二年二組鈴木恵麻
修学旅行から戻って後、由良姫の体調が安定するまで数日かかった。
その間も、ケガレは待ってなどくれない。
それでも、浩徳が戻ってくるかもしれないという希望は、それだけで十分すぎるほど由良姫を元気付けた。かろうじて祓いに行けるくらい。
しかし、祓いの方を優先させると、どうしても学校へ行く体力が奪われる。
修学旅行以降、由良姫はなかなか登校できていなかった。
久しぶりに学校へ行くと、まずは物理準部室に寄った。ツヤさんはコーヒーを淹れていた。
「おはよう、もう大丈夫なの?」
「先生も知ってるんや」
「うん、藤吉さん来れないからって、弟くん、お土産持ってきてくれたから」
ツヤさんはお土産のお礼を言いつつ、コーヒーを出してくれた。少し遅れて宇羅彦もやってきた。最近、宇羅彦とツヤさんは量子力学の話をしているようだった。
由良姫はツヤさんからオススメのバロック音楽のCDを借りた。これがケガレの声を聞いた後に、意外と癒すのに役立っていた。
「ケンがね、狐なのにバロックが好きみたいなん、おもしろいでしょ、センセ」
「ケンは藤吉さんと一緒にしか来ないから、しばらくいなくて寂しかったよ」
ツヤさんがそう言うと、ケンは尻尾を揺らしていた。
朝のホームルーム直前に、由良姫は教室へ入っていった。すると、クラスの女子二人が寄ってきた。
「もう大丈夫なん? ずっと休んでるから、心配してたんよ」
「そうなん? ありがとう。もう大丈夫」
「ノート取ってるの、コピーする? 机の中にファイルにプリント全部入れて置いといたよ」
二人と対照的に、恵麻は知らん顔で何かを暗記していた。
放課になると、宇羅彦が様子を見にきた。
隣の席で、鬱陶しそうに恵麻が呟いた。
「気が散るんよね。せっかく暗記しとるのに」
「そんなんやったら、席変わってもらえばええんちゃう? 一番前と」
由良姫の前の席の女子が恵麻に向かって言った。恵麻はムッとして黙った。
「一番前やと、授業中に他の勉強できへんもんなあ」
彼女はワザと言ったようで、笑いながら隣の男子と喋っていた。
お昼休みになり、由良姫はお弁当を持って教室を出た。放送室のボックスへ行くと、思わずホッとして息が漏れた。
「どうしたん? 久しぶりで疲れたんと違う?」
光代が心配そうに由良姫を覗き込む。
「ううん。なんや、うちの教室、居心地悪くて」
「ああ、そういやあ、うるさいのがおったな。また文句でも言われたんか?」
「ううん。なんやろ、空気が殺伐としとるんよ。めっちゃ疲れる」
「ふうん。やっぱ理系クラスは、ほら。頭いい人揃っとるで、競争も激しいんちゃうん?」
「まあ、そうやけど。何も人に突っかかってこんでもええんやない?」
「ふうん。なんや由良りん、大変やねえ。卵焼き1個あげる」
「わあい、きゃやんの卵焼き、甘くて美味しいから好き!」
光代と今日子が連れ去られる一件があったが、それ以来光代は少し変わった。けれど、変わらず宇羅彦の近くにはいた。
宇羅彦もそれを許していた。近くにいても遠くにいるような。けれど必ずそこにいる、というところにいる感覚。
宇羅彦は友達だと言った。そう言いつつ、友達よりももっと大切な存在だろうと、由良姫には伝わってきた。だからこそ、由良姫が学校を休んでも宇羅彦は休まない。
それにしても、鈴木恵麻の勉強に対する姿勢は、どこか歪だった。そういうところに、モドキは憑きやすい。どこか澱んだ空気が恵麻の周りを取り巻いていた。
いつもなら臭いでわかる。けれど恵麻のは違っていた。
教室に戻ると、また恵麻の周りで一悶着起きていた。今度は男子とだ。加藤晴登は同じクラスになった時から、恵麻の協調性のなさが気に入らなかった。
「ちょっともう高校生なんやから、なんでいつまでも仲良しごっこせなならんの」
「だからって、これとそれとは話は別やんか。鈴木さんだけ希望出してないんやで」
「適当に割り振っておいてよ。どうせ学祭なんかうちはスルーやし」
「へえ、そういうんだ。じゃあそうやって書いとくわ。内申に響いたって知らんから」
「なんでそうなるんよ! みんなやらへんやん。うちはそのこと言ってるんよ」
「二年は中心になって動かないかんやろ。男子はだいたい決まったで。あとは女子で話し合って」
ザワザワと雰囲気が最悪になっていく。
そんな中、由良姫が放送委員の仕事で、学祭当日は関われないことを話す。同じように、学祭委員も文化祭ではほとんど時間が取れない。お鉢は図書委員の恵麻へと回ってきた。
「図書室って学祭の間、閉館やったよね。鈴木さんにブロック展示の責任者なってもらおうよ」
多数決の暴力。そこはもう有無も言わさず、最終的に同意せざるを得なくなっていた。
期末テストまで間がないある日、由良姫と宇羅彦の元に、宇宙依からとうとうグレードA相当の発生予測が届いた。
「宇宙にい、グレードAやて、ほんまか? これって全国初なんじゃ……」
「ああ、それも困ったことにその場所にいる全員がケガレになるわけやないんや」
「てことは、まず逃さなあかんってことか?」
「そうなんや、せやから県警と合同で当たってほしいんや」
全国初のグレードAは隣県の大都市の元倉庫街にできた、新しいライブハウスだった。
収容人数は約二千人、そのうちのステージに近い方から百人程度が巻き込まれる。あとは逃げられるが、多分うまくやらないとケガレをもらって市中にばら撒かれる。
中止にはできなかった。すでにチケットは完売で、元は地元で大人気のインディーズだった。それが東の首都で大ブレイクしての凱旋ライブだった。
この頃になると、県警のケガレ対策室では、ヘッドフォンタイプの対ケガレ用のセットマイクを使用していた。今回はそれを貸してもらって、コンビネーションをとることとなった。
「出入口は箱の両サイドに数カ所あるがどのみち通路が狭いからパニックは必須だ」
「所詮、俺たちにはケガレの全貌を見ることはできない。外の対策本部に中の様子が視える人に協力を仰いだ。その指示に従う」
由良姫と宇羅彦はバックヤードからステージを見守ることとなった。
「あー、この人ら知っとるわ。うちの高校でも結構人気やったやんか。万里ねえと同じ年くらいの」
「うん、よう覚えとる。同じクラスやったことあるし。なんでケガレなんか拾ってまったんかなあ」
「多分、そのライブに県高の人OB含めて結構行くと思うんや。しばらく忙しくなるかもしれん」
「先に外から箱ごと祓っておいたらどうなんや」
「ケガレは進化してきている。そんな甘くはない」
「だいたい、ボーカルがグレードAの触媒やったら、ライブ始まって歌い出したら終わりや。全員ケガレもらうやろ」
その話があった翌日、いつも静かな恵麻が珍しく機嫌が良かった。知らないうちに漏れてくるメロディに、女子が反応する。
「あ、その曲って、元県高のバンドの先輩たちのでしょ」
「そうよ、今度凱旋ライブよ。インディーズからメジャーデビューするからって、メジャーになる前に来てくれるの」
「へえ、そうなんや。鈴木さんもライブ行くの?」
由良姫は何気なく聞いてみた。
恵麻は見せたことがないほどの満面の笑みで応えた。
「このバンドがあったから、毎日ノルマのような勉強頑張ってこれたんよ」
以前少しだけチラリと聞いたことがある。
恵麻が使うだろうかというレベルの罵詈雑言で、母親を罵り倒していたのだ。
恵麻の時折見せる、行き過ぎた自己中ぶりも、裏を返せば母親からの感化なのだろう。
恵麻と図らずも顔を合わせてしまったのは、ライブ会場前の警察車両の近くでだった。




