東都の夏
御子姫は、ちょうど自分が由良姫と同じような歳の頃のことを語って聞かせた。
その婚姻は、生まれた時から一族存続のため決められたものだった。それでも、御子姫は相手を一度は愛し、忽然と姿を消した後に再会した時には、取りすがって一緒に戻ってくれるよう頼んだ。
忽然と姿を消される苦しさは、よく理解できた。
こんな話を娘とするようになるとは、思ってもみなかった。御子姫は浩徳と明かさぬ約束をしていたが、あまりに由良姫が不憫でつい話してしまった。
「実はのう、柏木の若者からは決して話さぬと約束だったのじゃが……」
それだけ言ったところで、由良姫は身を乗り出して何か知っているのかと、母である御子姫に詰め寄ってきた。
「待つと、約束できるな?」
由良姫は大きく頷いた。
「その者は、ここでしばらく長殿について、常世の穢と大海の穢について学んでいった。その頃はまだ山は雪深く修行ができんかったようじゃ」
「修行!?やっぱりヒロくんは山へ修行に行ったんやね」
「そうじゃ。雪解けを待って、山の最奥へ。守護者だけが修行ができる場所があると言っておった」
由良姫の表情は、それを聞いた途端、引き締まった。
「お母さん、うちも依り代として耐えられるよう鍛えんといかん」
御子姫は、ほほう……と笑みを浮かべた。
「でも、何をしたらええのか、さっぱりわからへん」
「神さんのことは神さんに聞くのが一番じゃ。由良姫の内にはもう神さんがおいでになる。聞いてみればよい」
それはもう常日頃から由良姫が無意識のうちにしていることだった。
精進潔斎しつつ、気を鍛え、体を整えていく。
「けど、うちはヒロくんのことが好きや。この気持ちだけはどうすることもできんし、無しにすることはできん。たとえ神様にでも、ここは譲れやん」
御子姫は珍しく高笑いして、由良姫の頭を撫でた。
「それで良い」
犠牲の上に成り立つものほど脆いものはない。
御子姫は、由良姫を愛情深く育ててくれた奏司と眴に感謝した。
「由良姫、己の気持ちに真っ直ぐに生きなさい。迷った時は己に正直になることじゃ」
「でも、神様は?」
「気持ちの確かさを見届けてくれるはずじゃ。母はそなたに何もしてやれぬ。許しておくれ」
「お母さん、そんなことないよ。これだけの結界を張るのはお母さんしかできんもん。うちらを守っとってくれるのは、お母さんや」
その頃、浩徳は息吹の山の最奥で、守護者となるべく修行を続けていた。
その修行は過酷さを極めた。人であることさえ忘れさせるような研鑽の日々。浩徳は自ら進んで身を投じていた。
あの時、たとえ唯一の友とはいえ、あってはならぬことをした。翔也が巻き込まれたケガレを祓うのをやめさせようとするなど、以ての外だった。
たとえ自らが犠牲となりケガレに呑まれたとして、それでも由良姫には自分を祓わせなければならない。
守護者としての軸を、揺らがぬ柱を構えなければならなかった。大切に想うなら、それこそ愛すればこそ、我が身を捨てる覚悟が必要だった。
そんな覚悟はとうにできている。
ただし、それで由良姫を傷つける、取り返しのつかない覚悟はまだだった。純粋であるがゆえの、切羽詰まった想いは諸刃の剣だ。
そんな時に、浩徳は御子姫の言葉を思い出す。
「神は最後は己を助けてなどくれぬぞ。最後は己自身じゃ」
その頃、東都でも夏の祭りが都内至る所で行われていた。そんな中とうとう、祭りの最中に群衆の中、屋外でケガレが発生してしまった。
なぜ神様に奉納するはずの神輿で、その祭りでケガレが発生などしてしまうのか。
祭り自体が悪いわけではなく、それを取り巻く環境はどうすることもできなかった。
側から見れば、ただの小競り合いにしか見えなかった。
ところがその中心で、男が奇声を発し始めた。一気に周りからは、その辺りにめがけてモドキが降り注ぐ、そうして中心からじわりじわりとケガレが伝染していく。
ひとり、またひとりと、人がケガレの塊へと呑まれていく。
警察に誘導され、我央と複数名の神守がケガレを祓いにきた。
ケガレは祭りのかけ声を発し続ける。辺り中にケガレを撒き散らし、見物客はケガレをもらっていく。
神輿と担ぎ手たちは、反射するようにケガレから跳ね返される。そのあいた空間にまた人がなだれ込む。
ケガレに呑まれれば即ケガレへと変わる。順繰りに人の波がケガレになり祓っても祓っても、十数人規模の塊と化したケガレはなくならない。
やっと人の波の終着地点まで来て、ケガレは収束した。
ここに至るまでは、終わりのないケガレとのどちらかが尽きるまでの祓い合戦だった。
そしてまた、時を同じくし、夜の屋形船でケガレが発生する。
それは、大変な事態へと発展していく。
東都の夏は最早、悪循環の伝染を断ち切ろうにもできなくなっていた。
花火大会の、花火が打ち上がる鮮やかさと、独特の心躍る音と、それらはケガレ発生の喧騒をのみこんだ。
悲鳴は歓声と重なる。船に火災が起こり、人が川へと飛びこみ始めるまで、事態は把握できなかった。
半ばケガレと化した人が、船から川へと落ちる。その人は、集まった屋形船へと乗り移っていく。
別の屋形船にケガレ化一歩手前の人が乗り込み、そこでまたケガレが発生する。
宴会が催されている船では叫声が上がる。逃げ惑う人の動きで船が揺れ、天ぷら油へ火が回る。一気に炎が上がる船から、また人が川へと飛び込む。
油は水に浮き火を流してくる。そうしてまた、近くの船へと火が移る。
火とともにモドキも降り注ぎ、一気に気を枯らす。
数隻集まっていた屋形船は瞬く間に、ケガレと炎とにまみれ川へと沈んでいく。沈みながらケガレが川の中へと散っていく。
ひとり、またひとりと、まるで常世の穢のように変容し、大きな塊へと姿を変える。
それを容赦なく、巡視船でやってきた神守が祓っていく。
もうこうなっては確認などしていられない。水面へと続けて祓いの術が放たれていく。
ケガレのものか人のものか、わからぬ叫び声は花火の音に混じってかき消えていく。
屋形船の火は消え残骸が浮き、人の形は祓いの術をかけられた後の、残った人のみ引き上げられる。
こちらもまた、地獄絵図であった。
東都ではちょうど、盆供養の祭りがあちらこちらで開催され、観光客で溢れかえっていた。西都と同じように、多国籍の人々がケガレをもらい自国へと帰っていく。
宇宙依の提案したセンサーはまだ完成しておらず、空の玄関口は絶えず人で溢れていた。
モドキは気の多く集まるところで、さらに好都合な気の満ちた体へと移っていく。
人の目には見えない、黒々とした波のようなうねりが、東都の中を人を気を求めて、形のない津波のように押し寄せたていた。
東都は一気にケガレ化を起こしてもいいように、モドキが充満していた。人の体から体へと、気の道の深部へと潜り潜み、その時を待っていた。
そしてとうとう、東都圏内で開催される大規模なライブフェスでケガレが牙を剥く。
ライブの熱気とともに、次から次へ今か今かと。
まるで常世の大河が地上に現れたように、モドキが会場中を飲み込み始めた。
モドキが、大河のうねりとなり埋め尽くす。
気がどんどん奪われる。気が奪われることで正常な精神状態は薄れていく。ただひとつの方向へ波は走り出す。あちらこちらで気枯れが始まっていく。
会場にいた我央は、我が目を疑った。
「なぜだ。常世の大河はあの方が結界で封じているはずではないか……」
その日、最も人気のある、フェスの目玉バンドが登場すする。マイクを通して大音量で、声が届く。まるでそれが合図でもあるかのように、会場はケガレに呑まれた。
グレードS。それもSSS級だった。
最早、対処などできようがなかった。
我央は、助けを求めるしかなかった。




