#2-8.闇の工場
【前回までは】
放火魔ファイアーティストの耐熱服、特殊な燃料は石油企業ペトロポリタンと関係があった。それを知った刑事パーシーは──
1
消防本部を出たパーシーはペトロポリタン社に向かった。
ペトロポリタン社は、キャメロット中心部から見てホムズ河の対岸、ランベス・マーシュ駅にほど近い場所にあった。
地上7階。この辺りでは最も高い真新しいビルだ。最上階の壁一面がガラスというデザインはペトロポリタンの威勢を示していた。
受付でパーシーが用件を告げると、社長のシェルダン自ら会うという。
案内された社長執務室は7階の大半を占めるほどに広く、ガラス壁からはホムズ河が見下ろせた。
「私がペトロポリタンの社長シェルダンです」
シェルダン社長自らがパーシーを出迎えた。
痩身で背が高い。60歳に近いらしいが白髪以外は年齢を感じさせない。
シェルダンはパーシーをガラス壁そばの6人掛けの応接スペースへと案内する。
広いわりにものは少ないな…と、パーシーは感じた。
執務用の大きなデスクと応接セット以外、家具や事務関係のものはほとんどない。ここはペトロポリタンとシェルダン社長の〈力〉を見せつけるための部屋なのだ。
壁に掛かった大きな船の絵がパーシーの目に留まった。
「イグニスⅡです。我が社が建造した国内最大のタンカーですよ。──おお、丁度見えますよ。あそこに」
窓辺に立ったシェリダンが、ホムズ河に浮かぶ一際大きなタンカーを指差した。
玩具を自慢する子どものようである。
「明日、初代イグニスとイグニスⅢもホムズ河に参ります。新大陸の石油を満載してね」
「さぞ壮観な眺めでしょうね」
気を良くしたシェルダンがパーシーに席に着くよう勧めた。
「ファイアーティストと名乗る放火魔が〈ジェミニ〉を使用しているらしいのです。心当たりは?」
席に着いたパーシーは単刀直入に尋ねた。
「──バーナード・ブレイズか」
シェルダンが忌々しげにその名をつぶやいた。
「15年前、二液混合式燃料ジェミニを開発した男です」
「燃料部門の化学者ですか?」
「ええ、燃料部門の閉鎖に伴い、解雇しました。あの大火の後、何年も行方不明になっていたのですが、ある日、ジェミニの権利を渡せと裁判を起こしたのです。無論、我が社が勝訴しましたが」
「その裁判の弁護士はチェスター氏ですか?」
「ええ、チェスター氏の弁護士事務所は大火の前からのお付き合いです」
ブレイズは会社を解雇され、自分の発明品も奪われたということか。ペトロポリタン関係者への放火の動機はこれだろう。
「ブレイズのその後は?」
「さて…噂では、裏社会の人間と関わるようになったと聞いたことがありますが」
興味ないというふうにシェルダンが肩をすくめた。
2
シェルダン社長からバーナード・ブレイズの古い写真を借りたパーシーが、ペトロポリタン社から出ると、
「よう」
と、声をかける者がいた。ガラードだった。
「お前さんもペトロポリタンに目を付けたか。で、どうだった?」
「捜査情報は教えられない」
肩を抱こうとするガラードの腕をパーシーは払いのけた。
「つれないこと言うなよぉ。お役立ちのネタがあるんだぜ」
「そうか」
ガラードに背を向け、パーシーは歩き出した。
「──バーナード・ブレイズ」
ガラードの言葉に、パーシーが足を止めた。
「何故その名を知っている?」
鋭い眼を向けるパーシーに、ガラードはニヤリと笑った。
「燃料関係の犯罪を調べてて見つけたんだ。一昨年、ヤミの灯油の工場が摘発された事件を覚えているか?」
「ライト・チャペルだったな」
ライト・チャペルはキャメロット北東部にある地域である。小規模の工場が多くあり、治安が悪いことで知られている。
「それそれ。その逮捕者の中にバーナード・ブレイズがいたんだよ」
ガラードは、その後の調査でブレイズが元ペトロポリタンの化学者だということ。ペトロポリタンを相手取って裁判を起こし、負けたこと。そしてその時ペトロポリタンの弁護士がチェスターだったことを突き止めたのだった。
「放火されたのは、ネルの店と救貧院以外、ペトロポリタンに関係があった。で、ここに来てみたらお前さんがいたというわけさ」
「……ライト・チャペルに行ってみるか」
「おっ、やっぱりコイツがファイアーティストの正体か?」
つぶやいたパーシーの顔をガラードがのぞき込む。同行させろと眼で訴えている。
「ついてきてもいいが、捜査の邪魔だけはするなよ?」
「しないしない、したこともない」
パーシーはため息をつくと、ガラードと共に駅へと向かった。
× × ×
刑事と記者がライト・チャペルに到着した頃、陽は暮れかかっていた。
通りは土がむき出しで舗装されていない。ガス灯がほとんど無く、建物も人も薄汚れている。そこかしこにある小さな工場の煙突からは旧式の蒸気機関特有の黒い煙と蒸気が上がっている。
まるで大火前のような場所だ…と、パーシーは思った。
大火後の基準に則り、道路の幅は広げられ、建物は分厚い赤レンガの壁を持つものになっている。
しかし街を覆う貧困と犯罪が、この街を暗く淀ませていた。
その姿は、パーシーが暮らした大火前の貧民街を思い起こさせたのだ。
問題の工場は表通りから離れた工場街にあった。
ヤミ灯油の摘発後、閉鎖されたのか、薄闇に沈む工場に灯りはなく蒸気機関の駆動音もしない。
「待て」
進もうとしたガラードをパーシーが制止した。
舗装されていない泥道に新しい足跡がある。
5、6人…あるいはそれ以上。その足跡は工場横の通用門に続いている。よく見ればその通用門は微かに開いていた。
そっと近づいた二人は、泥道に転がる南京錠を見つけた。工具で破壊されたその跡は新しかった。
何者かが工場に侵入している?
3
パーシーは、踏み込むか、先に応援を要請するかで迷った。
しかし刑事のカンが、彼に踏み込むべきだと訴えていた。
パーシーとガラードは眼で合図しあうと、通用口の鉄扉に手を掛けた。
扉を開く音はほとんどしなかった。滑らかに開いた感じから、油を差したのであろう。
やはり先客たちはファイアーティストの仲間ではないようだ。
薄闇の中、工場の中心に巨大な影が見える。
蒸留塔だ。
原油を加熱し、気化した成分を段階的に凝縮させて分離する装置である。これにより揮発性の高い灯火油から揮発性の低い機械油までを作ることができるのだ。
その周囲には様々な太さのパイプが張り巡らされている。その様は巨獣のはらわたのようである。
蒸留塔の近くに、うごめく人影があった。
全員黒いジャケットを着て赤いネクタイをしている。黒のジャケットのせいで、その姿は薄闇に溶け込み、よく見えない。しかしその手に銃やナイフが握られているのは分かった。
「警察…ではないか?」
薄闇の工場に、低い声が響いた。
黒ジャケットたちがぎょっとして立ちすくむ。
工場の一角に青紫の炎がともった。
2階の事務所へと続く鉄の階段、その中ほどに燐火を手にした銀ののっぺらぼう──ファイアーティストがいた。
その光に、蒸留塔を取り巻くようにいる黒ジャケットたちが浮かび上がる。その数は7人か。
「くたばれ!」
黒ジャケットの一人がファイアーティストに拳銃を放った。慌てたのか、腕が悪いのか、銃弾はファイアーティストから1メートルは離れた場所に着弾し、火花を散らした。
「馬鹿野郎! こんなところで撃つな!」
拳銃を撃った手を、別の黒ジャケットが押さえる。
「そうそう。ここはファイアーティストのアトリエだ。火気厳禁!」
言うなり、ファイアーティストの手から燐火が飛んだ。黒ジャケットの一人に命中、火だるまになったそいつは絶叫上げて転げ回る。
仲間の一人が、近くに水の入ったバケツを見つけ、手に取った。
「よせ!」
パーシーが叫んだ時は遅かった。
仲間が火だるまの男に水をかけると炎が飛び散り、爆発的に燃え広がった。
「シャシャシャぁっ!」
ファイアーティストが奇怪な笑い声を上げる。
「野郎!」
ガラードが怒りにうめく。
ファイアーティストは、わざと水の入ったバケツを置いたのだと気づいたからだ。
燃え広がった炎に、さらに3人の黒ジャケットたちが炎に包まれた。仲間たちはどうすることもできず、悲鳴を上げ、後ずさる。
その様を見てファイアーティストは嘲笑いながら、さらに一つ、もう一つと燐の炎を投げる。
適当に投げたように見えたが、炎は落ちた先で爆発的に燃え上がった。あちこちに燃料がまいてあるのだ
「あいつ、オレたちごと工場を始末する気だ!」
パーシーが叫んだ。
ついにファイアーティストの正体が判明。
そして対決の第2ラウンド開始!
余談ですが、ライトチャペルの街。
ロンドンに詳しい方ならピンと来たかもしれませんね。そう、切り裂きジャックが犯行を働いていた「ホワイトチャペル」がモデルです。
この作品に登場する地名は、実在のものをもじったり、古い名を使ったりしています。
(完全創作もありますが)
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