守護者の任
修学旅行から帰ってきた由良姫と宇羅彦は、飛行場で迎えのバスには乗らず、直接保護者である眴に引き渡された。
由良姫は見るからに疲れてやつれて見えた。
帰宅後、風呂に入った後に眴から体重を計るよう言われ、体重計に乗った由良姫から「ウソ……」という声が聞こえてきた。
「ウソじゃありませんよ。何があったんですか?」
「眴ちゃんには敵わんね。なんや万里ねえの千里眼でもついとるんかな」
由良姫は困った顔で笑った。体重は5キロも落ちていた。
「宇羅彦も、ついてたんでしょう、ここへ来て話して下さい」
飛行機が空港に着いたのは夕方6時頃だった。
「ご飯は食べれますか? 疲れて食欲はないとは思いますが」
眴の声は厳しいというよりも、不安を示していた。
「養護教諭からは、大社で倒れたとは聞きましたが。参拝の前には決済しましたか」
「うん、養護の先生に話して、部屋のお風呂場借りてやった」
「失礼はなかったんですね」
「うん、失礼というより、もうずっと見られとるようやった。大社のある街には前日の夕方に着いたんやけど、もうこの時点であかんかった」
「それで、夕飯も朝も食べられなかったんじゃないですか」
「なんでわかるん?」
「そりゃあ、旅館の食事で精進潔斎はまず無理でしょうから」
「そういうもんなんや。俺は大丈夫やったで」
「宇羅彦は小さい頃から、そういう気の影響を受けない体質ですから」
「うちは小さい頃からよう倒れとった……」
「由良姫は、依り代になるために生まれてきた一面があります。気の影響を受け易い体質だったのはそのためです。ですが……」
眴は不思議そうな顔をして由良姫を見つめた。
「由良姫には、もう真白神が降りて依り代となっているはずです。私はそう柏木くんから聞いてますが」
由良姫は、柏木と聞いてハッと思い出した。
「眴ちゃん、うち神様の声、聞いたかもしれん」
由良姫はその時のことを説明し始めた。三の鳥居をくぐり、いよいよ御社の前に歩み寄った瞬間、由良姫は何かに引き止められた。
『よう参られた。次は神在月に来るよう。守護者を伴い。でなければ、真白神とは話せまい』
「そうですか……由良姫を依り代としてはいても、目覚めておられるわけではありませんから。大社に集われる神たちは真白神に会いたいと」
真白神とは大津神であった。西の大社に出向くことはない。
「それは神在月には必ず出向かねばなりませんね」
「でも、ヒロくんがいない……」
由良姫は、倒れている間のことを鮮明に覚えていた。守護者は浩徳のことだ。いなくなった者を連れてこいという。
どうしたらいいのか聞こうとして、その何かは去っていってしまった。
「もし、それが神様なら。大丈夫ですよ。柏木くんはきっと、それまでに戻ってくるでしょう」
「ええっ!? 戻ってくる!?」
「大社の神様が一緒に来いと仰ったのですから。柏木くんにも届いているはずです」
由良姫は不思議と、眴のその言葉を信じることができた。
だから、あの時応えなかったのだ。
もう、これは決まっていることなのだ。
「ヒロくんはうちのとこに戻ってくる」
正確には、由良姫を依り代とする真白神の元へ、戻って来なければならなかった。
その姿を顕現させることができるのは、今のところ柏木浩徳しかいなかった。
ケガレとの戦のために顕現することはある。しかしそれは最早、戦を意味し多くを巻き込む嵐のようなものだ。
荒ぶる神と化した息吹の神、真白神は国を滅ぼすだろう。
由良姫は一筋の希望を見出すことができた。
今、どこで何をしているかわからないが、浩徳は必ず戻ってくる。
その様子を、狐のケンはすぐ側で見守っていた。
春まだ浅い日、西の首都へ行ったついでに、由良姫は母御子姫の元を訪ねていた。その時に、由良姫は浩徳とすれ違ってた。
浩徳は、忽然と姿を消して、まず真っ先に訪れたのは御子姫の元だった。浩徳は、ケガレのことをリポートからではなく、直接知りたかった。
それには、常世の穢を見る必要があった。
「ほう、そなたが由良姫の内なる真白殿との媒介か……」
浩徳は御子姫にケガレというものはいったいどんなものなのか、教えてほしいとやってきた。
そして、しばらく御子姫の元に滞在した。
寝食は長とともにし、宇羅彦の父豪鬼に連れられ結界を見て回った。
浩徳は、半月ほど滞在し、常世の穢の今の様子を勉強した。
常世の穢は結界の向こう側で、まるで現世に呼応するかのように変容を続けていた。
共喰いを繰り返し、強大な塊へと化していた。絶えず、唸り声は響き、結界に跳ね返されていく。
「結界の向こう側へ行くことはできませんか」
「行ってどうする?もう今では、触れずとも瘴気ですぐ気枯れてしまうぞ」
「姿が見たいのです」
「困ったのう……ケガレをもらうかもしれぬゆえ」
「魂が蝕を起こすと?」
「そうじゃ、ようわかっておる」
そこへひとりの異形の女がやってきた。
「私がお見せして進ぜましょう」
「鏡見、だめじゃ。そなたまでケガレをもらう、その眼から」
「大丈夫です。くり抜いて、手に持てば、体の内側にはケガレを受けませぬ。腕は切り落とせば済みます」
さすがの浩徳もギョッとしたが、彼らならそれくらいのことはやってのけるだろう。
「そういうことじゃ、長殿を呼んで参れ」
常世の穢は、以前は魚のような形をした個であった。それが境界が曖昧になり、大河の中で黒光りした物体が蜷局を巻きながら喰いあっていた。
かつて、御子姫らを呑み込んだ大バケが中心となり、大河から天を隠すほどの大きな塊がそそり立っている。
「こんなものが大海に穴が空いて……」
「そうじゃの……結界の向こう側は常世との境界じゃ」
常世の穢は絶えず動き続け、喰い合い混ざり合っていた。
その力が増していくのを止めようとせず、底知れぬ禍々しさを培っていた。
「あれに触れたら、一瞬で腐りますか?」
「そうじゃのう、結界がなくなったら一瞬でこの国は腐るじゃろうな」
しばらく、取り出された眼は鏡のように様子を映したが、ものの10分ほどで瘴気を発しブスブスと音を立てて崩れ落ちた。
すると、その眼を持っていた腕が、浩徳の目前で切り落とされた。
鏡見は口に布を噛み、呻き声ひとつ立てなかった。
「しかと、見たな。これが今の常世じゃ。いずれは天へも届くような塊となるじゃろう。まあ、その頃までこの国が持てば、の話じゃろうがの」
「拝見しました。ありがとうございました」
「して、どう見た」
浩徳は御子姫をしっかりと見返して答えた。
「これに匹敵する様が、現世にも現れると」
「そうか……そうじゃろうな」
「由良姫と、真白神と行くか……」
「はい、覚悟はとうにできています」
浩徳は御子姫の元を後にした。そして、息吹の山へと向かった。強靭な肉体と精神へと鍛え上げる必要があった。
山は護られていた。現代でも、山の神は存在し、山へ入る者は許しが必要とされた。
浩徳は、息吹の山々を修験道の場とする修験者と会っていた。
「おまえいったいいくつだ。修行がしたいって?」
修験者の先達は、不審そうに浩徳を見た。しかし、身分証として差し出した免許証の名を見て、態度が急に改まった。
「柏木……」
それは代々、先達の間で引き継がれた、言伝があった。
『柏木の氏を持つ者が来たら、奥山へ案内せよ』
そこは修験道の中でも、神域であった。選ばれた者のみ入山できる場所、守護者を鍛えるためだけに存在する場所でもあった。
息吹の山はやっと雪解けが始まろうとしていた。その奥山はまだ、雪の中だった。
「時間がないので、始めさせて下さい。責任は取ります」




