鬼神降臨
突然、由良姫が耳を押さえてしゃがみこんだ。浩徳は勢いよく柏手を打った。
その反響と残響が、ケガレの声を打ち消していく。
「息吹の神、真白の神よ。その清けき御響にてケガレを祓い給え」
これは柏木の一族が祀る神、真白神を覚醒させ、ケガレを祓う者を守護する唱え言葉だった。
真白の神は、御自ら贄の一族の元に、空になって流れ着いた葦舟に乗りやってきた。
贄となっていた輪響紋衆、響の一族は神を得たことで祓いの力を受け継ぐ依り代となった。
最初の依り代は、時を超え、戦をしていた贄の一族の者だった。
真白の神はふたつに別れ、男神は戦場へ、ケガレが潜む空間へ向かった。
そこでケガレに呑まれ半ば腐りかけていた、贄の一族の男の体に入り依り代とすることで、ケガレを討ち祓った。
残った女神は赤子から成長を始め、後に贄の一族の者と交わり子を成した。その子に血とともに力を分け与え、依り代としての役目を授けた。
贄の一族は元は一つの民ではない。ふたつの民が交じり合っていた。
女神が依り代となるのに適していたのは、響紋の一族の方だった。よって力と役目は自然、響紋衆へと引き継がれた。
輪紋衆はその力を護り、受け止め引き出す役目を引き継いだ。
真白の男神は、時空を超えて、贄の一族の輪紋衆の男をしばらく依り代とした。
そして、時を経て血と力を受け継いだ、響紋衆の姫御子を見守ることとなった。
真白の男神が時空を超え依り代にしたのは、ケガレに呑まれた輪紋衆、奏奏司であった。
そして見守り続けたのは、女神の血と力を十二分に受け継いだ御子姫が産んだ、姫御子由良姫である。
そして今また、別れた男神は、別れた血と力とを一つにする。
由良姫の内で、真白の神が時を経て一つになった。
由良姫は、その内に真白の神を宿した依り代となったのだった。
そして、内なる神は柏手の響によって覚醒し、依り代を守護することでケガレと戦うことができるようになる。
響く音で覚醒し、鬼神となる。
戦を終えるとまた、響く音で眠りにつくのだ。
ケガレが強大になり凶悪になればなるほど、真白の神の血は神に戻ろうとし濃く現れる。
由良姫の内なる鬼、鬼神の血は覚醒していた。ただ、時が来るのを待っていた。
別れていた真白の神が一体化した。
本物の鬼神は覚醒し、古のケガレへと化した贄の一族の末裔を祓う。
由良姫が依り代として得たその力は、神の領域であった。
ケガレは一瞬にして祓われた。
そう、かつて御子姫が常世のケガレを瞬時に討ち祓った時のように。
由良姫は新たな力をも手に入れた。今までは祓うことができなかった。宿主の中に潜むケガレの欠片であるモドキを、祓うことができるようになった。ただしこれは、血が近い者に限っていた。
血が近いといっても近親者ということではない。古に遡り、出自が近いかどうかという話である。
祓ってみなければわからないレベルのものだった。
ただわかっているのは、今ともにケガレと戦っている者たちの体内に巣喰ったモドキは祓えるということ。
これは何より重要なことだった。
芥見の曽祖母がなってしまった古のケガレ。
それを一撃で祓った由良姫の姿は、以前無意識のうちに目覚めた、鬼化した姿とまったく同じだった。
母の御子姫と同じ、銀に輝く白髪を揺らし、紅い瞳が暗闇に爛々としていた。
ケガレを討ち祓うと、浩徳が柏手を響かせ鎮めの唱え言葉を発する。
それとともに、鬼神は由良姫の内へと帰していく。
倒れた由良姫を抱える浩徳に、信じられないという面持ちで宇羅彦が呟く。
「終わったんか?」
「そうみたいやな」
「なんやろ……初めてや。終わった後のこの清々しさ。全部祓い清められとる」
「せやけど、神さんを目覚めさせるんは、依り代の消耗が激しい。奥の手や」
浩徳は、由良姫を運ぶのを宇羅彦に手伝ってもらった。
依り代となる由良姫もだが、それ以上に覚醒と鎮静を司る大役を担う浩徳の消耗もまた激しかった。
「ヒロ先輩は、こんなんどこで習ったんすか?」
「ぶっつけ本番。もっと修行を積まんと体がブッ壊れそうや」
「使えませんね、しょっ中は」
「そらそうや、俺も由良姫もブッ壊れる」
宇羅彦は屋敷から出ると結界を解いた。
白鴉と狐のケンが寄ってくる。
『お見事でした。そこで……由良姫殿は依り代に?』
低い声が聞いた。
「はい、真白の神が降りました」
浩徳は答えた。
『そうか、宿命とはいえ、重い荷を背負わせたな……代わってやれればよかった』
御子姫に似た声が呟いた。
宇羅彦は黙って、抱える由良姫を見つめた。
しばらくすると、眴が車で迎えに来た。自転車を積み、由良姫と宇羅彦、狐のケンを乗せると走り去った。
浩徳はその後をバイクで追いかけた。白鴉は屋敷の屋根に止まり静かに見送った。
家に戻るとしばらくして由良姫が気がついた。寝かされていたソファから立ち上がると、万里依と宇宙依に集っていたモドキをきれいに祓い切った。
「ええっ!? 由良姫、それはいったい……」
驚く眴からも、由良姫はモドキを祓ってみせた。
「なんや知らんけど、できるようになっとった。でも、祓える人とそうでない人はあると思う」
「結界で薄ぼんやりにしか見えへんかったけど、由良姫……御子姫殿のように変現しはったね」
「そうなん!? ウソーッ!!」
「自覚ないんや」
宇羅彦が驚いたように言った。そして、宇宙依を見て続けた。
「そうや、ババア、とんでもないケガレになりよったで。初めて見たわ。宇宙にいは、アレが見えとったんか?」
「ああ……とうとうとんでもないことになったって……間違いであってほしいって思ったよ」
「そうか……白鴉が、あのケガレのこと知っとるようやった。白鴉は、ババアよりもっと強力で長けた存在や」
「それは長殿でしょう。異形衆の」
眴は皆にお茶を出しながら答えた。
「あのケガレの正体なら知っとるよ。柏木の祖父母宅にある巻物に描かれたケガレの姿そのまんまや。二本脚で大海(湖)から上がってくるんや」
「なんでそんなこと!?」
「せやかて、真白の神さんが祓うんは、そのケガレやで」
「そんな……一族の者がケガレになった姿と一緒やなんて……」
「宇宙にい、ほんなら、今度のグレードBのケガレとは違うんか?」
「違う。俺は、ケガレになる前に、曽祖母を屠るつもりやった。できひんかったけど。せやから、みんなには知らせんかった」
宇宙依は難しい顔をしながら説明し始めた。
「今度のグレードBは、一人の触媒のような女子がおって、その子の真っ黒な負のエネルギーがモドキを引き寄せるんや。そこに集まっとった同じような連中が一気に呑まれて気枯れを起こす。あっという間に巨大なケガレになってまうんや」
「グレードBってことは、せいぜい十人前後の塊や。神さん起こさんでも、俺と由良姫でなんとかなる」
「あんな、その場所に、いてるんや。巻き込まれんでもいい子が」
宇宙依の言いにくそうな素振りで、由良姫も宇羅彦も自分たちが知っている、それだけではない仲の良い誰かだと、すぐ気がついた。
「どんな子や? どうせ祓いに行くんや! その時やったら、助けたかってええやろ!!」
「宇宙にい!!」
二人の声は悲鳴に近かった。




