#4-9.ギャングよりテロ組織よりヤバい相手
【前回までは】
ソイヤー技師を追う記者ガラードとメイドのモリー。ガラードは国際テロ組織レッドノートの殺し屋〈死の大天使〉ガブリエルと戦う。刑事パーシーはガラードに警告するが、記者はますます闘志を燃え上がらせる──
1
「あの車、元に戻ってるぞ」
船着き場からボクサーに向かいながらガラードがつぶやいた。
急停止してスリップした蒸気自動車ボクサーは、前輪が車道から河にはみ出していた。それが車道に戻っている。
「薔薇の騎士がランサーで引っ張り上げてくれました」
「そうなの?」
警官隊が到着する前、いつの間にか薔薇の騎士のランサーは姿を消していた。
「ガラードさんは戦っていたので気がつかなかったんですね」
モリーが霊波通信でヴィヴィアンに頼んだのである。
「……偶然かな?」
ガラードが足を止めた。
「ピンチの時にタイミングよくランサーが現れた。そして落っこちかかっていた車を元に戻してくれた。ひょっとして……」
ぎくっ。ガラードの言葉にモリーは動揺した。しかし顔には出さなかった。
「オレと薔薇の騎士って、運命の糸で結ばれているんじゃね?」
「……そうかもしれませんね」
モリーはため息をついた。安堵半分呆れた半分のため息であった。
× × ×
蒸気自動車ボクサーに乗って、ガラードとモリーはソイヤーの長男、アダムの屋敷へと向かった。
「ソイヤー技師には息子が3人いる。長男アダムは銀行員。次男バージルは15年前の大火で死亡。三男チャーリーは軍に入り、現在は植民地に赴任している」
「存命のお二人とも時計技師ではないのですね」
「どっちも父親と不仲みてぇだからな」
ホムズ河に架かる長大な橋を渡り、南へと向かう。
「親父のダグラス・ソイヤーは典型的なガンコ職人。家庭を顧みず仕事一筋。恩人のペンドラゴン公爵の死後、仕事が激減して金銭的に苦しい時期があった。それで長男アダムは堅実な稼業に就こうと銀行員になったようだ」
右手だけで手帳をなんとかめくりガラードは続けた。
「三男チャーリーのほうは親父に近い道と言えるな。工兵隊の技術士官だ。地学、鉱物学の専門家で植民地で施設建設や鉱山開発をやっているらしい」
「鉱山…ですか」
「鉱山がどうかしたのか?」
モリーのつぶやきにガラードが尋ねた。
「ソイヤー氏のアパートにあった謎の設計図。あの機械には水晶が使われていました。三男チャーリー氏も関係していたのかな、と思いまして」
「水晶に電気がどうとかと書いてあったな」
「それとレッドノートのガブリエルという殺し屋。パリでの最後の殺人の被害者は宝石職人…関係があるのでしょうか?」
「粛正、暗殺が専門の殺し屋が宝石職人を…気になるな」
そこでガラードは笑うと、
「なかなかの記憶力と観察眼だな。メイド辞めても記者になれるぜ」
と、モリーに言った。
メイドは若いうちだけ、結婚退職するかお金を貯めて商売を始めるというのが一般的だった。
「私は、生涯、ヴィヴィアンさまにお仕えすると決めていますので」
「君ならそう言うと思ったぜ」
ガラードは笑うと手帳を閉じた。
2
アダム・ソイヤーの家はキャメロットの南、グラハムという街にあった。
閑静な高級住宅街で、どの家も塀に囲まれた小さな庭を持つ立派な家ばかりだ。
「やっぱ銀行員っての儲かるんだな。30そこそこでこんな家に住めんのかよ」
2件先の家。その塀の陰からアダムの家を見てガラードがつぶやいた。
「アダム氏の家族は?」
「奥さんのローレルだけだ。結婚2年目だったかな?」
モリーの問いにガラードが答える。
ちなみにボクサーは少し離れた場所に置いてきた。あちこちヘコみ、傷だらけの蒸気自動車は高級住宅街では目立つからだ。
「パーシーは警備の警官がいるようなこと言っていたが…誰もいねぇぞ?」
見たところ周囲には警官らしき人間の姿はない。
「見えない所で警備しているのでしょうか?」
ガラードにそう言いながら、モリーは近くに何人かの人間が潜んでいる気配を感じていた。
これは警備ではない。監視者の気配だ。
ふたりが様子を窺うこと20分ほど。玄関の扉が開き、30歳くらいの紳士が現れた。
「アダム氏ですか?」
「多分な。しかし…なんであんなコソコソしてるんだ?」
ガラードの言うとおり、アダムとみられる紳士は落ち着きなく周囲を見回しながら、身を縮めるようにして家を出ていった。
「ガラードさん」
モリーがガラードの袖を引いた。
ガラードがモリーの視線を追うと、アダム氏の後を追うように、男が2人、物陰から出て来た。
ガラードとモリーは無言でうなずき合うと、アダム氏を尾行する2人の後を付けることにした。
何度も後ろを振り返りながらアダム氏は足早に歩いてゆく。
その後ろを2人の男たちが尾行している。
2人とも服は濃紺のツイードのジャケットを着て、中折れ帽をかぶっている。
目立たず、質素すぎもしないその姿は、高級住宅街、労働者階級たちの街、どちらにいても違和感がないだろう。
「何者でしょうか?」
モリーが小声で尋ねた。
「ギャングでもブラッド・ユニオンでもねぇな。形はレッドノートに近いが、雰囲気が違う……」
ガラードが囁き声で返す。
あの連中が、パーシーが言っていた4番目の勢力──ギャングより、国際テロ組織よりもっとヤバい相手なのだろうか?
数ブロックほど歩いた後、アダム氏は大きな建物に入っていった。
入り口は白亜の石柱が並び、建物の上部はドーム状になっている。まるで大聖堂みたいだ。
「あの建物は?」
「シティ・スパだ。富裕層向けの公衆浴場だ」
モリーの問いにガラードが答えた。
15年前の大火後、キャメロットで大きく変わったことはいくつもある。
そのひとつが公衆浴場と入浴文化である。
ありあまる蒸気と温水を利用する大小の公衆浴場が現れたのだ。
現在、キャメロットの人々は労働者階級も上流階級も入浴、特に公衆浴場でのそれを楽しむようになっていた。
大火後に出来た公衆浴場はパブリックバス、略して『パバス』と呼ばれた。
しかし後に富裕層向けの施設が現れると、パバスは労働者階級の公衆浴場のみを指すようになり、富裕層向けは『シティ・スパ』と呼ばれ、明確に区別されていた。
「事件が解決したら一緒に行かないか? パバスと違ってシティ・スパは男女一緒に入れるぜ。水着着用だがな」
ガラードが笑って言う。冗談のつもりだった。
「……バカ言ってないで追いかけますよ」
一瞬の沈黙。その後の素っ気ない返事。
その時、モリーに浮かんだ微かな表情にガラードは困惑し、言葉を失った。
羞恥でも怒りでもない。
ガラードの勘違いでなければ、モリーが浮かべたその表情は──
──悲しみ、そして恐怖だった。
3
高い天井を太い柱が支え、床は絨毯が敷かれている。
シティ・スパのロビーはまるで高級ホテルのそれだった。
しかしその豪華な内装は薄闇に沈み、よく見えない。
ビッグ・ペンが止まり、この公衆浴場も営業停止しているのだ。
「……におうな」
ロビーに漂う下水のにおいに、ガラードは顔をしかめた。
大火の後、キャメロット市内に多くの公衆浴場が作られたのにはもう一つ理由があった。
それは人口が増えるにつれ問題が大きくなっていた下水処理である。
大火後の都市改造計画で、下水道と処理施設が整備された。その処理施設は半地下または地下に作られ、その上に大型の公衆浴場が作られたのである。
ここも下水処理施設を兼ねた公衆浴場であった。その下水処理施設が停止しているのだ。
下水処理施設が長期間停止すると大変だ。悪臭だけでなく疫病の発生もあり得る。
ビッグ・ペンとディファレンスエンジンの停止。こいつは想像以上に深刻だったぜ……。
ガラードがそう思った時、
「あんたのせいで妻が…ローレルがさらわれたんだ!」
薄闇の向こうから怒鳴り声がした。
若い声、それに妻のローレルという名。声の主はアダム氏だろう。
「ギニーめ…そこまでやるか!
続いて老人の怒りに満ちた声。先ほど聞いたソイヤー技師の声だ。
ギニーってのはソイヤー技師と揉めていた財務官僚の名前じゃねぇか。
ガラードが柱の陰に潜み、ロビーの奥を窺った。
……いた。
アダム氏とソイヤー技師が向かい合い、言い争っている。
「そんなにビッグ・ペンの名前が大事なのか! たかが名前じゃないか!」
「ビッグ・ペンの名は公爵の偉業を讃えるものだ! 公爵そのものだ! それを──」
「そこまでだダグラス・ソイヤー」
別の声が親子の間に割って入った。
ぎょっとするソイヤー、アダムたちの前に、拳銃を手にした男たちが姿を現した。
アダムを尾行していた中折れ帽の二人組だ。
「貴様らギニーの手先か!」
バスケットを守るように抱えたソイヤー技師が叫ぶ。
「大人しくしたほうが身のためだ。誰にとってもな」
その言葉が終わるのと同時に、ガラードが飛び出した。
気配を察した中折れ帽たちが振り向き、拳銃を向ける。
対応が早い。
チンピラたちとは明らかに違う、訓練された者の動きだ。
しかし中折れ帽たちよりガラードのほうが早かった。
脚からスライディング。予想外の動きに中折れ帽たちの対応が一瞬遅れた。
「おらぁっ!」
そのわずかの間にガラードは絨毯の上を滑りざま、近いほうの男に足払いをかける。そいつはたまらず転倒した。
「貴様っ!」
もう一人が拳銃を向けようとしたが、床からガラードがそれを蹴り上げた。
拳銃を失い、後退したそいつの後ろに、音も無く美しい影が立った。
モリーである。
いつの間にそこにいたのか、メイドは背後から男の首を両手の指でつかみ、締め上げた。
中折れ帽は驚愕し、振りほどこうとした。しかしモリーの細い指はびくともしない。わずか数秒で男は昏倒し、倒れた。
「今のもバーディツの技かい?」
足払いで倒した男を、取り上げた拳銃の柄で殴って気絶させたガラードが尋ねた。
「頸動脈を圧迫して昏倒させました。絨毯を汚すといけませんからね」
淡々とモリーが答える。
彼女としては首を引きちぎるほうが容易かったのだが。色々問題があるので武術で仕留めたのだ。
「お前さんは新聞記者の?」
「話は後だ。まずはズラかるぜ!」
バスケットを抱えたソイヤーを促し、ガラードとモリーは外へと向かった。
「待て! 妻が人質にされているんだ!」
我に返ったアダムが叫ぶ。
「詳しい話は後にしてくれ!」
外に出たところでガラードは繰り返した。
そこに、蒸気音を立てて蒸気自動車が現れた。
2台、いや3台。いずれも黒い塗装の自動車──ソイヤーの工房に来た強盗を回収したものと同じだった。
「囲まれたか……」
うなるガラードの前に、黒い車から男たちが降りて来た。
「困ったことをしてくれたな」
「てめぇらは?」
あくまで戦う意思を見せるガラード。先頭の男はため息とともに懐から何かを取り出した。
それは身分証だった。
「我々は内務省の者だ」
「は? お役人?」
英国がモデルのキャメロットですが、お風呂大好き民になっております。
蒸気そしてお湯が有り余っているんだから銭湯文化が発展してもおかしくない、というわけです。
サウナではなくお風呂にしたのは私の好みですがw
登場させませんでしたが、ダルマ船に工場の余剰温水を張ったお風呂の船「バージバス」というのもあります。いつか出したい。
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