#2-1.火災現場と淑女の右ストレート
【前回までは】
炎を手の平に載せ、霧と蒸気の街を徘徊する銀色ののっぺらぼうファイアーティスト現る。奇っ怪なる放火魔が炎でGuiltyと描くその理由とは──
1
「なんてことだ…!」
パーシー・ローマン刑事はその惨状に憤った。
仕立屋『ネルのアトリエ』は、赤レンガの壁と大きなガラス窓が特徴の瀟洒な建物だった。
それが見る影も無く燃え落ちていた。
ただの火事ではない。放火されたのだ。
放火はパーシーが最も憎む犯罪だ。
15年前の大火災で、パーシーは家族を喪い、孤児となった。彼だけではない。何十万という人々が、住む場所を、大切な人を、仕事を失ったのだ。
火事は何かも奪い去る。それを自ら行うのが放火犯だ。
絶対に許さない。必ず捕まえてやる!
パーシーは拳を握り、誓った。
「火元は店内です。犯人は窓を破り、店内に燃料をまいてから火を点けた模様です」
現場に残っていた消防士の一人が説明した。
彼は火災監視員。鎮火後の見張り、そして火災原因を調査する役割の消防士である。
「発見が早く、他の建物に燃え移らなかったこと、それに死傷者がいなかったことだけが救いです」
「ネルは無事だったか」
パーシーがほっと安堵のため息をついた。
そこにかん高い自転車のブレーキ音が鳴った。
「パーシー! ネルは無事か?」
乗り付けた自転車を放り出した記者のガラードが勢い込んで言う。
いつもおちゃらけた男が血相変えている。
「無事らしい。オレも今来たところでまだ会ってないが」
「そうか」
ガラードが大きくため息をついた。
この仕立屋の店主ネル・コートニーは、パーシーとガラードには家族同然の女性だった。
15年前の大火で孤児となったパーシーとガラードは、セント・ジョージ教会で他の孤児たちと共に育てられた。
ネルは二人の7歳上、孤児たちの中で最年長だった。パーシーら年少たちには姉のような存在であった。
「ネル──店主のコートニーさんはどこに?」
パーシーの問いに消防士が答えようとした時、
「なんということだ!」
通りに太い声が上がった。
「あのドレスが燃えただと? いったいどうしてくれる!」
声の主は蒸気消防車の向こうにいて見えない。
パーシーとガラードが消防車の向こうに回り込むと、体格の大きな貴族らしき男が、店主のネルに詰め寄っていた。
「申し訳ございません。ソーンダイク卿」
煤けた服と乱れた髪のネルが、詫びている。
「代わりのドレスを用意できる店がないか、組合に連絡してみます」
「出来合いのドレスで妻を夜会に出せというのか! 私を誰だと思っている? ソーンダイク子爵ドナルド・サイドポールだぞ!」
怒鳴り声にネルは身体を縮こまらせた。
ネルは気丈な女だ。しかし店を火災で失ったあとである。
苦労して築き上げた店、ようやくにつかんだ夢が理不尽に奪われ、彼女はうちひしがれていた。
そこにこの貴族は追い打ちを掛けるような真似をするのか。
「おい、あんた!」
たまりかねてガラードが叫んだ。
「放火で店を失った店主に、その言はいかがなものですか?」
今にも殴りかねないガラードの肩を押さえ、パーシーが前に出た。
「何だ貴様らは?」
「記者と刑事だ」
ガラードの言葉にソーンダイク卿は鼻で笑うと
「平民が口を出すな。私はソーンダイク子爵ドナルド・サイドポールだぞ!」
と、怒鳴った。
2
「この店は評判のドレスメーカーと聞いて注文したのだ。なのにこの有様はなんだ? 火事で品物が焼けた? どうしてくれるのだ! 弁償しろ!」
「弁償って…!」
ネルが息を呑む。
「目ぇついてんのかこの野郎!」
「この火事は放火です。彼女に落ち度はありません」
怒声を上げるガラードを押さえながら、パーシーは怒りを通り越して呆れていた。
まだこんな貴族風をふかすヤツがいるとは。
いや、中流階級──〈新しい紳士〉の台頭で、貴族の社会的ステイタスは低下しつつある。だから自らの出自にすがろうというのか。
「放火されるのは店主に問題があるからだ! 新聞で見たぞ。この店にはよくない噂があるではないか」
「それは…!」
ソーンダイク卿の言葉にネルが蒼白になった。
「放火された理由もそれではないのか? だいたい──」
「ちょっとよろしいかしら」
ソーンダイク卿の言葉を、美しい声が遮った。
「ああ?」
ふわり、と金と銀の髪が揺れ、振り向いたソーンダイク子爵の顔面に、小さな拳がめり込んだ。
「ぶげぇっ!?」
ブタのような悲鳴を上げ、子爵が石畳に転がる。
ガラードが、ヒュウと感嘆の口笛を吹いた。
パーシーも目を見張った。
踏み込み、腰、肩、腕──力を効率的に拳に乗せる見事な一連の動き。彼女は暴力を振るう時でも美しい。
「な、何をする! 私は ソーンダイク子爵ドナルド・サイドポールだぞ!」
頬を押さえ叫んだ子爵は目を剥いた目を剥いた。
自分を殴り倒した相手が、細い娘、貴族の令嬢だったからだ。
「あら失礼。あまりに品がないものですから、ゴロツキが絡んでいるのかと思いましたわ」
先の三分の一が銀色をしているブロンドの髪。稚気と妖艶が共存する美貌。エメラルドのような緑の瞳が子爵を冷たく見下ろしている。
「な、ななな何者だ?」
「こちらはヴィヴィアン・ベンウィック伯爵令嬢ですよ。子爵どの」
混乱するソーンダイクに、ガラードは「子爵どの」を強調して言った。
「ベンウィック伯の…!」
子爵は顔面蒼白になった。
伯爵は子爵より上の爵位である。ヴィヴィアンは伯爵令嬢であって伯爵ではないがソーンダイクのような男には絶対的な差であった。
「ドレスの値段はいかほど?」
「120ポンド…です」
ヴィヴィアンの問いに、尻餅ついたままソーンダイクが答える。
「モリー」
「はい」
ヴィヴィアンの後ろに気配もなく控えていた美しいメイドが進み出た。
短い黒髪と黒い瞳そして黒のドレス姿は、まるで令嬢の影が動き出したかのようであった。
「そのドレス。私に譲ってくださいな。ソーンダイク子爵」
「へ?」
ヴィヴィアンの申し出に呆気にとられたソーンダイクに、メイドが小切手に金額を書き入れ、渡した。
「よろしいですわね?」
「は、はい。お譲りいたします」
小切手を押し頂くようにして受け取ったソーンダイクは、逃げるように去って行った。
「ヴィヴィアンさま! ありがとうございます」
「いいのよネル。お店は残念だけど、あなたが無事でよかったわ」
涙ぐむネルの手をヴィヴィアンが取った。
「ネルのことをご存じだったのですか? レディ・ヴィヴィアン・ベンウィック」
「ネルがお店を持つ前からですわ。ローマン刑事」
相変わらずの形式張ったパーシー。
それが自分に見とれてしまった照れ隠しとも知らず、ヴィヴィアンは硬い笑顔で応じた。
「お二人もネルの知り合いでしたのね。意外でしたわ」
「同じ教会で育てられた孤児仲間です」
「オレらの姉みたいなもんですよ」
パーシーに続いてガラードが答える。
「ネル。オレたちがついてるからな」
「元気出してくれよな」
「パーシー、ガラード…ありがとう」
刑事と記者となった弟たちに励まされ、ネルはなんとか笑顔を浮かべた。
3
パーシーたちが現場検証のために離れ、ネルは念のため病院へと運ばれた。
「今回の私、ポイント高いと思わない?」
モリーとふたりだけになったヴィヴィアンが、そっと囁いた。
「パーシー刑事の幼なじみの危機に、颯爽と現れて窮地を救いましたね」
いつものように、モリーは感情のない表情と声で言った。
「──最悪です」
メイドの評価はその表情以上に冷たく、辛辣だった。
「何故?」
「例えば、私が悪漢に捕らえられているとします」
「あなたが捕らえられるなんて考えにくいのだけど。その悪漢、クマ並の腕力が必要じゃなくて」
「たしかに、クマごとき片手でねじ伏せられますが」
モリーは淡々と事実を認めた後、
「ですから、たとえ話です」
と、話を続けた。
「私が悪漢に捕らえられました。ヴィヴィアン様がいざ助けにと動こうしたその時、ドクター・マーリンがランサーで悪漢を退治、私を救出しました。──どう思います?」
「ドクターをホムズ河に蹴り落としてやりたいわね」
「ヴィヴィアン様が先ほどなさったことがこれです。階級と財力というパーシー刑事にはない武器で子爵を撃退しました」
「あ…!」
「最悪です。得点どころか減点ですね」
「あぁあああ!」
小さく叫びながら頭を抱えるヴィヴィアン。
「パーシー刑事がからむと、どうしてこうポンコツになるのでしょうね」
無表情の中に微かに呆れをにじませ、モリーは嘆息した。そこに──
「馬鹿な! ネルがどんな罪を犯したと言うんだ!」
パーシーの怒声が上がった。
「今、ネルの罪が、と聞こえたのですが?」
ヴィヴィアンがやって来るのを見て、パーシーは冷静さを取り戻した。
「放火犯はネルの店と知って火を点けたようだ」
「ネルに狙われる理由があったと言うのですの?」
店に放火されるなどよほどのことだ。
ネルの仕事ぶりを知るヴィヴィアンにも信じられないことだった。
「……心当たりがないではない」
ガラードがつぶやくように言った。
放火魔がネルの店を狙った理由とは?
淑女は常にストレートですわ!
というセリフを入れたくてたまらなかった(嘘)
2話の本編開始です。
お付き合いいただければうれしいです。
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