芥見のケガレ
先日、宇宙依から聞かされた、グレードBのケガレについてもっと詳しく知るために、由良姫と宇羅彦は芥見の本家へ行った。
白鴉の一件があってからは一度だけ祓いに訪れたが、それ以来ご無沙汰だった。
「これはやっぱ、まずは祓いをした方がいいかもしれんね」
「せやなあ。白鴉ん時もしっかりやっといたんやけどなあ」
由良姫と宇羅彦は、話し合いながら家の表で屋敷全体を見ていた。すると、大学に行かずに残っていた宇宙依が玄関から出てきた。
宇宙依を見た瞬間に、由良姫がうーわっ! と声を上げた。
「宇宙にい、ちょっとそのままそこ立っとって。もう大変なことなっとるで、すぐ祓うし。祓えるだけやっとく!」
それもそのはず、宇宙依にはたくさんモドキが集っていて、すでに魂の蝕が始まりつつあった。
その時間がゆっくりだったのは普通の人ではなく、一族の血が救ってくれたのだろう。
しかし、宇宙依が大学へ行ったり外出の機会を減らしてでも、先見の眼でケガレ発生の予測ばかりをしていたことも大きな一因ではあった。
万里依が大学から戻ってきた時も、そこまでモドキは集っていなかった。
「うちもなあ、ちょっと体の調子悪いんよ。どないしよう、原因はお曽祖母ちゃんやろ」
万里依の言葉に宇羅彦が過敏に反応した。多分、宇羅彦もまた影響を受け易い性質だった。
「このままやと、家の者全員おかしゅうなるで。まあ、ちょっとの間、ババア置いて他所へ住んで、通ってきたらええやんか」
「そうもいかんのや。見とらんと、そのうちケガレになる前に、屠らんと。一族の恥になる」
宇宙依が吐き捨てた。
「宇宙にい、今のどういうこと!?」
由良姫が聞き間違えたかと、顔を歪める。
「曽祖母ちゃんは、近々、ケガレになる」
言い切った宇宙依を、その場にいた全員が凝視した。
「なんで!? だって一族の者がケガレになるなんて、なかったやん」
「それは、きちんと禊ができてたからもある。大きく違うんは、俺も万里依も、ほんで曽祖母ちゃんも眼を持っとることや」
「眼っ!?」
「そうや、眼を持つ異形やからや。異形は、モドキもやけどケガレの影響を受け易いんや」
「せやったら、なんで今まで一緒におったんや!? 早う離れて暮らさな、取り返しつかんでっ!!」
宇羅彦が宇宙依に食ってかかる。宇宙依は静かに言って退けた。
「ほんでも、芥見には芥見のやり方でケリをつけなあかんねん」
「それは違うっ!!」
由良姫が厳しい口調で、年長の宇宙依をたしなめた。
「それは違う。お母さんなら、きっとそう言う」
由良姫は宇宙依の肩をつかむと揺さぶった。
「宇宙にい、おかしいわ。万里ねえも、このまま、家へ行こう。眴ちゃんに視てもらおう」
いつの間にか、二人には眴が一瞬たじろぐほどのモドキが集っていた。
「ババアの気が枯れてきよった証拠や。家の人も他所へ行ってもらおう。俺と由良で結界を張る」
「せやけど……」
まだ宇宙依が承服しかねるのか、何かを言おうとする。
「いい加減、あきらめなさい。もう、そなたは十分務めを果たした」
由良姫も宇羅彦も、ギョッとして声のする方を見た。狐のケンが喋っていた。
宇宙依も万里依も遅れて、声に気がついた。その声は御子姫のそれに似ていた。
「お母さん?」
「どういうんかわからんけど、見えとるんや。声も、どういうんかわからんけど、届くんや」
宇羅彦が、理屈はどうあれ、多分こうだと感じているようだった。
狐のケンは、お盆に由良姫や宇羅彦と一緒に御子姫の元を訪れた時に、御子姫と誓約を交わしていた。
普通の狐より命を永らえて、自分の代わりに目となり声となり子等に付き従うという。
「今夜や」
由良姫と宇羅彦が祓いに行く準備を始める。
万里依と宇宙依は、そのまま由良姫たちの家にいて、眴と待機することになった。両親たちは皆別れて、それぞれ親戚へと身を寄せた。
芥見の者たちは、まさか本家の主人だった曽祖母がケガレへと化すとは思ってもいなかった。
白鴉が状況を伝えにきた。狐のケンが鳴く。
「行こう、ウーちゃん」
「おう、由良! 行くか」
二人は自転車に乗り白鴉の先導で、狐のケンを従え芥見本家へ向かった。
到着するなり、二人は家ごと結界を張った。
「なあ、ウーちゃん。なんや、今までのケガレとは雰囲気が違うなあ」
「ああ、ババアはやっぱ強力やな。タチも凶悪や」
白鴉の眼は、力ある一族の者がケガレと化すとどうなるかを見届けんと見開かれていた。
ケーン! と狐のケンの遠吠えが聞こえた。
屋敷の奥で、何者かがうめく声がした。
そこへ、遠くからバイクが近づいてくる音が聞こえ、同時に浩徳の待てと叫ぶ声が届いた。
「ヒロくんや、ちょっと待っとって」
「先輩、どうしたんすか」
「待て、声や。今日やっと、篠さんから。とにかく、俺が一緒に行く」
「ほんでも今日はいつもと違ってタチが悪いっす」
「せやからや、おまえら二人とも動けんようになるで」
由良姫と宇羅彦の視線が浩徳に向けられる。
「そんな……どうしたら」
「俺が一緒に行って、音を音で打ち消すんや。説明は後や、行かなあかんのやろ」
由良姫と宇羅彦が頷く。浩徳は一緒に行くにはどうするか、手短に打ち合わせる。
どのみち、気が枯れた曽祖母からはモドキが降ってくる。
由良姫が三人分の結界を張る。家の結界は宇羅彦が張ったままにする。
由良姫は、狐のケンに結界の外で待つように言った。
三人は一気に屋敷の奥、曽祖母の部屋目がけて突っ込んでいった。
奥からはケガレ特有の生臭い腐臭がした。同時に黒々とした流れのようにモドキが飛びかかってきた。
それこそよくもまあこれだけという量というより、すでに塊だった。
曽祖母は、今まで見たことのないほどはっきりと具現化したミイラとなっていた。
頭は魚の鱗に眼が爛々とし、口は耳があればそこまで裂け細い牙状の歯が並んでいた。
耳はなく頭はもうそれこそ魚の頭部のようで、首元に鰓があった。全身は鱗に覆われ黒光りしていた。腕には鰭が生え、指先は尖っていき指だったものの間には膜が張っていた。
『ケガレじゃ……』
どこからともなく、低い声が響いてきた。
『頭に袋を…… 声が……』
低い声は途切れた。
「ケガレの声が聞こえたら、由良姫、合図しろ、なんでもいいから」
もう一度、浩徳は由良姫に言った。それだけ、由良姫も宇羅彦もケガレに釘付けになってしまっていた。
今まで由良姫と宇羅彦が対峙してきたケガレとはまったくの別物だった。
それは大昔の、真白様と呼ばれる御子が流れ着く前の、輪響紋衆が贄のためだけに存在した時代に現れた、ケガレの姿だった。
ケガレはどこから来たのか。
無論、大海、湖からに決まっている。
だからこそ、贄のためだけの民が存在した。
それもまた、その人知を超えた力ゆえに起きた過ちであった。
贄の民は、贄として大海へ赤子を差し出した。
そうせねば一族が滅びる、そういう運命、定めを背負わされた。
それが、さらなるケガレを産むと思いもせぬ、時の権力者によって。
赤子は、一族の念を持って、ケガレを鎮めるために大海に流された。
その念がどういうものであるかによって、ケガレは鎮められるどころか増えていった。
真白の神が流れ着くまで、流したはずの赤子として戻ってくるまで、それは続いた。
異形の里の長は、どれほどの時を生き続けてきたのだろうか。
長は、ケガレがどこから来るのか、それがいったい何者なのかも知っていた。




