夏の終わり
猪野神では、遅くなったが由良姫と宇羅彦が来るというので、一族の者が集まっていた。
猪野神とは、宇羅彦が密に連絡を取り合っていた。そのため、やっとの訪問にしては歓迎されていた。
由良姫は早速、この地特有の山の気配、その「気」に当てられていた。
しかし以前に比べて、由良姫も自己を整える術を身につけていたので、そこまでひどく参ってはいなかった。
「はじめまして……ふう、こんなですみません。ここは気の密度が濃い土地ですね」
由良姫は本家主人にそう挨拶をすると、バシン!と背中を叩かれて笑い飛ばされた。
「そうでしょう。ここは有名な山の神の御領域ですからなあ。それがわかるとはさすがです」
祖を祀る神棚の前に立つ由良姫を見て、その場に居合わせた猪野神の輪紋衆は一瞬にして、その気に呑まれた。
由良姫が発する気は、人々を黙らせ震撼とさせた。
由良姫は、体を依り代へと整えていくに従って、どんどんと失われていくような感覚が増してきていた。
失われる、というのが正しいのか。欠けていくとでもいうのか。
余分なものが削がれていくというのが本音だった。
──失わない。整っているだけだ。
それが、猪野神の修行の場へ来て、本領を発揮した。
その変わりようには、宇羅彦が驚いた。いつの間に、由良姫はここまでに。
かつて、奏家総代、奏司のために動いた者たちは、50歳前後から60歳代になっていた。由良姫の想像以上の姿に、皆、会えたことを大いに喜んだ。
「由良姫、変わったな」
大那がボソッとこぼす。虎雅は黙って頷いた。
その変わりようが、宇羅彦を落ち着かせなくする。
──どんどん、近づいとる。
東都では、グレードSのケガレ事件が起きた。
何より、神守が我央の抑制が効かなくなってきている。 眼であることをいいことに、玲は東都の神守をミスリードし続ける。
もちろんケガレ対策室、室長である我央の意向は損なわない。その影で、副長として『神守が国家を救う未来』のシナリオを描きはじめていた。
先見で視る未来を先取りし、都合よく書き換えていく。眼としての禁忌を、無意識のうちに行なっていた。
白鴉は東都にいた。元国家元首が居住していた跡地は、そのまま手入れが行き届いていた。そこに他の鴉と潜んでいた。
多くの鴉は近くでは中央の緑地公園を根城にしつつ、東都全域に散っていた。
本来、山は女人禁制である。猪野神が大切にする本家のある山間もまた、本来女人禁制であった。女子供はその麓に集落を築いた。その名残が今も続く。
由良姫は食事を勧められるが、結局いつもよりは食べているものの、肉類は元より魚介でさえ受け付けなかった。
「精進潔斎を毎日されとるんですか?」
「意識しとるわけではなくて、箸が伸びないんです」
由良姫はせっかくのご馳走を、申し訳なく手を合わせた。
「それなら、食後にぶどうや梨はどうですか。幸水がちょうど旬ですで」
梨を頬張りながら、由良姫は大那や虎雅たちと喋っていた。
「これだけの気が満ちとったら、ケガレもよう寄りつかんね」
「こっちの方は、こういう場所が多いんだ。その分助かるぜ」
「明日から回る都市部は、それでかわからんけど、他の地域に比べたらマシかもな」
「海産物もめちゃ旨なのに、残念だなあ」
「大丈夫、こういう気の濃いとこから離れたら食べれるで」
「それって、どういうこと!?」
虎雅は笑いながら、それは良かったと宇羅彦を見ながら頷いた。宇羅彦は山のように出された米沢牛を平らげていた。
「じゃあ、あとで牛タンや米沢牛も食べれるな。牡蠣も美味いぜ」
由良姫の細いのを心配してか、食べ物の話で盛り上がる。
そうこうするうちに集まった男連中の間で、腕相撲が始まった。
「発気は家が壊れるといかん。抑えて勝負せい!」
「勝ち残った者には金一封だ」
ひとり大柄な男がいる。どうやら大那の父親らしかった。
「おまえとは鍛え方が違うわ!」
大那は惜しいところで、父親に負けてしまう。そうこうするうちに、勝負は大那の父親と宇羅彦との勝負になった。
「いい体つきしとるなあ。豪鬼さんの息子か。これは手強いな」
発気なし、という縛りを設けることで、宇羅彦は今までどれほど気に頼っていたかを思い知らされた。
大那の父親は強かった。輪紋衆一の剛力と言われていた。
長い長い、こう着状態の末、とうとう勝負預かりとなった。これ以上やっては、どちらかが体を痛めてしまう。
「俺の負けです。俺は鬼なんで、大那の親父さんは人やから。どうやったら、そんな体が作れるんか驚きです」
「ワッハッハ!!輪紋衆の面目躍如だな」
本家の主人が言う。
「鍛錬の賜物だ。毎日欠かさず、体の鍛錬と気の修行だ」
「それは、女でも同じですか?」
由良姫は真剣だった。その厳しい表情に、主人は頷いた。
「由良姫さんは、依り代だと聞いております。十分よく鍛錬されていらっしゃる。整えるのもまた鍛錬です。体と気と両方、釣り合いが取れるよう鍛錬なさって下さい」
主人は大那や虎雅、若い二つ紋を見つめながら話した。
「気の修行をしっかりすれば、気の道へモドキやケガレが入り込む余地はなくなる。入り込んだところで、すぐに祓われる」
二つ紋が繰り出す祓いの術は、気の塊である。言っていることは間違ってはいない。ただし、鍛錬と修行を続けなければ、その力は備わっていかない。
生まれ持った力であっても、その後の日々の研鑽は欠かせない。
翌朝、夏だというのに朝霧で冷んやりとしていた。
「お寒うなかったですか?」
「気持ちがいいくらいです」
夏が終わる。これから数日かけて東北を回る。最後は夏の送り火、大花火大会が待っている。
中核都市で、大勢の人が集まる場所をわざわざ訪れる。 それで、できることなら宇宙依が目指しているセンサーの開発に役立つ、キッカケのようなものが見つかってほしい。
「なあ、宇宙にい、センサーをひとつにまとめようとするで、うまくいかんのんと違う?」
朝の体の鍛錬をしながら、気を整える。由良姫は気を整える修行へと方向転換させる。
「物理の法則の違いを、無理にくっつけんと、別々で強化して1個ずつ通過していけば、どこかで引っかかったらアウト的なノリでよくない?」
「んん……!?」
「体の鍛錬と気の修行はまったくの別もんやし、一緒にはできん」
「そうか、一元化せんといかんという思い込みに囚われすぎとった」
急いで家の中に戻ろうとする宇宙依を、由良姫は呼び止めた。
「一緒に気功法しよ。頭がスッキリするかもしれん」
早朝の清々しい空気が、脳に染み渡る気がする。
「リフレーッシュ!!」
宇宙依は笑いながら、由良姫に習って見よう見まねで呼吸を整えた。
「そんなん、ずっと引きこもっとるで、発想の転換ができひんのやわ。あんたも一緒に回るんやで」
宇宙依は万里依に引きずり出され、皆と一緒に車に乗せられた。万里依の運転で、由良姫と宇羅彦、そして大那と虎雅を乗せた車は本家を出発した。
まずは表側と、帰りに裏側を通って帰ってくるコースをとる。最後に花火の街で猪野神との同行は終わる。
夏の終わりが近づくと、由良姫は不思議とドキドキする。
何か大切なものが、すり抜け過ぎ去って行くような気がする。
言葉にならない、一瞬の、透明な季節が来る。
己が透けて、溶けていくような感覚。
その季節がすぐに巡ってくる。
子供の頃から、夏の終わりは怖い。




