#1-9.幻のエンジン
【前回までは】
ヴィヴィアンと正義をめぐり、口論した刑事パーシー。ロッホ・ネスを出た彼は、内燃エンジンを開発していたボルトン伯爵を訪ねる──
1
ロッホ・ネスを出たパーシーは、ガラードと別れ、ボルトン伯爵の屋敷を訪ねた。
通された執務室で、パーシーは伯爵と対面した。
「噂の怪自動車の件かね。何故私の所に?」
ボルトン伯は五十を少し過ぎた歳だというが、年齢以上に老けて見えた。
「件の車両は、内燃エンジンを搭載しているらしいのです。伯爵は、以前、内燃エンジンの自動車開発に着手されたとか」
尋ねながら、パーシーは執務室に視線を走らせた。
重厚で品の良い調度が揃えられた部屋だ。
壁には新大陸の風景画と試作自動車の完成予想図が飾られている。執務机には自動車の模型と家族写真がいくつかあった。
──息子二人が写っているのは幼い頃のものが一つだけか。
長男と思われる青年の写真はあるが、次男アクセルの成人後の写真はない。
「それで?」
「残骸ですが、ご意見を聞かせていただければ幸いです」
パーシーは証拠用に撮った10枚ほどの写真を執務机の上に置いた。エンジンやサスペンションに関係したパーツを選んで持って来た。
「ふむ…たしかに、内燃エンジンと思われるな」
写真をざっと眺め、ボルトンが気のない声で言う。
「かなり大きいな。化け物みたいな出力があることだろう」
「最新型の蒸気自動車でも追いつけませんでした」
「そうだろうな。サイズが同じなら蒸気エンジンは内燃エンジンには勝てん。ボイラーの必要がないからな。だがトータルでみれば、いまだ内燃エンジンは蒸気エンジンにはおよばない」
「具体的には?」
「まずは安定性。燃料を安定して噴射する装置がなかなかできないのだ。出力が低い間はいいが、出力を上げるとせき込むように不安定になる」
「なるほど…」
パーシーは、ランサーに追われるサンダーボルトの姿を思い出した。
速度を上げたサンダーボルトは、エンジンの駆動音が不安定になっていた。
「次に安全性。揮発性の高い燃料を使う以上、これは避けては通れない。私が開発をあきらめた原因もこれだよ。ここまでの惨状ではなかったがね」
そう言ってボルトン伯は、残骸写真の1枚を指で差した。
「試験車が火災を起こしたとか。残念でしたね」
「完成すれば自動車産業に、いやエンジンすべてに革命が起きただろうな。しかし結果は知っての通りだ」
「革命ですか。石炭業界からの圧力も相当あったことでしょう」
「ああ、あったとも」
ボルトン伯爵はぎろりとパーシーをにらんだ。
「だが試作車の事故と石炭業界は関係ない。高揮発燃料を用いた内燃エンジンは、人類にはまだ早すぎた技術だったのだよ」
2
「内燃エンジンの設計図があれば、お貸しいただけないでしょうか? 警察のメカニックには内燃エンジンを扱った者など一人もおらず、分析に苦労しているのです」
「あいにくだが残っておらんよ。特許と設計図はとっくに売却したからな。開発に関わった者たちも、今はどうしておるやら」
伯爵は窓の外を眺めた。
表情を読まれないための動作か。ただの偶然か。判断はつかない。
もう最後の質問をして辞去すべきか…とパーシーは考えたところで、ふと思いついた。
「内燃エンジン以上の、小型高出力のエンジンに心当たりはありませんか?」
「なんだと?」
「事件の折、巷で噂の薔薇の騎士が現れました。ヤツのモーターサイクルのエンジン音は独特で、蒸気エンジンともサンダーボルトの内燃エンジンとも異なっていました。内燃エンジンを超える高性能エンジン…それに心当たりはありませんか?」
「蒸気エンジン、内燃エンジン、それ以外のエンジンだとすれば電気しか思いつかんな。時速100キロの壁を最初に破ったのは電気自動車だ。欧州や新大陸では、電気自動車が蒸気エンジン車と並ぶ勢力に育ちつつあると聞く」
「電気自動車か…しかしヤツのモーターサイクルには排気管がありました。あれが飾りでないなら、燃料を燃やすタイプのエンジンのはずです」
「それならやはり内燃エンジンだろう。私が開発しようとしていたものとは別種の……」
ボルトン伯爵の言葉は途中で途切れた。何かを思いだしたようだ。
「まさか…真空フロギストンエンジン?」
「なんですか、それは?」
それはパーシーがはじめて聞く名前だった。
「私も噂で聞いただけだ。15、6年前だったか…究極のエンジンが発明されたと聞いたのだ。天上の力。魔神の心臓。既存のエンジンを凌駕する存在。その名は真空フロギストンエンジンだと」
「それはどんなエンジンですか?」
「燃料はありふれた液化石炭。燃素フロギストンの作用で、熱をエネルギーに変換する効率を飛躍的に高めているとか。それ以外は不明だ。発明者の名前すら残っておらん。以前は、これこそ真空フロギストンエンジンだとガラクタを売りつける詐欺師がいたものだが、最近ではその名を聞くこともなくなった。どこぞのタブロイド誌のねつ造記事に、尾ひれが付いて広まったものだ、というのが大方の見方だな」
「もし、それが実在したとしたら?」
「まさか」
ボルトン伯爵は一笑に付そうとした。
「ランサー──薔薇の騎士のモーターサイクルの性能は、サンダーボルトの車両を遙かに超えていました。加速、速度、どれをとってもサンダーボルトはランサーの足下にも及ばない。あれほどの性能、既存のエンジンとは思えません」
パーシーは、わざと挑発するような言い方で尋ねた。
サンダーボルトの暴走事件。ガラードはその動機を、ボルトン伯爵が葬られた内燃エンジンを世に知らしめようと起こしているのではないかと疑っていた。
ガラードの推理どおりボルトンがサンダーボルト団に関わっているなら、嫉妬や怒りなどの感情を露わにするだろう。
「ランサーとはそれほどのものなのか。一度この目で見てみたいものだ」
しかしボルトン伯の目には、驚きと好奇心の光が見えるだけだった。
ならば…と、パーシーは本命の質問をした。
「時に、次男のアクセル氏はご在宅ですか?」
「アクセルに何の用だね?」
ボルトンの目が、わずかに細められた。
警戒──とパーシーは見た。
「アクセル氏は車両──特に特殊な改造車に詳しいと聞きましたので。もしご在宅なら、ご意見を伺いたいのですが」
「今はおらんよ。パリに留学中だ」
「そうですか。残念です」
伯爵の言葉を信じたわけではない。しかしこれ以上は収穫はなさそうだ。そう判断したパーシーはボルトン邸を後にした。
3
屋敷を後にする刑事。その背中を執務室の窓から見送り、ボルトン伯爵は大きなため息をついた。
その後ろ、隣室のドアが開き、アクセルが現れた。
「──結局、警察は何もつかんじゃいないってことか」
「今回はやりすぎだ。市長もいる式典に乱入するなど…もう私の力でもかばいきれん」
「かばいきれない? じゃあオレを警察に突き出すか?」
アクセルは口を歪めて笑った。
「できないよなぁ? オレは次期当主なんだからな」
「まだお前に譲るとは決めておらん」
「強がるなよ。兄上が病で明日をも知れぬと、パリから呼び戻したのはあんただろ、父上」
ボルトン伯爵は唇を噛んだ。
家と爵位を譲るつもりだった長男のジョン。彼はアクセルと違い、聡明で道理をわきまえた男だった。
だがジョンは、外国で病に罹り、アクセルの言う通り明日をも知れぬ身だ。
2年前、暴走行為で訴えられたアクセルを、伯爵はフランスに留学させた。ほとぼり、そしてアクセル自信の頭を冷やすためだった。
ところがアクセルは帰国するや、仲間たちを集めてあの怪自動車を作り、暴走をはじめたのだ。
「私への復讐のつもりか? だからあのような暴挙を繰り返すのか」
「最初はそのつもりだった。あんたとこの世界に、オレたち──次男、三男の怒りをぶつけるためだ」
貴族の家は、長男にすべてを相続するのが決まりだ。長男のみが優遇され、次男以下は冷や飯を食わされる…そんな家は多い。
「だが今は違う!」
アクセルは持っていた新聞を執務机に叩きつけた。
ガラードが書いた「颯爽、薔薇の騎士。怪自動車サンダーボルト団を圧倒」の記事が載っている。
「コケにされたまま黙ってられるか! 薔薇の騎士、ヤツを倒す。どっちがハイウェイの王者か思い知らせてやる!」
アクセルは歪んだ笑みで父を見た。
「あんたにも協力してもらうぜ。父上」
× × ×
翌週、キャメロット市中にビラがまかれた。
「薔薇の騎士に告ぐ。ハイウェイの王者の座を賭けて勝負されたし。時は14日、17時。場所は十三号線起点。──サンダーボルト団」
それはサンダーボルト団から薔薇の騎士への挑戦状であった。
街中にまかれたビラはすぐに警察や新聞社の知るところとなった。
そしてもちろん、薔薇の騎士当人の手にも。
「──面白い」
ティーカップ片手に挑戦状をながめたヴィヴィアンは、唇をつり上げて笑った。
以前、画期的なエンジン「真空エンジン」の記事をみた記憶があって、そこからこの謎エンジンを思いつきました。
真空フロギストンエンジン。
その全貌が明らかになるのは果たして──
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