、ホームレスを?」
かつて死体泥棒が横行していた頃、死体を手に入れるために殺人までも起きていた。それが明るみに出たことで死体の売買を防ぐ解剖法が作られたのだ。
「オレもそれを考えた。だが浮浪児たちが妙なことを言っていた。──地回りは大人のホームレスをターゲットにしている。女子どもは高く売れないからだ、とな」
だから浮浪児たちはライトチャペルに残っているのだった。
「おかしな話だな。子どもの死体には高値が付いたはずだ」
ガラードがうなる。
「どうやらシンジケートが必要としているのは成人男性の死体らしいな。それも大量に。理由はまるで分からないが」
「女は別のヤツがさらっているのかもな」
「なんだと?」
ガラードの言葉にパーシーの眼が鋭くなった。
「咬み裂きジェーンの聞き込みで娼婦たちから聞いたんだ。頭に縫い目のある不気味な連中が女をさらっているってな。その見た目からヤツらは縫い目と呼ばれている」
「死体密売団にシーム…この街で何が起きているんだ?」
パーシーがつぶやいたその直後だった。
通りに女の悲鳴が響き渡った。
ヴィクトリア朝が好きな方。切り裂きジャックに興味がある方はお気づきでしょう。
ライトチャペルはホワイトチャペルがモデルの街です。
2話でも登場してますが覚えていますか?
本作の地名の多くはロンドンに実在する土地や道の名をもじったり、古い呼び名を使ったりしています。
どこをモデルにしているのか、推理してみてください。
※完全、架空の名称もあります。
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