北の大地③
「それはな、由良姫が特別だからや。由良姫にしかできんことがあるんよ。そのために宇羅彦はわかって体張っとる。あの、男の子おったやんか。あの子かて、そうやないの?」
「ヒロくんのこと?」
「そうや」
そう言って、万里依は押し黙った。
「万里ねえは、ヒロくんが今、どこにいてるんか知ってるんと違う?」
「残念やけど、前にも言ったけど、うちにはあの子を視ることできん。白い靄の中なんよ、いつも」
「そっか、そう言ってたね……」
「とにかく、みんな由良姫のことを守っとるんよ。それが重荷やって言うんなら……」
「ううん、大丈夫。そういうんじゃないんよ。ただね、なんやわからんけど不安なんよ」
その不安は、自分が真白神と呼ばれるものの依り代であると聞かされてから、ずっと続いていた。
由良姫は隠していた。この揺れは、ない方がいいのだろう。
自分はもっと強くならなければならない。ただ、それは段々と、人らしさを失っていくことに近しかった。
浩徳を心配すると同時に恋しいと思う。
その気持ちが削がれていくようで、心の奥底へ大切にしまい込む。
そうして守っているものを奪われないようにすると、傷つくのだ。
表面がまるでささくれを作っているようだった。
──辛い。辛いけど、これは本当の辛さなのか?
自分の周りがどんどん削がれていくように、失われていく。そう感じる。これは当たり前なんだろうか。
──お母さん。話したいことがいっぱいある。
お母さんはどうだったかわからないけど。私は、弱いんだろうか。辛くて、情けなくて、仕方がない。
翌日の夜の祓いには、由良姫も同行した。
昨夜、ケガレに呑まれて被害にあった、というより本人がなぜかケガレの触媒だった外国人。彼はロックフェスに出場する、目玉のバンドのメンバーだった。
海外のアーティストは、バブル期の日本めがけて山のようにやってきた。とにかく、稼げたのだ。そうして、宿泊は決まってホテルのビップルームだった。そこで何人も客を呼んで大騒ぎをする。
翌日の祓いも旅行客だった。旅の恥はかき捨て。
「ホテルに呼ばずに、外で済ませてきてくれよ」
神居開はボソッと嫌悪感を露わにした。
この日も、由良姫はケガレの祓いに参加はしたものの、万里依と眼を持つ女性と、後方待機となった。
二つ紋の神居の中には、由良姫の力が見てみたいという声が聞こえてきていた。それを宇羅彦はこう制した。
「 毎回、皆さんが受けたモドキやケガレからのダメージ。全部きれいさっぱり祓い切っとるのは誰? 何も現場で祓いをするだけが、祓いの仕事全部とは違う」
そうして、この日、宇羅彦はケガレ対策本部から、外国人に対するケガレ化した場合の対処法を入手した。
『祓いを許可する。外国人がいた場合は対策室祓い状況管理課へ、即報告』
もしくは、ホテル等で確認取れ次第報告。対処はケガレと化した者は全部祓うこと。事後処理には対策室が当たる。責任は対策室が負う、というものだった。
「明文化されとるんやったら、とりま問題はないんちゃう?」
「それでも、北の大地では、外国人は神居に祓ってもらう。由良姫は出すな」
「何のために、由良姫を隠し守っているのかを考えろ」
「ああ、由良姫は唯一の希望だからな」
「それを悟られて、国に持っていかれることだけは避けんといかん」
由良姫が祓いの現場に出てこないことは、あっという間に神居の間に広まった。それは助かったことに、良い噂として広がっていた。
というのも、北の大地に古くから住む者たちの間で、由良姫は神が宿る者として神居があずかり知らぬところで完結していた。北の大地には、神の足跡が数多く残されている。
そして似ているのは、文字を持たないというところ。すべてが代々引き継がれる口伝によるものだった。それを由良姫は語られる前に知っていた。
それらは皆、由良姫自身の記憶ではない。
不思議なのだが、まるで自分の記憶のように脳裏に広がる。
その日は珍しく、由良姫も現場へついていった。
由良姫がついてくると、どうしても神居たちの態度が浮ついてくる。それは危険な傾向だ。宇羅彦の注意事項も聴き漏らされている。
宇羅彦が言うより早く、開が厳しくたしなめた。
「おまえら、浮かれてんじゃねえよ。祓いは遊びじゃねえんだ!」
開は何名かの名前を呼ぶと、今日は帰るよう厳しく言い渡した。
そして一瞬由良姫と目が合うと、睨みつけてきた。その些細な出来事はまるで、由良姫の存在が問題を引き起こしてでもいると言わんばかりだった。
祓いについても影響が出てきた。由良姫にいいところを見せようとするためか、緊張して初動が遅れる、連携が乱れる。結局、失敗しかけて開と千生が後始末をする。
とうとう、途中から堪り兼ねて開が宇羅彦へ相談しにきた。
「悪いけど、由良姫さんいると訓練にならん。みんなアイドルか何かと一緒に祓いを行なっとる気になっとる」
それは的を射ていた。宇羅彦が万里依と顔を見合わせる。2人ともため息が漏れる。
由良姫だけが、何が起きているかを察することができないでいる。その鈍さが由良姫らしい。
「悪いけど、由良はホテルに戻っとってくれんかな」
「なんで? せっかくみんなと……」
「由良がおるとみんな浮ついて訓練にならん」
「え……っ!」
「祓いはごっこ遊びやない。万里ねえは引き続き眼の人との訓練がある。おまえひとりで帰れるやろ」
由良姫は頷くしかなかった。
ホテルの部屋へ帰ると、由良姫は今まで以上に不安定になった。自分の存在自体が神居に与える影響の大きさが、恐ろしくなってきた。
禊をして、冷たい水を浴びたまま、由良姫はベッドに寝転んでいた。結局それが元で風邪気味になり、大都市での残り日程はすべて寝て過ごすことになってしまった。
宇羅彦は呆れ果てたのか、それから一言も話しかけてこなくなった。
第二の中核都市へは大都市から特急列車で2時間もかからず到着する。
ホテルは駅前では大きなところへ泊まり、懇親会もここのレセプションホールを貸切で行われた。
相変わらず由良姫は大人気で、引きを切らずに人が寄ってくる。とうとう、途中で気分が悪くなり大勢の中でしゃがみこんでしまった。
それを無言で抱きかかえると、宇羅彦は部屋まで連れ帰ってきた。
「ごめん。ウーちゃん、もう大丈夫やから。うち、少し休んだら戻るわ」
「ええ加減にしてくれんか。迷惑なんや、このままおとなしく寝とって。俺が行ってくるで」
宇羅彦が出て行ってひとりきりになると、由良姫は急に泣くのが止められなくなった。
そのまま寝ていると、部屋の電話が鳴った。
「お客様はお出になられません。お部屋にいらっしゃらないようです」
ホテルのフロントが告げる。男は携帯から由良姫へ電話をかけた。携帯はマナーモードにしてリュックに入れっ放しになっていた。
「はい……」
「我央です。倒れられたとか、大丈夫ですか?」
「どうしてそれを……」
「いえね、自治会長と夏フェスの件で話をしていたんです。そしたら、倒れられたと聞いてお電話した次第です」
「ありがとうございます。ちょっと疲れがたまっているのかなと」
「それならいいですが……健康診断は受けていますか?」
「いえ、特には……」
「体は普通の人と変わりませんから。生理不順とかはありませんか? こちらでは結構あるので、気をつけられて下さい。どうぞお大事に」
なんのことのない会話だった。しかし、由良姫はハッと気がついた。
──ない。いつからだろう。
次から次へといろいろあって、徐々に生理が止まっていった。元々不順な方だったから気にもとめていなかったが。間もなく半年になる。




