#3-6.空と地の大追跡
【前回までは】
連続聖杯盗難事件の犯人モスマン。刑事パーシーと記者ガラードは空飛ぶ怪盗を追うが──
1
蒸気の都キャメロット。
その空は夜でも蒸気と煤煙に覆われている。
その星なき空を、膜状の黒い羽を翻して飛ぶ怪人がいた。
──怪盗モスマン。
ガラードがそう名付けた聖杯連続盗難事件の犯人である。
大きく広げた膜状の羽で空を翔る姿は、さながら人間サイズの蛾のようである。
屋根から屋根へとモスマンは飛び移る。
羽ばたくわけではない。黒い大きな羽が風をはらみ、滑るように空を駆けて行く。その速度は時速30~40キロ程度。
その姿は19世紀半ばにキャメロットで発明され、欧州各地で研究が行われている滑空飛行機械に似ていた。
しかしグライダーの多くが、骨組みに幕を張った大きな翼に人がぶら下がる形であるのに対し、モスマンは薄い皮膜だけで滑空している。
あの布は〈アフターズ〉の特殊技術で開発された新素材であろう。
速度はさほど速くなく飛行距離も短いが、そのぶん軽快で自在に空を駆けて行く。
「急げ!」
鍵付きのロープをビルの縁にかけたパーシーは、5階ビルの屋上からロープを伝い降りて行く。
壁を蹴るようにして数メートルずつ降下し、あっと言う間に地上に降り立った。
キャメロット消防本部で試験的に導入された、高所から素早く下りる懸垂降下のテクニックである。
このような場合を想定し、パーシーとガラードたちは日中、消防本部で訓練を受けておいたのだ。
無論、付け焼き刃である。パーシーのように完璧にこなせる者などそうはいない。
パーシーのように器用にこなせないガラードは、
「めんどくせぇ」
と残り5メートルほどのところでロープから手を放して落下。地面を転がって衝撃を逃しつつ、その反動で立ち上がった。
地上では、警官たちがアセチレンランプでモスマンを照らしながら追いかけている。
パーシーとガラードは路地に隠しておいた蒸気自動車ソードフィッシュに乗り込むと、警官たちが空に向けるアセチレンランプの光芒を追って走り出した。
ガス灯の灯りが照らし出す石畳をソードフィッシュが疾走する。
警官たちが上げる光芒は6本。しかしその内4本は戸惑うようにふらふらと揺れている。モスマンを見失ったのだ。
パーシーは大きくハンドルを切り、モスマンを照らし出している光芒へとソードフィッシュの進路を向けた。
その時、また1つ、アセチレンランプの光芒がモスマンを見失った。残る1本もいつまで追い続けていられるか……。
警官もソードフィッシュも道路以外の場所を進むことはできない。
一方モスマンにはそんな制約はない。
滑空にはそれなりの高さの建物が必要だが、中央区に近いこの辺りは5階建て以上のビルがごろごろしている。
「ああっ!」
助手席のガラードが叫んだ。
最後のアセチレンランプの光芒が消えた。モスマンを見失い、ランプを下に向けたのだ。
パーシーはソードフィッシュを停めた。
「いや、まだだ」
パーシーは目を閉じ、思考を巡らせた。
追っ手を振り切る…その効率の良い方向は……。
パーシーはこの地区のビルと道路の配置をイメージした。
「こっちだ!」
目を開くと同時にソードフィッシュは走り出した。
現れた交差点でハンドルを左に切る。
「このカン…当たるか外れるか?」
パーシーがつぶやいてすぐ、
「いた! 右のほうだ」
ガラードか叫んだ。
モスマン追跡はまだはじまったばかりだ。
2
──同じ頃。
薔薇の騎士ことヴィヴィアンは、キャメロット地下に張り巡らされているシークレットハイウェイでランサーを走らせていた。
15年前の大火により計画が頓挫した地下鉄。大火後に新たなものが整備されて放棄された地下水路。
キャメロット市の地下には、忘れられた地下通路が数多く残されている。
その地下道を、薔薇の騎士は秘密のハイウェイとして使用しているのだ。
「聖杯を奪った賊は、皮膜のような羽を広げて滑空。建物から建物へと飛び移りながら移動しています」
薔薇の騎士のヘルメット内に、メイド姉妹の次女ルーの〈声〉が届いた。
──霊波通信。
モリー、ルー、フェイ。ベンウィック家に仕える三姉妹ということになっているメイドたちは、超人的な身体能力と五感に加え、姉妹の間で〈心の声〉を届けることが出来た。
これを受信し、機械的に増幅して無線電話のように使用する装置が霊波通信機である。
この世界では音声通信は有線の電話のみ、無線通信はモールス信号を伝える電信しかない。しかも大規模な施設を必要としている。
小型軽量の音声通信機である霊波通信は、薔薇の騎士の活動を支える強力な武器であった。
「追跡する警官はどんどん脱落──およ? 刑事さんと記者の兄さん、まだ車で追いかけてるよ! 見えてないのにどうやって?」
「刑事のカンかしらね」
元気なフェイに続いて次女ルーのしっとりした〈声〉が届く。
彼女たちもまた屋根から屋根へと飛び移り、走りながら怪盗を追いかけているのだ。
「オススメの出口はどこかしら? ルー」
「B17ゲートが良いかと」
「こちらモリー。B17の確保に向かいます。二人は追跡を続けて」
長女モリーが告げ、
「了解」
「はーいっ」
と妹たちの〈声〉の返事が届いた。
「空飛ぶ怪盗か。なかなか面白そうね」
つぶやいてヴィヴィアンはランサーの速度を上げ、B17ゲートを目指した。
× × ×
後輪を大きく滑らせ、ソードフィッシュは何度目かの交差点を曲がった。
「アタリだ!」
直後にガラードが叫んだ。空を滑るように飛ぶモスマンを見つけたのだ。
蒸気の都キャメロットの空は蒸気と煤煙に覆われ、街の灯火を反射して灰色をしている。
灰色の天井の下、黒いモスマンの影はかろうじて見えるのであった。
一方、追われるモスマンのほうも追跡してくる蒸気自動車に気づいていた。
「へぇ。また追いつかれたよ」
感心してモスマンがつぶやく。
あの蒸気自動車は、何度振り切っても気がつくとまた追いすがっている。
「だが、それもこれまでだ」
モスマンの顔に嘲りの笑みが浮かんだ。
「なんだ?」
ソードフィッシュのハンドルを握りながら、パーシーは眉をひそめた。
何を思ったか、モスマンが降下したのである。
蛾のような羽を翻し、高度を下げて行く。
「あの先はホムズ河。高い建物はないからか?」
ガラードがつぶやく。
その時、重厚な排気音を轟かせ、真紅の二輪自動車が現れた。
「「薔薇の騎士!」」
ガラードとパーシーが同時に叫んだ。
ホムズ河沿いの通りに着地したモスマン。
黒衣の怪盗は、ソードフィッシュと薔薇の騎士のランサーに挟まれた格好になった。
「追いつめたぞ!」
歓喜の声を上げるガラード。
ゆっくりとソードフィッシュとランサーがモスマンに迫る。
ソードフィッシュのアセチレンのヘッドライトと、ランサーのより白く輝きの強いヘッドライト。二条の光芒に、モスマンが手にした聖杯が黄金色の輝きを放っている。
迫って来るソードフィッシュとランサーを交互に見て、モスマンは肩をすくめた。
観念したのか…と、思われた次の瞬間、驚くべきことが起きた。
「なっ!?」
モスマンが、手にした聖杯を河に放り捨てたのだ!
グライダーといえばリリエンタールが有名ですが、はじめてグライダーで飛行を行ったのはイギリスのジョン・ケイリー準男爵だったとか。
関係ないけど、リリエンタールとは「百合の谷」という意味だとか。
いまの日本では、あらぬものを想像する人がいそう…^_^;
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