#4-16.魔法の時間の終わり
【前回までは】
「空の魔王」巨大飛行船ザクソンは滅び、クリスタル・コアは取り戻した。メイドのモリー、彼女の長いお使いは終わった。しかし──
1
巨大な鐘のそのすぐ下、時計の文字盤の裏に時計室と呼ばれる場所がある。
そこがビッグ・ペンの心臓部にして巨大ディファレンスエンジンのマスタークロックであった。
縦横3メートル弱、高さは10数メートルの空間が大小の歯車とシャフトで埋め尽くされている。
その一番下に、細かな歯車と計器とスイッチが並ぶ制御盤があった。
ソイヤーはそこに設置されたニセモノのクリスタル・コアを本物と取り替えた。
しかし何も起きない。
「……動かないんですが?」
「規模を考えろ。すぐには動かん」
ガラードの問いにソイヤーは呆れ顔で言った。
「可動はいつからになりますか?」
内務省のグリーンが尋ねた。
飛行船ザクソンが墜落して間もなく、このふたりは内務相の車でやって来た。
そしてクリスタル・コアが無事だと知るや、すぐに交換しにビッグ・ペンに入ったのである。
「取りあえず、わしの時計を基準に設定する。誤差はあっても数秒。明日、グリーンウィッチ天文台と連携して正確な時間に修正する」
「ん? グリーンウィッチ天文台?」
ガラードは疑問を持った。
「そうだよ。標準時はグリーンウィッチ天文台が決めてるんだよ! ビッグ・ペンが止まっても、天文台に聞けば正しい時間、分かったんじゃないか!」
「それはどこも考えていましたよ」
グリーン氏は苦笑した。
「だが役所、役人の悲しさ。前例がないと躊躇し、責任回避の根回しに終始。しかも天文台には、後から問題が出たら責任は天文台が取れるのか、という問い合わせが連続してね。天文台は電話での回答を拒否──電話線を引き抜いてしまったのですよ」
「なんだそりゃ! ありえねぇだろ!」
ガラードは頭を抱えた。
「ビッグ・ペンの停止は財務省計算局とソイヤー氏のトラブルが原因だが、事態を拡大、悪化させたのは、責任を回避したい役人たちのいわゆる役人根性だったというわけです」
グリーンはため息をつくと、
「繁栄の代償、平和ボケここに極まれりです」
と、小さくつぶやいた。
2
ガラードとモリーがビッグ・ペンから外に出ると、日は大きく傾き、キャメロットの街を赤く染めていた。
ホムズ河の川面から、焦げた鳥かごのようなものが顔をのぞかせている。飛行船ザクソンの残骸だ。
水上警察が出動し、再び火災が起きないよう見張りとクルーの遺体回収が行われている。
後のことになるが回収された遺体は5、6人ぶんで、20人以上いたクルーの多くは行方不明だった。
行方不明者は川に流されたものと思われるが、逃げ延びた者がいる可能性は残った。
「やれやれ、長ぇ一日だったよな」
ガラードは隣のモリーに言った。
「大変なお使いになりました」
モリーは小さく安堵のため息をついた。
──時計の修理を依頼する。
簡単なお使いのはずが、ギャングに追われ、銃撃戦に巻き込まれ、あげく国際テロ組織の飛行船で大立ち回り……大変、なんてものではなかった。
だが、それも終わった。
「モリー、君には世話になったぜ。礼を言う」
ガラードがモリーに向き合い、真顔で礼を言う。
「……どうも」
モリーはそれだけ返した。
彼女はベンウィック邸の人たち以外、親しく会話したことがない。だから戸惑ってしまった。
傾いた夕日がモリーの美しい顔を赤く染めている。
「休みの日にどこか行かないか?」
気が付いた時、ガラードの口から言葉が出ていた。
まあいいや。女の子を誘うのは勢いだ!
「パームハウスとかどうだい?」
財務官僚ギニーとソイヤー技師の取引の現場となった場所である。
王立植物園とパームハウスは年齢を問わず定番のデートスポットだった。
「そう言えば、ゆっくり見ることもできませんでしたね」
モリーが無表情の顔に、微かな笑みが浮かんだ。その時──
ふたりの頭の上で、大きな鐘が鳴った。
ビッグ・ペンが再起動したのだ。
高らかに鳴る鐘の音に、水鳥たちが飛び立ち、事後処理をしていた警官たちが時計塔を見上げた。
街のあちこちで人々が窓を開け、ドアから飛び出て、鳴り響く鐘の音に笑みを浮かべた。
止まっていた時が動き出した。日常が帰ってきたのだ。
「これで世の中元通りだな」
「元通り…ですね」
何気ないガラードのつぶやきに、モリーは目を伏せた。
「あ、そうだ。お出かけの件、返事は?」
「──申しわけありませんが、お断りします」
それがモリーの返事だった。
ガラードは戸惑った。
誘いを断られたからではない。モリーの顔から一切の感情が消えていたからだ。
ついさっきまで割とイイ感じだったのに…どうしてだ?
きょうガラードは、一見無表情なモリーに実はしっかり感情があることを知った。
無表情の中に浮かぶ微かな感情が分かるようになっていた。
だが、今のモリーからは何の感情も見えない。
まるで本当に人形になってしまったかのようだ。
「今日は助けていただき、ありがとうございます。──それでは、失礼します」
感情のない冷たい声で言うと、モリーは背を向けた。
去って行く細い背中を見つめながら、ガラードは漠然と悟った。
これは拒否じゃない。拒絶だ。
また、ビッグ・ペンの鐘が鳴った。
ガラードは知らない。
ビッグ・ペンが、時が止まっていたあの時間。ふたりが冒険を共にしたあの一時は、魔法のような時間だったことを。
息つく間もない冒険の間、モリーは、自分が何ものであるかということを忘れていた。
だが冒険は終わった。
ビッグ・ペンの鐘が、日常に、現実に戻る時だとモリーに告げたのだ。
だから彼女は、心を閉ざしたのだ。
自分の秘密を、心を守るために。
高らかにビッグ・ペンの鐘の音が鳴り渡る。
魔法の時間は終わったのだ。
3
「ただ今戻りました」
「お帰りなさい。今日は大変だったわね」
ベンウィック邸に戻ったモリーを居間でヴィヴィアンが迎えた。
「ソイヤー氏は依頼を引き受けていただきました。ただ、ディファレンスエンジンの調整があるため、こちらに伺うのは明後日以降とのことです」
「そう。ありがとう」
ヴィヴィアンは立ち上がると、モリーの頬に手を触れた。
「何かあった?」
「いえ、格別なことは」
心配そうに見つめるヴィヴィアンに、モリーは淡々と返した。
「そう……」
ヴィヴィアンはじっとモリーを見つめた。しかし追求はしなかった。
「お風呂の用意できているわ。今日はもう休んで」
「……はい。ありがとうございます」
モリーは一礼すると、浴室へと向かった。
「……フェイ、ルー。今はひとりにしてあげてね」
「うえっ!」
後ろも見ずに注意されてフェイは飛び上がった。
「ガラードさんとのデートの話、聞きたかったのですが」
「霊波通信で話した以上のことは聞けないわよ」
残念がるルーとフェイをヴィヴィアンはたしなめた。
ベンウィック邸には大小いくつもの浴室がある。
モリーたちが使うのは使用人用の浴室だ。
使用人用といってもその内装は大理石がふんだんに使われ、富裕層向けの公衆浴場シティ・スパのようである。
ちなみにこの浴室はヴィヴィアンがモリー、ルー、フェイらと一緒に入ることを好むので、厳密には使用人用とは言い難い。
脱衣所で服を脱いだモリーは、壁の大鏡に映る自分に目をやった。
細身ですらりとしたモリーの裸身は芸術的なほど美しい。だが──
彼女の白い肌のあちこちにはいくつもの傷があった。
それは、皮膚を縫合した跡だ。
最も大きいものは、鎖骨の下から胸そして腹部にかけてあるY字型の縫い跡だ。
首、左の二の腕、右の膝の上、左足首にも同じ縫い跡がある。
もしここに注意深い観察眼を持つ者がいたなら、モリーの首や手足の肌の色が、縫い跡を境にして微妙に異なっていることに気づいただろう。
「この身体は、誰かを愛するようにできていないのですよ。ガラードさん」
モリーはつぶやくと、鏡から目を背け、浴室へと入るのだった。
(第4話 止まった蒸気の都 おわり)
【次回予告】
蒸気の都をおぞましき怪異が襲う。
悲鳴を上げる死体。
二度死んだ老婆。
そして女性ばかりをねらう通り魔『咬み裂きジェーン』!
怪事件の裏で暗躍する資本家連合と死体密売団。
エーテル血清イモータルとは何か?
死の医師ドクター・ハーバードとは何ものか?
夜よりなお暗い蒸気の都の闇の中、過去と現在、欲望と狂気、支配と愛が交差する。
いま明らかになる、異能のメイド姉妹誕生の背景。
いま姿を見せる、ランサー最強の武器エクスカリバー!
次回、『蒸気大活劇スチームキャメロット第5話 死者の軍団』にご期待下さい。
第4話(章)でした。
衝撃のラスト、いかがでしたでしょうか?
コミカルなノリで進めていたのは、このラストのため。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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