止まらぬ時
水琴窟が完成した。
手水場への栓を開けると、地下水が流れ込んでくる。
最後に、水琴窟に流れる水の量を調節することで、音の高低を決める調節が難しく、一日がかりだったらしい。
垰と篠原は、笑いながらかたい握手をしている。相当手こずったのだろう。
水琴窟の、ひやあぁん……という音が、場に染み渡る。
庭のケヤキには鳥が集まってくる。
夏の終わり。家には、大勢人が集まっていた。
風は、北西の山から秋の気配を運んできていた。
光代がイタリア歌曲を披露すると、篠原が音をかぶせてくる。
アンダーテイカーのボーカルがバラードを歌う。その合間に、歌が途切れると、風に乗って水琴窟の音が響き渡る。
笑い声と喋り合う声と、賑やかさが秋の気配の切なさを埋める。
夜になっても家の中は、ミニライブが続いた。
二学期が始まった。県高祭が開催される。
由良姫と宇羅彦は、放送委員で忙しく立ち回る。委員長には井戸田さんがなった。一年生も順調に増えている。
そして、文化祭の目玉はアンダーテイカーのライブだった。
久しぶりに、放送の天井裏に小林先輩がやってきた。アンダーテイカーのライブのライティングや音響の調整をする。
先輩たちがやってきて、ちゃっかり天井裏から2階通路へ出てライブを見ている。
そうして文化祭は大きなトラブルもなく終わった。翌日、体育祭も晴天に恵まれ、予定通りファイヤーストームが今年も行われた。
今年もまた、同じようにトップガンのテーマがかかる。
放送室ボックスの外に、窓越しに一年生らしき女子たちが集まっていた。
宇羅彦は窓を開けて、光代の肩に手をかけると外にいる女子たちに言った。
「悪いなあ、こういうことやから。全員、ごめんやで!」
光代がええっ! という顔で宇羅彦を見上げる。
「そっかあ! きゃやん、とうとうやね、おめでとう!!」
由良姫は宇羅彦の顔を見つめると、どこか迷いが取れたのが見て取れた。
猪野神の本家へ行った時、宇羅彦は長いこと本家の主人や大那の父親と話をしていた。それは、自身が鬼という異形であることについてだった。
もちろん、里で父豪鬼や剛拳とも、これからの自分について話した。
「俺の、由良姫を守る役目は終わった。俺はどうしたらええ?」
「どうもこうも、おまえはもう、決めた道を進んどる」
豪鬼はそう言った。
「宇羅彦くんは、しっかりと一族を束ねとると思うぞ」
奏家本家の主人が言った。
「おまえ、好きな女がいるんだろ?」
「異形だろうと、関係ないんじゃないかな」
「だって、結局ケガレが来たら、おまえ、そいつ連れて逃げるだろ?」
大那が言った。宇羅彦は頷いた。
振り向けば一年、変わらぬ顔が横にいた。由良姫ではなくて。
秋は過ぎるのが早い。
東都を除き、各地のケガレ発生の様子は落ち着いていた。もちろん、変わらず発生は続いていたが、数の推移に変化はなく、変容は緩やかだった。
東都だけが、異質だった。
それは西都から見れば、ただの怠慢だった。
地方から見れば、最早、東都の失策に他ならなかった。
全国のケガレ対策を束ねるのは、ケガレ対策室室長の神守我央だった。
しかし、東都のケガレ対策の責任は、副長である神守玲にあった。東都の失策は、玲の力量不足として認識されていた。
なぜなら、我央は多くのグレードS級を陣頭指揮を執り、すべて祓い切ってきた。
玲は先見の酷使によって、眼を正常に保つことができなくなっていた。違和感はもう隠せなくなってきていた。
その違和感の正体を、玲は考えないようにしていた。今ここで退いては、今まで積み重ねてきたものが、一瞬にして奪われる。
玲は、東都を救ってきた神守を動かしているのは、誰でもない己だという自負があった。その傲慢さこそが、落とし穴であることに気づかずにいた。
間もなく、芥見本家で交わした約束の期日が来る。
神守我央は、そろそろ玲の配置替えを考えていた。玲は副長の座に執着を見せていた。それは良くない傾向だった。
「玲、話がある。室長室の方へ来るよう」
そこで、玲は恐れていたことを言い渡された。
「副長というシステム自体をなくす。君は、先見の部署の責任者に戻る」
「それでは、室長のサポートは……」
「サポートはいらない。代わりに、祓い専門の部署を再編成した。部長ミーティングは毎朝行う。君の責任は、そのミーティングに必ず先見の報告を間に合わせることだ」
「それは……私は降格という……」
「元々、君の立場は変わらない。君は先見の責任者だった。しかも千里眼も持っていた。だから、私が赴けない高グレードの現場での指揮を任せていたに過ぎない」
玲は思い出していた。確かに、言われた通りである。
それを徐々に、解釈を勝手に広げて行動していたのは自分だった。そうしなければ回っていかないという、自己判断だった。
「君は少々、乱雑すぎた」
「それならなぜ……っ!」
「今の君なら、私の言っていることの意味がわかるかと思って言っている」
「それは……」
「私は君の尻拭いを、なぜ黙ってやってきたと思っている?」
「……っ!!」
「元々の役目に戻って、冷静に君自身を見つめなおす時期が来たと思うが」
10月になり、東都の神守我央から連絡があった。
これまでの期間中に、東都以外の場所では、それぞれの役割が定着しつつあった。その話し合いをネットミーティングでできないかと打診があった。
ミーティングには宇羅彦、万里依、鹿野神と猪野神の2人ずつ、そして神居の代表の7名と、我央の他、東都側の各地方担当部長が出席した。
そこに、神守玲の姿はなかった。
ミーティングは定期的に行われることになったが、各地方については担当部長と鹿野神、猪野神の2人、神居の代表が直接やりとりすることとなった。
それにより、今までの混乱をなくし、スムーズな連携を図ることを第一とされた。
「ということは、我央さんとしては、これまで通り俺たちに地方を任せたいってことですか?」
「できれば、そうしてほしい。その代わり、専属部署を設けた。サポートはできる限りする」
「それじゃあ、今まで時々口煩いのが出てきたのはなくなるんですね。あれ、邪魔なんですわ、予定狂うし」
「あなた方には、協力をお願いしておきながら申し訳ないことをしました。彼女は、外しましたので」
我央は静かに、しかし冷たい口調だった。
刷新された顔ぶれは、東都の神守組織の激変を物語っていた。
ミーティングは滞りなく終了した。その直後、我央から直接、宇羅彦へと電話があった。
「由良姫さんの姿がありませんでしたが、体調でも?」
「いえ、そういうわけじゃ。俺が代わりにできることは、俺がすることになりました」
「それじゃ、芥見のところと同じというわけだ」
「はい、今後ミーティングは今日のメンバーで。宇宙依はセンサーにかかりきりで。おまけに先見もあるので。それと……」
「ああ、わかってます。万里依さんが西都を含め、全国のまとめ役になったんですね」
「祓いの方は変わりなく、由良姫も一緒に行きますので、よろしくお願いします」
由良姫をモニター上でも出さないことに決めたのは、万里依だった。だが、由良姫の噂はとうに我央の元にも届いていた。
「今はまだ早い。東都の求心力は神守我央にあるべき。由良姫を出したら、構造が壊れる」
今、由良姫を神守の前に出せば、神守はたとえ何も知らなくても、その身に流れる血が思い出すだろう。
御子姫ではなく、真白神の存在を。
そして、10月も終わろうとする頃、浩徳の母親から連絡があった。
浩徳が大海の祖父母の元へ現れたと。浩徳は数日、祖父母宅で体調を整えたら戻るということだった。
──時が、来た。
宇羅彦は、己自身にも覚悟を決める時が迫っていることを悟った。
神在月に、間に合わすかのように、柏木浩徳は帰ってきた。




