北の大地④
由良姫は、生理が止まってしまったことをなかなか言い出せなかった。事はしていないので、妊娠は絶対にない。
ただ、考えてみれば、この情緒不安定、すぐにめまいを起こし倒れるのも、生理が止まってしまったことと関係あるかもしれない。
それに何より、きっかけは依り代になった時期と重なる。由良姫は、依り代になることを安直に考えすぎていたと、気がついた。
とにかく、今日はもう動きたいとも思わない。
宇羅彦が話しかけてこないなら、もうそれで構わない。
どうしても訪れないといけない場所があった。神居が大切にしている場所だ。
北の大地の神々が集う場所がある。そこへの訪問だけは失礼があってはならない。
由良姫は独りで意識を集中して、体調を整えたいからとツインからシングルに部屋を変えた。必要最低限の会話しかしない。
それを、宇羅彦も万里依たちも、容認せざるを得なかった。由良姫は閉ざしてしまったのだ。
「由良姫が、ここでシャットアウトしてまった。ほとんど食事もせん。まるで精進潔斎しとるようや」
「大丈夫かなあ。あんなに楽しみにしてた動物園も行かないなんて……」
万里依と宇宙依は成す術がなかった。由良姫はどんどんやつれて、痩せていく。
ただひとつ、由良姫は新しくやり始めたヨガだけは、いくつかのポーズを毎日ルーティンさせていた。
由良姫の体はまったくのガリガリではなく、依り代として仕上がってきていた。由良姫は知らないうちに、というよりも無意識でそうしていた。
まるで、西方の大社へ参拝した時と同じように、受け付けなくなってしまっていたのだ。
そして、北の大地の神々が集う場所への来訪となった。
その日の由良姫は、近寄りがたい気を発していた。この日のために、わざわざ再度大都市から、開と千生がやってきていた。
「おはようございます。本日もよろしく……」
挨拶をする2人の前を、由良姫は一切、我関せずで通り過ぎた。
その変わりように、2人は驚きが隠せなかった。自治会の大勢の人がバスをチャーターして集まって来ていた。由良姫は独りがいいと、誰も寄せ付けず、タクシーで同行することとなった。
神々が集いし場所へと案内される途中、由良姫は一切口をきかなかった。
とある場所まで来ると、由良姫は吊り橋から飛び降り、周囲を慌てさせた。
急流続きの川の大きな石の上に立つと、両腕を天へと伸ばす仕草をした。
それはまるで、ここへ来たぞと言わんばかりの仕草だった。
その辺り一帯は人が勝手に入ることを禁じられていた。
その時、山から大きなヒグマが赤茶けた毛を逆立てながら降りてきた。すると川には鮭が集まってくる、川を上がっていく鮭をクマが一撃で捉えて食べている。
本来なら夜行性であるフクロウの鳴き声が山から響いてきた。
そして、岩に雄々しく立つ由良姫を見て、北の民の末裔が一言こぼれるように落とした。
「モシリ……ホロケウ……カムイ……」
由良姫には記憶がない。依り代として動いているに過ぎなかった。
「キムンカムイが、わざわお出でなさった。この時期には珍しい」
そう言い終える頃に、由良姫は橋の上に戻っていた。
「挨拶は済んだ」
そう言ったかと思うと、独り勝手に待たせていたタクシーに乗りホテルへと帰ってしまっていた。
この出来事は、当の本人の由良姫がサッと姿を消し帰ってしまったので、余計に尾ひれがついて拡散された。
その夜、由良姫は夢を見る。悪夢だった。
ただ、唯一の救いが北の大地だった。
翌朝、憑き物でも落ちたかのように、由良姫は部屋から出てきた。朝食ブッフェへやってきた由良姫を見て、万里依が駆け寄ってきた。
「由良姫、大丈夫なん?」
「うん、それよかさ、今日まだ動物園行ける?」
万里依は喜んで頷いた。目には少し涙が滲んでいた。
由良姫が回復してきたので、全員で行こうというのを万里依が断った。
「たまには女子同士で行動させて」
プールへダイビングジャンプする白熊、気持ちよさそうに泳ぐアザラシ。動物の種類は、由良姫の地元大都市にある動物園とかぶっているものも多い。
ただ、タヌキやキツネは北の大地の固有種のようだ。猛禽類も見事だった。
シンリンオオカミのところへ行く。昨日のとは違う。だが彼らはよく由良姫の方へ寄ってきていた。
動物園の中で食事をすることにした。
由良姫はその時に、やっと生理が止まってしまったことを万里依に相談できた。
「そうか……それだけ身も心も負荷がかかっとる証拠や。帰ったら今度は西の首都やさかい、そこの神守の病院へ行こか」
動物園から戻ると、由良姫の顔色は随分と良くなり、表情にもゆとりが感じられた。
「居酒屋でも行こか!」
「大丈夫なんか?」
やっと宇羅彦から由良姫に声をかけてきた。由良姫は嬉しそうにハグすると頷いた。
「ごめんな、ウーちゃん」
翌日、大都市へと戻り一泊後午前の便で帰ることになった。
最後にもう一度、自治会の人たちと会うことになった。店の一室を貸切にしてゆっくりと食事をした。
すでに神々の集う場所での出来事は伝わっていた。
「見たことのないほどデカいクマが、昼間にわざわざ山から降りてきたんですよ!」
開は少々興奮気味に話をした。
そんな中、若手の代表が娘を連れてやってきていた。
「あれ?お母さんは?」
「もうすぐ来ますよ。ちょっと仕事が長引いてしまったようで」
娘の美苗は、由良姫に会うと吸い寄せられるように抱きついてきた。
「お姉ちゃん、ありがとう。神様みたい……」
その場に居合わせた、万里依も宇宙依も、まして宇羅彦はギョッとした。
──先見で視とる。
「美苗ちゃん、だっけ。そろそろ、視える方の目に眼帯させた方がええかも」
父親は慌てた。
「どうかしましたか?」
「先見の眼になっとるんです。片方だけ眼の焦点が合わなくなって、瞳孔が開いてきてしまうんです。小学校ですよね、そろそろ隠した方が」
「そうですか!? 妻の方が詳しいので相談してすぐに対応します」
美苗の言った「ありがとう」の意味するところはわからない。しかし、この子には、由良姫が鬼神化する姿が視えているようだった。
翌日、数名の神居に見送られ、由良姫たちは北の大地を後にした。
家に戻ると、垰が庭に大きな穴を掘り出していた。水琴窟を埋めるためだった。
「おかえりなさい。どうでした?痩せましたね」
由良姫を見て、眴は心配そうに声をかけた。
「疲れたでしょう、まずはちょっと横になって。荷物は後で片付ければいいですから」
由良姫はソファに寝転ぶと、久しぶりに眴のミントティーを飲んだ。
「眴ちゃんのハーブティーは絶品やねえ。香りだけやないし」
寝転ぶ由良姫のすぐ側に、狐のケンが寄ってきた。心配そうに傍で寝そべるケンに、由良姫は頭を撫でていた。
「キタキツネ、可愛かったなあ……」
ケンの顔が、由良姫に対して少し呆れたように見えた。
その夜、由良姫は体のことについて、眴に相談した。
「万里ねえが、一緒にお医者さんへ行こうって」
「そうですね。私の方から病院へはアポ取っておきますので、私とより万里依さんに付き添ってもらった方がいいでしょう」
由良姫と万里依は1日前倒しで、西の首都へと向かうことになった。
首都は夏の風物詩、有名な祭で市内は人でごった返していた。
由良姫の無月経は、何か身体的な異常ではなかった。ただし、同年代と比べると子宮が未発達であると診断された。
「大丈夫ですよ。それくらいの月経不順は普通です。それに少し痩せすぎね」
痩せすぎは、女性特有のホルモンバランスを狂わせるのだそうだ。投薬治療もあるとのことだったが、特に異常がなければこのまま様子をみることにした。
由良姫は少しホッとした。
実は、嫌な想像をしていた。
生理が止まってしまったのは、真白神の依り代になった頃だった。
それが原因ではないとわかって、由良姫の気持ちは軽くなった。




