#2-5.悪魔の炎
【前回までは】
張り込む刑事パーシーたちの前に、姿を見せた炎の怪人ファイアーティスト──
1
夜の街を、白い闇が覆っている。
キャメロット市民が慣れ親しんだ夜霧とも蒸気機関が吹き上げる白煙とも異なる異質な白い煙が、高級住宅街に立ちこめている。
建物も塀も通りも濃い白に飲み込まれ、ガス灯のオレンジの明かりだけが朧に浮かんでいた。
その白い帳の中から、フード付きのローブを着た人影──ファイアーティストが現れた。
ファイアーティストが現れたのは、ソーンダイク子爵のタウンハウスの裏手であった。
低い鉄柵の向こうは裏庭と馬小屋があり、その先に3階建ての赤レンガの屋敷があった。
「この近代化の時代に、馬車を使っているのか……」
低くかすれた声でファイアーティストがつぶやいた。
「同じ燃やすなら、生き物がいるほうがいいか」
低く笑うと、ファイアーティストはローブの中から真鍮の小さな円筒容器を取り出した。
容器の中には灰色の粘土のようなものが入っていた。ファイアーティストはそれを裏門の鉄扉、その鍵穴に詰め込むと、指先に仕込んだ発火装置で点火した。
小さな閃光が弾けた。金属粉末の混合物に点火、酸化還元反応させることで高熱を発したのだ。その温度はゆうに2,000度を超える。
わずかの間に錠前の内部機構は溶け落ち、ファイアーティストが軽く押すと鉄扉が開いた。
ファイアーティストは敷地に入ると、まず両の手の平を馬小屋に向けた。数秒後、フードの怪人は赤レンガ作りの館に向き直り、奇妙な動きをはじめた。
オーケストラの指揮車のように両手を振りはじめたのである。その様は、見えない長い手で、ソーンダイク子爵の館を撫で回しているかのようであった。
数秒後、ファイアーティストは芝居がかった仕草で両手の動きを止めた。
ゆっくりと裏門の外まで戻り、右の手の平に青紫色の炎を生じさせた。
「報いを受けろ…ソーンダイク卿!」
静かにファイアーティストがつぶやく。そこに──
「待て!」
との声に続き、白煙の帳の向こうからアセチレンライトの光が浴びせられた。
建物の陰から、通りの向こうから、警官たちが姿を見せた。その数10数人。投射式アセチレンライトを手にした者、銃を手にした者もいる。
その後ろから、蒸気を吹き上げた消防車も現れた。
ファイアーティストが立つ通りは、前も後ろも完全に塞がれた。
「無駄な抵抗はやめろ。連続放火の容疑で貴様を逮捕する」
拳銃を向けパーシーが叫んだ。
「シャシャシャっ」
フードの奥で、ファイアーティストは奇怪な笑い声を上げた。
右手に載せた炎を見せつけるようにパーシーたちのほうに向けると、手品師のような仕草で、左手で何かを右手の炎に放り込んだ。
真っ白な閃光が弾けた。マグネシウムによる目くらましの閃光だった。
「くっ!」
煙幕が晴れはじめていたことでその閃光は強烈だった。パーシーたちは瞬間的に視力を失った。
「シャシャシャっ!」
高笑いしながらファイアーティストは右手の炎をソーンダイク邸に投げた。
爆発的な炎が上がった。
2
パーシーは目をしばたたかせた。
火の手が上がった気配に焦りながらも、閃光で奪われた視力の回復に努める。
数秒後、視力が戻ると、ソーンダイク邸の馬小屋が燃えていた。そして館の壁にはGuiltyと炎の文字が燃えていた。
「ファイアーティストは?」
見ればフードの怪人は、パーシーたち反対側を固めていた警官たち、その向こう側にいた。閃光で目を眩ませた間に抱囲を抜けていたのだ。
「おのれ!」
低くうなってパーシーはファイアーティストを追って駆け出した。
この間に煙幕はかなり薄くなっていた。ガス灯が照らす石畳の通りをファイアーティストが駆けて行く。
足が悪いのか、左足の動きがぎこちない。
そこに重々しい排気音が轟いた。
この音は──
「薔薇の騎士!」
いつの間にかパーシーの隣を走っていたガラードが叫んだ。
ファイアーティストの行く手を塞ぐように、巨大な二輪自動車ランサーが現れた。
真紅のボディを彩る金色の薔薇の装飾、真鍮の排気管が街灯に煌めいている。
アセチレンライトとは異なる、ランサーの白いヘッドライトの光に照らされ、ファイアーティストが立ちすくむ。
ファイアーティストは再び挟み撃ちにされた格好になっていた。
前は薔薇の騎士のランサー。後ろからはパーシーとガラードそして警官隊。
ファイアーティストは通りの左右を見た。右は大きな屋敷の裏門。左は改築中なのか足場に囲まれた大きな建物があった。
「観念しろ! この放火魔!」
ガラードが怒鳴る。
じりじりとパーシーと警官たちがファイアーティストに迫る。そこに、
「なんだこの火は!?」
後ろでソーンダイク邸の消火活動をしていた消防士たちの叫び声が上がった。
振り向くと、馬小屋の炎が燃え広がっていた。
蒸気消防車から消防士が放水すると、あろうこと炎は消えないまま飛び散り、燃え広がるではないか!
ファイアーティストの放った青紫の炎は悪魔の炎であった。
Guiltyの火文字は館の壁を覆うように広がり、その一部は窓を破って室内に燃え移りつつあった。
「シャシャシャっ!」
嘲るようにファイアーティストは奇怪な笑い声を上げると、両手を改築中の建物へと向けた。
──なんだ?
ガス灯の灯りの中、ファイアーティストの両腕から液体のようなものが放たれたようにパーシーには見えた。
その直後、ファイアーティストは改築中の建物へと走った。
「逃がすか!」
叫んでガラードが後を追う。その眼前で、建物が燃え上がった。
尋常ではない勢いの炎だ。
ファイアーティストの両腕から放たれたのは燃料だったのか。
建物を囲む木製の足場、むき出しの梁や柱が炎に包まれている。ファイアーティストはためらいもなくその炎の中に飛び込んだ。
思わず足を止めたガラードに、炎の中でファイアーティストが振り向いた。
フードのローブに炎が燃え移っている。
しかしファイアーティストは平然としていた。わずらわしげに火の付いたフードをむしり取ると、その下から現れたのは、目も鼻も口もない銀色ののっぺらぼうだった。
「シャシャシャっ!」
息を呑むガラードたちを、ファイアーティストは奇怪な声で嘲笑うと、その身を翻し、燃えさかる炎の中に飛び込んだ。
銀の怪人は、炎の中にその姿を消した。
3
「消防車をこちらに! あの火は水では消せない」
愕然とするパーシーたちの横に、ランサーを駆る薔薇の騎士がやって来て言った。機械が話したかのような人工的な声だった。
「お前なら消せるのか?」
尋ねたパーシーの眼前で、モーターサイクルがその形を変えていった。
車体中央部が折れ、カウルが移動して乗り手を覆う。エンジンブロックは背面に移動し、後部ユニットが手足へと変わる。
数秒でモーターサイクルは身長約4メートルの機械の騎士にと変形した。
──ナイトフォーム。
ランサーの人型形態をこう呼ぶ。
「お、おいっ!」
ランサーが左腕でハーシーをつかみ上げると、高圧噴流によるホバー走行で、ソーンダイク邸へと向かった。
石畳の通りを滑るようにしてやって来た機械の巨人に、消防士たちは度肝を抜かれた。
「ここは彼に任せて、向こうの火事に向かってくれ!」
地上に降ろされたパーシーが叫ぶと、消防士たちは慌てて消防車に乗り込み、もう一つの火災現場へ向かった。
「刑事さん、下がっていたまえ」
薔薇の騎士が機械みたいな声で言う。パーシーが下がるのを見届けると、ランサーはその鉄の拳を馬小屋に叩きつけた!
「やはりか!」
ウエハースのように砕けた馬小屋。火が付いた建材をランサーの鋼の腕と足が可燃物のない場所に放り出す。
破壊消火である。
馬小屋に続き、ランサーはソーンダイク邸にその拳を向けた。
ランサーの拳が振られる度、赤レンガの壁が砕け散り、柱がへし折られる。
重厚な館がみるみる破壊されてゆく。
こいつ楽しんでないか?
消火という名の破壊活動を行うランサーに、パーシーはそんなことを思った。
「な、何をしとるんだ!」
いつの間にか、パーシーのそばにソーンダイク卿その人が来ていた。
「これ以上燃え広がらないための唯一の消化方法です」
なんでオレが説明せねばならんのだと、パーシーは内心ため息をついた。
悲鳴を上げる子爵を意に介さず、機械の巨人は、炎がついた場所を叩き壊して建物から分離し、それを燃え移るおそれのない場所、すなわち路上へと放り出していった。
効率的だが乱暴だ。
とにかく、ソーンダイク邸の火災は馬小屋と館のおよそ1/4が破壊されたに留まった。
もう一つの火災現場に目をやると、そちらは蒸気消防車からの放水で鎮火しつつあった。
ランサーが変形し、モーターサイクルに戻った。
薔薇の騎士は消火活動が進む火災現場を見ている。
青い薔薇の模様で装飾された白い甲冑に身を固めた騎士は、年齢はおろか性別すらも分からない。
パーシーは、過日、大火の絵を見つめていたヴィヴィアンを思い出していた。
「私を逮捕しないのか? 刑事さん」
機薔薇の騎士が尋ねた。機械で加工した声だが、からかうような雰囲気があった。
「今日はやめおこう」
パーシーが答えると、薔薇の騎士の身体が微かに揺れた。笑ったのだ。
そして、重い排気音を轟かせ、真紅のモーターサイクルは走り去っていった。
怪人ファイアーティストとの対決、その第一ラウンドでした。
ついでにソーンダイク卿は「ざまぁ」なことにw
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