最初のグレードA
鈴木恵麻の唯一の楽しみは、自分が推しているバンドのライブへ行くことだった。
恵麻が県高に入ったのも、大好きなバンドが県高にあったからだ。昨年の文化祭にも来てくれたアンダーテイカー。
大都市の小さな箱でライブをやっていた時から、恵麻は行ける時は塾と組み合わせて、上手に母親にバレないよう行っていた。
恵麻の母親は、勉強に関しては厳しいというより、毒親だった。どんなに頑張っても必ず自分と比べて、二言目にはこう言った。
「お母さんに比べたら、あなたはここが劣っているわ」
母親は若い頃、大都市の病院で働いていた。しかし、思うように大成することはなかった。そこで父と知り合い結婚したのだ。
母親は自分の最終学歴を自慢したことはない。ただいつも、自分と比べて、恵麻より優位に自分を置いていた。
恵麻が頑張って良い点を取り偏差値が上がるにつれ、母親はコンプレックスを刺激されるようだった。だからだろう、恵麻を突き落とすことでアイデンティティを保っているような一面があった。
恵麻は決して自分を褒めることのない、母親の本性を理解していた。この人は自分に対してコンプレックスを持っている。理由はどうあれ、何らかの形で母親より劣っている点を見せれば気が済むのだ。
なぜなら、一度インフルエンザで登校できず定期テストが受けられなかった時、母親はとても嬉しそうだった。
恵麻の中の勉強ができることと、受験に対する頑なな価値観はこうして出来上がった。
恵麻の中の承認欲求。
絶えず比較され育ってきた恵麻には、本当に自分が優れているのかという実感が、他者と比較することでしかできなかった。
そういう一切合切を吹き飛ばしてくれるのが、アンダーテイカーのライブだった。
唯一の楽しみ。というよりは、これがあったから乗り越えてこられたことがたくさんあった。
恵麻は警察車両の近くで、明らかに警察官とその内側の人間らしく振る舞う由良姫の姿に驚きを感じた。なぜ、取り締まる側に由良姫がいるのか。
同じように、由良姫と宇羅彦が、警察と一緒にいるところを見た人物がいた。放送委の先輩、小林美野里だった。
美野里は、アンダーテイカーのメンバーと付き合っていた。今日はライブ会場ではなく、裏方として手伝いに来ていた。
「ウーちゃん、放送の……」
「ああ、知っとる。関係者みたいやな」
「話しといた方が良くない?」
宇羅彦が警察のケガレ特捜と話し合う。万里依と宇宙依も入念に打ち合わせを続けている。ライブ会場の図面を見ながら、どこで何時頃にどの規模のケガレが発生するか。その際、会場の観客をどう逃すか。
バンドのメンバーは、ステージから裏へ逃げて裏口から外へ出る。
美野里の方から、由良姫に近づいてきた。
「ねえ、聞いてもいい?」
由良姫は、美野里の心配そうな顔を見つめながら返事をした。
「さっき、警察から今夜のライブで観客に問題があるかもって聞いたんやけど」
「で、なんでうちらがいてるんか? ってことですよね」
「うん、警察と関係あるん?」
「はい、協力してます」
「そっか……それってケガレとかいうのんと関係あったりする?」
「どこでそれを?」
美野里は内緒だと言って答えた。
「首都のライブハウスで、ケガレっていうのんが客席で発生して、パニックなって。ライブの順番待ち中に事件が起きてな。巻き込まれずに済んだんやって」
「アンダーテイカーが、ですか?」
美野里は大きく頷いた。
「せやから、メンバーがもうライブ中止にしたいって言い始めてて」
由良姫は警察の責任者へ話を持っていった。
「ライブを中止する? どうして突然に?」
「東の首都で、実際ライブハウスでケガレが発生した事件を見たそうです」
宇宙依が首を振った。それはケガレは発生するということだ。
「バンドのメンバーや関係者は、黙って避難してもらっていいです。裏口でいつでも外に出られるよう準備しとって下さい」
宇宙依は、警察にメンバーを誘導するよう伝えた。
「開演間近やで、結構パンパンに入っとる。あとはうちが視とるで、無線ONにして持ち場行こか」
万里依が由良姫と宇羅彦に指示を出した。
「ここでライブ中止の説明しとる間に発生します。もう無理です、間に合わない」
宇宙依は淡々と自分が視た結果だけを話した。
ライブ会場のステージ脇に、由良姫と宇羅彦は立っていた。そこから客席を見る。スタンディングフロアの前方中央で、熱狂的な集団がステージを叩いている。
「ウーちゃん、アレ……」
「由良姫、音鳴らせ、来るぞ」
ヘッドフォンの緩衝材用の音を鳴らす。中央にいた数名から大量のモドキがフロア中に降り注ぐ。彼らは何かを騒いでいた。声と言葉が響く。
由良姫と宇羅彦が目と目で合図する。ミイラ化が速い、ケガレになる前に叩かないと全員がケガレをもらう。
由良姫と宇羅彦はステージに出てくると中央へ祓いの術をかけた。すでに中央では何十人という観客がミイラ化していた。もうすぐグレードAが発生する。
由良姫たちが術をかけたのを合図に、非常口から観客の誘導が始まる。一旦全員を箱から出し、外へ待機させる。しかし思うように避難が進まない。
そうこうするうちに、前方中央で奇声が発せられた。それはまるでアンダーテイカーのボーカルのようだった。
祓っても祓っても、ステージへと人の波が押し寄せる。ケガレとなった塊はモドキを集らせた人を呑み込んでいく。
異様な光景だった。まるで誘蛾灯にダメだとわかっていても引き寄せられる虫のように、モドキに集られた人がケガレに寄っていく。
由良姫はこれ以上人が呑まれないよう結界を張った。その中で宇羅彦と二人で術を放ち続けた。
グレードAは最終的に100名近い塊となり、結界に閉じ込められた。
結界の中で蜷局を巻きながら共喰いをする様相は、まるで常世のケガレと大差がなく見えた。
「このまま封じて術で祓う」
頷く宇羅彦とタイミングを合わせると、由良姫は結界にわずかな亀裂を入れた。
同時に結界を祓いの術が包み込む。結界が弾け飛ぶのと同時に、術がすべてをのみ込んだ。
グレードAはこうして、由良姫と宇羅彦によって祓い切られた。
外へ避難した残りの観客は、しばらく待機させられていた。
そこへ神守我央が数名の部下を連れて到着した。
ライブハウスから由良姫と宇羅彦は出てくると、真っ先に1箇所へ集められた観客たちへ広域の祓いを行った。
特に由良姫の広域の祓いを初めて見た神守たちは、何が行われているのかすぐには理解ができないでいた。
それもそのはず、すでに術の規模が大きく違う上、本質的なところが他の二つ紋とは変わっていたのだ。
「グレードAだと聞きましたが。お二人で?」
我央は由良姫と宇羅彦に近づき挨拶をした。
「はい、計画通りです。ケガレになる人数は把握していたので、その境界を見極め結界で封じました。あとは避難してもらって、待機させ術を広域でかけ祓いは完了です」
「一部始終はしっかり観察していたので、あとで報告できます。グレードAでも、その場全員をケガレ化させなくても祓えます。むしろうまく分断した方が犠牲は少なく済む上、労力も半減できます」
由良姫も宇羅彦も普段通り、グレードAだからといってなんら変わることはない。淡々とそう言ってのけている。
この2人の姉弟は、やはり特別なのだとしか言いようがなかった。
我央とのやりとりを、驚愕の面持ちで黙って見つめていたのは、神守玲だった。グレードAをたった2人で卒なく片付ける力は、神守の二つ紋には真似できない。
「化け物か……」
小さく口の中で呟かれた一言を、宇羅彦は聞き漏らさなかった。




